くらす発見

ブルータスよ、お前もか

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 自動車メーカーの認証不正事件のインタビューで、豊田章夫氏が、「ブルータスよ、お前もか」(の心境?)だと語った。

 新聞記事を読んだとき、違和感があった。これをいうのは消費者だと思うからである。わたしとしては消費者がカエサルで、トヨタがブルータスである。自分が消費者になり代わっての発言はいかにも奇妙だ。

 しばらくして、豊田氏は自分をカエサルになぞらえたのだと気づいた。その場合ブルータスは、氏が絶大の信頼をしていた社員である。

 しかし、記者会見で相手にしているのは社会全体である。そこで社員をブルータスとして扱ったのでは、会社代表者たる経営者が内輪のトラブルをぼやいたことになる。世間からみれば、責任をうっちゃりされたような気持ちである。

 一方、社員は、もちろん誰もが事件の関係者ではない。関係者にしても、(報道によれば)手順書があいまいなところから、勝手な解釈が生まれたということからして、自分から意識してブルータスを演じたのではなかろう。

 世間の批判を浴びる大事に、経営トップが自分を悲劇の主人公にするのは、責任者として潔くないだけではない。政治家と同様のトカゲの尻尾切りだという気持ちになったのではないだろうか。ひごろ、全社員一体の経営を語っていたはずだから、これは社内的にも手痛い失言であろう。

 新聞は、この発言を傲慢だとか、おごりだと批判した。豊田氏が「世間はブルータスよ、お前もかの思いでしょう、信頼を裏切ってまことに申し訳ない」と語ったのであれば、まあ、それなりの発言だが、実際は中途半端な発言であった。

 わたしは、この発言は傲慢やおごりというよりも、トヨタほどの大会社のトップであっても、自分と会社(組織)は別物だという本音が意識外に飛び出してしまったのだと思う。わたしは、「豊田氏よ、お前もか」の心境だ。

 蛇足ながら——敗戦まで、わが国のリーダーは人々に対して滅私奉公を強要した。しかし、いざ戦犯として裁かれることに直面するや、誰一人進んで責任を受け止めた人はいなかった。「国のため、会社のため、みんなのため」という言葉は美しいが、誰かに勧誘されたり、強制されたりするものではない。ということを豊田氏は実例をもって、またまた確認させてくれた。