週刊RO通信

イスラエルの危険な国家主義

NO.1567

 600万人のユダヤ人が工業的方法! によって抹殺された。先人がホロコースト(大惨害、大虐殺)の悲惨な犠牲をこうむったのに、どうして、ジェノサイド(集団殺戮)と批判されることをパレスチナの人々に対してやるのか。そもそも、殺すなかれというのはユダヤ教の戒律ではないのか。

 キブツ(kibbutz)はイスラエル独特の集産主義的協同組合である。1909年帝政ロシアでの迫害を逃れた若者たちがパレスチナの地を踏んだ。かれらは自力労働による生産・集団責任・相互平等・機会均等を掲げてお互いの生活を確立していった。それがキブツの原型になった。

 もう一つはモシャブ(moshav)で、家族労働力の経営による農場を村落単位の協同組合がゆるやかにまとめている。現在の村落の大半がモシャブである。キブツ(モシャブ)は現在2700か所あり、全国工業生産の9%、農業生産の40%を担っている。かつては人々は生活すべてを保証され、無報酬で労働にいそしんだが、いまは給与制度になっている。

 1980年前後には、諸外国の人々がキブツを見学に詰めかけた。北欧の自主生産方式が話題になってもいた。もちろん若者たちは世代替わりしていたが、はつらつと働く姿を見て感動しない人はいなかっただろう。

 男女ともに汗が飛び散るのも頓着せず作業に没頭する姿や、素晴らしい国を建設するのだという心意気だ。感動すると同時に、日本の事情が頭をよぎる。このような姿を見たことも、いや、自分がそのようであった記憶もない。彼我の違いはなんだろうか。キブツを見学してきた友人が、力を込めて強烈な衝撃を語る。ところで、わがほうはとなると口が重たくなった。

 イスラエル初代大統領ハイム・ヴァイツマン(1874~1952)は、「ロシアにおけるユダヤ人の苦しみがシオニズムの根源ではない。シオニズムの基本的な動機付けは、いまも昔も変わらず、民族的な本拠地(建設)へ向けたゆるぎなき信念である」と語った。

 シオニズムは、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようする運動である。シオンはエルサレム市街の丘の名前、ダヴィデ王の墳墓がある。それがエルサレムの雅名で、イスラエル国家建設運動の象徴とされている。

 一般に、イスラエルは、世界中で迫害されてきたユダヤ人が集まって、やっとの思いでパレスチナに建設した国家だと理解されている。事実、その面はあるが、ヴァイツマンは、迫害された被害者意識が国家建設の動機ではない。ひたすら自分たちの国家を建設するという信念が動機なんだという。

 たいした違いはないようだが、そうではない。あるリーダーは、ポーランドのユダヤ人が迫害されて苦境にあるとき、「シオニストはユダヤ教徒の苦しみを救おうとしたのではない。ポーランドのユダヤ人、ユダヤ教徒を全部ひっくるめたよりもパレスチナにいる1頭の雌牛のほうが、よほど価値がある」とまで語った。

 また、こうも言う。「シオニズムは、民族の救済を目的とするものであって、個人としてのユダヤ人を救い出すものではない」。さらに、ヴァイツマンは、「老人は消え去るがいい。かれらは自分の運命を待っていればいいのだ」とも語った。そのまま理解するなら、ネタニヤフが人質解放を前面に取り組まず、なによりもハマスを叩くことだとして、実は、パレスチナのせん滅を意図している理由がわかる。

 つまり、これらの帰結は、現在起こっている流血を押しとどめようとするのではなく、(敵も味方も)血を流すが、それはイスラエル国を建設することに通ずるという、激しい国家主義そのものなのである。この機に便乗して、さらにパレスチナ人をパレスチナから追い出す。イスラエル国家をさらに大きくするという、現代版植民地主義の実践にみえる。

 1948年建国以来のイスラエル政治の狙いは、地域一帯を支配することである。先住パレスチナ人のものであった領土を自家薬籠中の物にするという露骨な姿勢が浮かび上がっている。

 ユダヤ教徒とアラブ人が紛争中なのではない。シオニズムがアラブ人を追い込んでいる。シオニストは国家主義であり、ユダヤ人たる宗教的戒律など吹き飛んでいる。