論 考

極右躍進

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 欧州議会選挙で極右が躍進したのは歓迎するべき事態ではない。

 極右(右翼)の特質は、超保守主義・国粋主義・ファシズムである。全体主義である。思想的に、個人の尊厳を基盤とする民主主義とは水と油の関係である。民主主義が個人の人生の向上を目的とするのに対して、全体主義は個人の存在を全体のための手段としてみる。人間としての自由が吹っ飛ぶわけだ。

 もちろん、極右思想を全面に押し出したのでは警戒されるし、嫌われる。フランスでは、それをつくづく理解したのがマリーヌ・ルペンで、父親ジャン・ルペンの国民戦線の反ユダヤ主義・排外主義・人種主義を抑制して、福祉政策を全面に掲げた。いわゆる、脱悪魔化・穏健路線で、政党名も国民戦線から国民連合へと変更した。

 彼らは反EU、反グローバリズムである。経済が悪化して、失業が増加して苦しむ労働者をつかまえた。

 マクロン大統領は、1期目からエリート意識、トップダウン的リーダーシップが批判されていたが、まったく変えようとしない。2期目の選挙では、マリーヌの追い上げを食らったが、極右に政治を委ねてよいのかと大上段に構えて勝利した。辛勝であって、ぎりぎりの勝利であった。

 フランス人はフランス革命の伝統なのか、非常に反権力意識が旺盛である。マクロン氏とは右対しやすい。もちろん、反権力的だから極右の権力主義も嫌われる。先回の大統領選挙は極右のほうが、より嫌われたわけだ。

 しかし、今回のEU議会選挙においては、人々の最大の関心は経済問題にあったという。理想よりも現実の生活をどうしてくれるという要求は切実である。フランスだけではない、極右が労働者票の受け皿になった傾向が強い。トランプの底強さと共通する。

 EU加盟27カ国のうち13カ国の首脳がEU議会の右派である。EU議会の過半数は依然として中道勢力(右派左派も含めて)である。もともと自国ファーストの極右だから、議会で極右の結束が実現するのかどうか、まだわからない。

 しかし、フランス、イタリア、オーストリア、ドイツ、オランダなど主要国でいずれも極右が伸びており、欧州全体の雰囲気を形成しているとみられる。

 極右はEU懐疑派であるが、議会への影響力を行使できるようになったから、スローガン的にEU離脱を叫ぶのではなく、むしろ議会を支配する方向へ舵を取るのではなかろうか。それは民主主義政治としては好都合だろう。イギリスのブレグジットが成功だったとみている人が多数派ではないはずだ。

 マクロン氏だけではなく、EU議会の人々もエリート主義だという批判がある。こういうのは、もちろん抽象的であるが、民主政治にとっては決して好ましくない。優秀だからエリート主義だといわれるのではない。本来、政治的決定の基盤とされるべき人々に対して傲慢だと思われている。これは、なんとか払拭しなければならない。

 人々と議会のそのような懸隔が、極端思想を生む原因の1つである。右や左、中道という区分そのものに意味はない。いかなる思想の人であろうと、「話せばわかる」という信頼感が樹立ではきるかどうか。

 いまの世界は、対立のレッテル貼りと相互排除が横行している。政治家諸氏の無力のゆえである。軍事力で防衛するという思想もだいぶ怪しくなってきた。たとえば、軍事費に投入する巨大な資金、資源、エネルギーが人々の生活を苦しくしている。軍事力依存は、精神的退廃へ直結している。それが、現実の世界である。