論 考

レトリック

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 欧米の国語教育は、ワード、グラマー、レトリックの三本立てで、日本の国語教育と比較すると、各段にレトリックに力点があるそうだ。

 たとえば、バイデン氏のレトリック。「有権者が比較するべき対象は全能の神the Almightyではなく、もう1人の候補the Alternativeだ」と語る。

 「わたしに完全無欠を期待するのは筋違いです、相手はトランプ氏ですよ」と言っているが、なんだか上品に聞こえるから不思議である。

 さらに、「トランプ氏は民主主義を破壊するといっても大げさでないのに、私は民主主義を守る」と続ける。

 バイデン氏は、「自分が民主主義の守護者であり、トランプ氏は民主主義の破壊者だ」と指摘して、「民主主義者にとってトランプという選択肢はありませんよね」とダメ押しする。

 大統領選の争点は、たったひとつ、民主主義を守られるかどうかだ。というバイデン陣営の切り札を出した。

 意識調査では、25%がどっちも嫌い。いわゆる無党派は40%くらいらしい。なんとしてもこの人々に支持者になってもらいたい。レトリックはよろしいが、はたして人々の気持ちにしみわたるだろうか。

 相手との相対比較を戦略におけば、どうしても悪口合戦になりやすい。それでは、またまたどっちも嫌いを増やすようなものだ。

 フランスでは、看板隠した極右の国民連合RNが第一党を獲得する形成である。アメリカの有権者は、こんな事情を他人事としか考えないだろうか。

 アメリカの世論の民主主義バネに対する刺激は少なくない。民主党は、このままバイデン氏で突き進めるか。

 次なるバイデン氏のレトリックは、民主主義のために「私は橋になりたい」ということかもしれないなあ。