論 考

存在感示せぬ連合

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 都知事選挙において、芳野連合が共産党とは席を同じくせずと主張し、連合東京が小池支持を打ち出し、国民民主党がそのあとに続くというのは、事前に観測されたことで意外感がまったくない。つまらないだけである。

 多数派組合員が政治的無関心でノンポリだから、その代表である連合幹部が政治状況に積極的にかかわらないのは無理もない。岸田首相がメーデー挨拶に来ればありがたがるし、岸田氏はじめ自民党が連合ヨイショを心がけているし、せっせと賃上げ大宣伝をしてくれるのだから、日本的政治状況の堕落に注目しないならば、連合と自民党は結構な関係である。

 はっきりいえば、連合の社会的・政治的影響力は小さい。大きいのであれば、立憲民主党が連合抜きで都知事候補を擁立するわけがない。共産の組織力に魅力があるのは事実であるが、全盛期の社共共闘を想定しているわけがない。

 実は、立憲民主も共産も、都知事選という大きなチャンスを使って、都民の政治的参加を引き出そうとする。政党の力を育てるためには、選挙という機会を縦横無尽に活用しなければならない。その積み重ねが政党としての未来を拓くのである。その点、面倒くさいことにはかかわらず、賃上げを無難にのりこえられれば上等だと考えている連合とは基本的姿勢がちがう。

 いまの政治状況は、岸田自民党がのっぴきならない崖っぷちにある。すでに、自民党内部の自浄能力は期待できない。解散総選挙へ追い込んで、自民党独裁というべき長年の日本政治におさらばするチャンスである。

 都知事選は国政選挙とはちがうが、自民党と小池は同じ穴のタヌキである。表面を取り繕ったって駄目だ、という事実を見せることが大事だ。都知事選は解散総選挙へ向けて、反自民の総力を挙げてぶつかるのが好ましい。

 組合員の政治的無関心を嘆く組合役員は多い。つまり、都知事選は、組合員の関心と注目を集めて、自分たちの組織がいかに力を持っているかということを、組合員自身に知らしめる機会である。

 ところが、それを芳野連合は初代連合会長山岸時代の古証文を呪文のごとくに唱えるだけであって、なんの突っ張り棒にもならない。つまり、芳野連合は組合員がその気を起こすせっかくの機会を活用できない。これでは、政治はどなたさまか立派な方がやってくださるから、その匙加減をありがたくちょうだいすればいいという政治的未熟状態を克服できない。

 これは、連合運動が社会的・政治的影響力を発揮できない事態そのものである。もちろん、一切波風立たず、組合員が黙って組合費を収めてくれるのであれば、役員の座は快適だろう。ただし、その状態が続いたから、現在の社会機・政治的影響力がないドンガラ組織が出来上がったという事実をわすれないでほしい。