論 考

人間死ねばゴミになる

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 この言葉、それなりに名言と思ったこともあるが、違うじゃないかな。生きているときがゴミであって、死ねばゴミではなくなるはずだ。生きている自分をゴミ呼ばわりするのは愉快ではないが、生きることはゴミを作り出す行為である。人間はゴミ発生機であると言い換えてもよい。

 生きるためにはエネルギーを必要とする。衣食住すべてそうであり、その結果はゴミをジャンジャン排出する。

 熱力学の第二法則「エネルギーの質は不可逆的に劣化する」。経済のプロセスは物資・エネルギーを廃棄物に変える次第である。個々人もこの原罪! から抜けられない。死ねば、ゴミを出さなくなる。

 ゴミに上等も下等もないので政治家を特別扱いする気はない。しかし、人間とはこのように大変な存在だという真実くらいは弁えてもらいたい。

 政治にカネがかかるとのたまうが、カネは経済活動だから、それだけ廃棄物をたくさん作り出すわけだ。それを天下御免のごとくに振りかざすなど、ナンセンス極まりない。

 ましてや、政局騒動ネタで垂れ流すニュースは質のよくないゴミそのものではないか。積極的にゴミを濫造排出する政治は正しくないのである。

 イスラエルのガンツ国防相がアメリカに出かけてまで、「イスラエルはレバノンを石器時代に戻せる」と放言したが、まさにその通り。イスラエル戦争指導者自身が石器時代の頭だからである。

 人類という生物が存在するだけでも地球はゴミ危機にある。にもかかわらず、膨大な破壊のゴミ発生器でしかない武器機材に巨額の投資をする。生産だけでは経済が回らないから、屁理屈を捏造しては戦争を作り出す。

 戦争を始めてしまえばこっちのものだ。本音は、停戦や平和ではない。戦争を続けることこそが最大のメリットという中毒症状である。中毒の連中が政治を舵取りする。戦争を起こさない世界をつくろうという気概がない。

 南米の麻薬密売組織が、麻薬運搬のために潜水艦をつくっている。この犯罪行為に傾注する「努力」と、世界各国の軍備拡張の「努力」と、本質的にはなにも変わらないじゃないか。

 本日は、アメリカ大統領候補の2人が直接討論する予定だ。いずれが勝つか負けるかなどどうでもよい。いずれが「世界秩序の柱たる覇権国の大統領」にふさわしいか。

 あえていえば、ご両者ともにゴミを卒業する時期がさほど遠くはない。ゴミの中のきらりと光る存在たりうるかどうか。一縷の望みをもって注目しております。