論 考

バイデン氏は撤退するだろうか

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 先日のバイデン・トランプ公開討論会以来、バイデン氏の大統領選挙に対する態度が注目されている。もちろん、本人は依然として意気軒高で既定路線を歩むつもりである。

 ただし、党内外の撤退論の高まりがおさまって、バイデン氏で頑張ろうという気風になるかどうか。バイデン氏にしても一切合切「問題なし」と考えているわけがない。

 このまま選挙戦に進んでも、バイデン支持の大きなうねりを起こしにくい。外交で評価を得るには、ウクライナ戦争とパレスチナ戦争の転換をつくることだが、その動きがありそうもない。

 国内で民主主義の旗手を任じても新鮮味がない。

 トランプを制するのはバイデンだけだという「定説」が壊れたとすれば、バイデン氏の決め球は見当たらない。

 替え玉を決行するにあたっては、時間があまりない。ただし、むしろぎりぎりまで引っ張って一挙転回して突き進む手があるが、軍師が采配を揮うような条件があるのかどうか。蚊帳の外ではわからない。

 バイデン撤退の条件は、後継候補への単なる一本化にとどまらず、それが党内で大歓迎されて一致結束して高揚感を内外に誇示できるかどうかである。

 1963年ケネディ大統領暗殺に伴って、副大統領リンドン・ジョンソン(1908~1973)が急遽大統領に就任した。任期中に、ベトナム戦争に深入りし、国内外の避難が高まった。

 1968年3月31日大統領選挙の年、ジョンソンは、ベトナム戦争を転換し、相手側に対話を呼びかけた。同時に、再出馬しないことを表明した。ベトナム戦争介入が失敗したことを認めた。同時に、選挙戦後の国民の結束を求めるものでもあった。

 選挙戦を制したのは、共和党のニクソンで、ジョンソンが後継に指名したハンフリーは敗れた。

 バイデン氏が、国民的結束を呼び掛ける条件があるとは思えないか、民主主義を守るとして、トランプ陣営との亀裂を深めるだけではなく、米国民内部の分断をなんとかしようじゃないかという呼びかけは、わるい提案ではなかろう。その微妙なおもむきが、人々に伝われば、新たな展開を呼ぶかもわからない。

 大統領選は批判の応酬である。足の引っ張り合い選挙に投票しなければならないのは、まちがいなく苦痛である。

 こんな場面転換があるわけはないが、ジョンソンの不出馬声明から少し考えてみた次第だ。