週刊RO通信

泡沫候補の乱造について

NO.1568

 東京都知事選立候補者56人、都民1400万人だから、56人立候補があっても不思議ではないが、そのうち24人がNHKから国民を守る党(N国党)による乱造である。推定・泡沫候補の乱造である。

 他にも推定・泡沫候補が多い。同党の泡沫候補と他の泡沫候補はいささかおもむきが異なるが、いずれにも共通するのは枕を並べて供託金没収の対象である。供託金没収の法定得票数は有効投票の1/10未満である。

 都知事選の供託金は、1969年30万円、1975年100万円、1985年200万円、1992年から300万円と定められた。日本の供託金は高いという主張がある。たしかに国民の立候補する権利を妨害するのだから、憲法の精神からすれば違憲といわざるをえない。

 しかし判例は、不正目的での立候補の抑制と、慎重な立候補の決断を期待するための合理的制度だという立場をとっている。もちろん、それに対する、売名や不正目的の判断をするのは有権者だという反論がある。

 泡沫候補とは客観的(本人以外の)呼び名であって、本人にすればまったく腹立たしいにちがいない。人それぞれが見識を有するのであるから、他人に見識の価値を客観風に貶められたのではたまらない。

 わたしがお付き合いした芸術家の秋山祐徳太子(故人)は、1975年の都知事選16人立候補者の、輝ける泡沫候補の1人であった。活力はあるが、ごった煮の鍋の中のような、東京都を文化都市にするべく大提案を引っ提げて立ち上がった。供託金は値上げ前で30万円、懐は素寒貧である。新宿ゴールデン街の文化人士(非文化人士も)が共鳴してカンパもした。

 選挙運動はたった1人で、選挙期間中無料の国鉄電車を乗り継いで走り回った。遊説しながら手作りポスターを貼る。多少の応援も含めて獅子奮迅の活躍であった。選挙戦中に貼り終えたポスターは約1000枚がやっと。

 選挙結果は、当選美濃部亮吉268万8566票(獲得率50.48%)、次点石原慎太郎233万6359票(43.87%)、3位松下正寿27万3574票(5.14%)、4位赤尾敏1万2037票(0.45%)、5位秋山祐徳太子3101票(0.06%)であった。前評判のビッグ3は、美濃部(社共)・石原(自民)・松下(民社)であるが、ビッグ2の激烈な選挙戦のあおりをうけて松下は供託金没収、14人の泡沫候補の仲間入りをした。

 ビッグ候補の主張が人々の関心・歓心を吸引できなければ、その票は泡沫候補に向かう。実際、泡沫候補といえども立会演説会ではビッグ候補に引けを取らない弁論を展開して、会場の拍手喝采をうけたものであった。

 泡沫候補といえどもそれなりに、人々は立派な見識として受け止めた。乱暴な言い方になるが、沈滞しがちな政治状況に対する有意義なスパイスでありえたのである。泡沫候補ではあっても品位が欠けてはいなかった。

 泡沫といわれる候補者は、支持する人々の数はともかく、メジャーが取り上げない大切な視点に光を当てる。だから、無名の人だということで主張の中身を無視するのは正しい有権者ではない。

 さて、今回都知事選において、N国党の乱造候補の意義はなんだろうか。従来、供託金没収によって選挙目的にふさわしくない動機による出馬を阻止するのが狙いであった。ただし、没収されても、たとえば宣伝効果がある、知名度が上がることのほうが、効果が大きいと判断すれば、供託金制度の狙いは肩透かしをくらうことになる。

 自民党はさかんに「政治にカネがかかる」というが、ならば回収して見せてやろうじゃないかというパロディであれば、それなりに政治状況を変える一端を担うかもしれない。しかし、なんでもありで、おまけに品位の低いポスターを貼るのであれば、選挙制度自体に対するおちょくり、悪ふざけであって、了解できない。同党代表は「無意味な掲示板をなくすのが目的だ」と語ったようだが、どうも知恵の使い道を間違えているようだ。

 首相たる岸田氏は、「道半ばの課題に結果を出すよう努力する」「(首相を続ける)気力は十分みなぎっている」と語るが、この政治にして、この泡沫ありと考えることもできる。品位や低次元の政治屋を排除する活動に、都知事選が役立つかどうか。これも大きな都知事選の視点であろう。