週刊RO通信

「あしたのジョー」バイデン

NO.1569

 6月27日米国大統領選候補者討論会は、なかなか刺激的であった。劇的な! バイデン氏の不調で、トランプ氏もいささか呆気にとられたかもしれない。今回トランプ氏はかなり自分を抑制していたというが、拍子抜けした面もあっただろう。

 外電内電おおわらわの報道だった。しかし、81歳はなかなかの高齢であって、すでにそのリスクが語られてもいた。とくに民主党陣営は切実に感じていたはずだが、トランプを制するにはバイデンが特効薬という見方が浸透していたから、実はリスクを無視していたのである。

 トランプ氏は、バイデン氏がなにを言いたいのか、主張の中身がわからないと指摘した。しかり、政治家たるもの主張は明晰判明をもって可とする。ところでわが国の議会では、そこまで高齢ではない方々が、中身の不明確な議論を平然とこなしていて、表面的言語明快、意味不明が常態化しているので、もし日本の党首討論であれば全然騒動にならなかっただろう。

 高齢になると、突然咳き込んだり掠れたり、集中力に不調をきたしたり、自分の体験からもよくわかっていて、それ自体なんら不思議ではない。トランプ氏も78歳である。こちらは長年の習い性で口だけはどこまでも達者であるが、さて、中身は熟読吟味するまでもなく相変わらず嘘とはったりのないまぜである。これはたまたま不調をきたしたバイデン氏に比べると常習である。高齢に起因する不調ではないが、これは十分に拒否されるはずだ。

 トランプ陣営は、バイデン氏の写真にFAILURE(落第)と貼り付けて意気上がる。わたしは米国民ではないが、客観的に発言内容を並置すれば、トランプ氏にも、またFAILUREマークがつきそうなものだ。

 人口3千人の長野県下條村では、引退表明した77歳の村長が翻意せざるを得なかった。後釜に手を挙げる人がいなくて、仕方がなかった。無投票当選の見込みである。任期満了すれば81歳になる。これは典型的な過疎村の事例だが、78歳と81歳が激突する米国大統領選挙も、見方を変えれば過疎である。嘘とはったりのトランプ氏だから、加齢街道を突き進んで妄語だらけの大統領にならないという保証はない。

 リベラル派の柱であるニューヨークタイムズは、声涙ともに下るがごとき社説を掲げた。味わう価値があるので転載する。

 ――いまのバイデン氏にできる最高の公共の奉仕は、再選に向けた選挙戦を継続しない意向を表明することだ。—有権者にトランプ氏の欠陥とバイデン氏の欠陥のどちらを選ぶのかという選択を強要して、国の安定と安全を危険にさらす理由はない。—米国民が自ら目の前にしているバイデン氏の年齢や弱さを大目に見たり、割り引いて考えりすると望むのはあまりに大きな賭けだ。――

 もちろん、同紙はそのような主張をしつつも、「いずれかの選択になれば、明白な選択肢としてバイデン氏を支持する」と最後に綴っている。苦しい気持ちがしみ込んでいる。

 28日バイデン氏は、自身の選挙集会で出馬を取り下げない姿勢を明確にした。力強かったそうだ。「以前ほど滑らかに話せない。うまく討論できない。若くないことはわかっている」。そして、「打ちのめされても再び立ち上がることができる。やり切れることを心底信じている」と語った。まさに『あしたのジョー』だ。

 英国では、ジョンソン首相のブレグジット、トラス首相の財源なき経済政策などのショーアップされた派手な動きに拒否する政治的気風が立ち上がっている。世直しだ、強いリーダーシップだと厚化粧しても、ガラガラポンで政治はできない。政治的建設は堅実に地道に討議するなかからしか育たない。今回の下院選挙では退屈な! 労働党が与党保守党に圧倒的大差をつけて勝利しそうな形勢である。識者はinteresting(面白い)からboring(退屈)な政治への回帰だと指摘する。大事な視点である。

 このままでは米国政治は病膏肓に入る状態である。矢吹丈と力石徹の対決は漫画だから面白い。英国的な、「政治をもう一度退屈なものにしよう」(ボールドウィン)という指摘の通り、頭を冷やしたいものだ。