-衣食足りて組合はどこへ行くか ユニオンショック立ち読み

労働科学研究所
本体1,456円
B6版/本文254頁
<目次>
プロローグ このままの活動では退屈だ
第一章 出かける前に『どこへ行くか』を考える
第二章 不満ではないが満足でもない
第三章 労働組合の任務は終わったのか
第四章 参加性、効果性、満足性を整理する
第五章 生き生き元気な組合作り
第六章 組合経営を革新する発想
第七章 ホワイトカラー時代の職人倫理考
第八章 組合員はどんな欲求をもっているか
第九章 いかにして参加を創造するか
第十章 新製品を開発する視点
エピローグ 委員長の決心

プロローグ
今の労使関係は先祖の遺産である
 かつては春ともなれば会社のあるところでは、だいぶぶん赤旗が林立したものだ が、最近では赤旗が風にはためくなどは珍しい。赤旗自体も少なくなって、青や緑 や黄色といった組合旗に往年の姿を想像することはできない。ストライキなどはほ とんど姿を消してしまった。
 格別、組合が日和見になったというのではない。組合が暴れなくなったのはそれ なりの理由があるわけで、煎じつめれば、暴れなくてはならない事情がなくなった のである。もし立派な経営者ばかりがいて、常に経営がうまく運んでいれば、理屈 としては組合の出番はないのである。
 組合がストライキをやったり、デモをやったりしている状況は元気ではあったが、 組合員にとって不具合があったから元気になっているのであって、その元気の根源 をたどれば、組合員にとって幸いとはいいがたい。
 単純化していえば、組合は「強きをくじき弱きを助ける」、あたかも播随院長兵 衛のごとき侠客、男伊達であった。組合員にとっては組合の出番がないほうがよい のだが、それでは労働条件にしても、職場の安全衛生にしても必要なことが獲得で きないから、組合がおおいに活動したのである。
 たとえば組合活動の華ともいうべき春闘であるが、一九八〇年代に入ってからの 賃上げはまさに「百円玉の攻防」「小数点以下のせめぎあい」に終始している。「闘 い」という言葉を使うこと自体がなにやら恥ずかしいほどである。だから春闘を「春 季労使シンポジウム」に変更した組合も出た。
 実際、かつての労使関係はさまざまな問題点をかかえていた。賃金交渉の基礎と なる数字を使用者は組合に提供しなかったから、組合は組合員全員に調査用紙を配 布して人力で要求の基礎数字を求めなければならなかったし、本当にわかっていた かどうかはともかくも、多くの組合はイデオロギー過剰で、労使は基本的に対立す るものだというような発想の人も少なくなかった。
 組合活動のニュースを掲示する掲示板協定だけをとらえても、すいぶんきびしい 交渉をして、ようやく獲得したのである。労働協約が締結されていても、労使いず れもが自分に有利な解釈をしようとして、かんかんがくがくの大議論。おおざっぱ にいって労使関係の背後には「力関係意識」と時に不信感が充満していたのである。  だから労使の関係者が忌憚なく話し合えるようになっただけでもおおいに結構な ことであって、現在の組合活動が平穏無事であることについて、なんら批判をする ことはない。ただし、忘れてならないのは、今の組合活動の隆盛は、かつての労使 関係者の熱い思いと交渉の帰結としてあるのであり、先祖の遺産の上の平穏にある ということである。

新鮮さが感じられなくなった組合活動
 今の組合活動は、とにかく忙しい。執行部に電話して一発で連絡がとれるのはめ ずらしい。打ち合わせ、会議、出張、研修、交渉と重なって、せっかくの時間短縮 も執行部にはほとんど縁がないくらいだ。「会議は踊る」という言葉は今の執行部 のためにあるといってもいいほどだ。しかし熱心に誠意をもってやればやるほど、 忙しさは増えるのに成果を感じることが少ないのである。
 なによりも組合活動に新鮮さを感じられなくなってしまった。最大の原因は、や はり春闘の人気がなくなったことにある。春闘は四十年にわたって組合活動の主力 事業として君臨し続けてけてきた。しかし今や、春闘が組合員にたいしてどんな刺 激を与えているだろうか。これを企業の商品にたとえれば、主力商品の人気が落ち たぶん売上が減るが、それと似たようなものだ。
 職場も昔に比較するときわめて安全快適になった。自宅に書斎をもたない人は多 いが、会社に行けば専用の書斎がある。かつて、職場は危険で、汚くて、苦しいの が通り相場だったが、今や、居場所としての最適空間ですらある。安全・衛生の取 り組みもまたかつての光を失った。これとて本質的には結構なことである。昔はプ レスで指を落とす人は少なくなかったし、労働災害で命を失った人もめずらしくな かったのだから。
 作業現場の照明を明るくするために、労使交渉は数え切れないほど開催されたも のだが、今や職場は明る過ぎるくらいである。冷暖房もあらかた完備された。高熱 作業現場で、塩やビタミン剤を配給したのも昔の思い出になった。安全な職場を作 るという活動もすでに花形ではない。
 給食費の補助をいくらにするかというのは、切実な問題であった。ひょっとする と、春闘よりも議論沸騰したといってもいいかもしれない。戦後は賃金補完的な存 在だったが、やがてうまい給食を食べたいというように要求が変わる。そのために は価格を引上げなければならず、組合員の負担も増える。しかし引き上げたからと いって必ずうまい給食になるという保証はない。値上げした直後はそこそこの給食 なのだが、時間の経過にともなって、いつの間にか以前のまずい給食に戻っている のが実態だから、むしろ給食でうまいものを食べようという考え方がおかしいので あって、この際、思い切って徹底的に給食費を下げたほうがいいのではないか、な どの議論が百出する。
 休日カレンダーの検討なども大騒動であった。なにしろ格別の知識が必要なわけ ではない。むしろ一人ひとりの好みを堂々とまくしたてられる問題なのだから、こ れまた延々議論が続くというあんばいである。
 しかし今頃、こんなことで角突き合わせて議論するような組合はまずないだろう。 見方を変えれば鮮度を失った組合活動という感じもある。

魅力が感じられなくなった組合活動
 あるいは、さまざまの現象から見れば組合活動が魅力を失ったのである。
 組合員は日々の仕事を通して生活の糧としての賃金を獲得するのであるが、期待 の大きさというものは、現実の姿とあらまほしき姿との開き具合によって決まって くる。十%の賃上げが期待できた時代とせいぜい二、三%の賃上げしか期待できな い(と予想する)時代において、賃上げの刺激度が異なるのは当然である。
 また一九七〇年代くらいまでは、だいぶぶんの組合員が現在よりもたくさんの収 入を獲得する方法としては、組合の賃上げに依存するしかなかった。つまり収入増 加の方法を組合が独占していたのである。ところでその後のわが国経済は財テク時 代を通り抜けた。金額の大小はともかくも、多少の蓄えができるようになった人々 はささやかな財テクを実現するようになったし、がんばる人々はサイドビジネスを 組み合わせて収入増加を図ったりもするようになった。かくして組合による収入増 加の独占時代が終わったのである。
 あまりにも収入が低かった時代は、さまざまなライフスタイル期待があっても、 それを実現することができない。だから組合は賃上げという最大公約数的活動を繰 り返すことによって、毎年、組合員のライフスタイル期待を再生させることが可能 であった。やがて収入増加期待がよほど強くなく、そこそこに暮らせるようになり、 多少の工夫で自分らしい暮らしの演出ができるようになると、人々の関心はもっぱ ら賃上げに期待するという発想から、いかなる暮らしを楽しむかということに関心 が移ってきたのである。
 ところが組合執行部の関心はだいぶぶんは依然として伝統的な賃上げ、労働条件 の維持向上戦略に固定されていたのであるから、組合員の意識変化にふさわしい活 動を提供できなかったと考えられる。
 すでに一九七〇年代中盤から指摘されていた「モノから心へ」というコピーは抽 象的ではあるが、おおむね時代と組合員意識を正しく反映していたのである。しか し組合の戦略は必ずしもそれを執拗に追求してこなかった。
 たとえば今の組合執行部が、組合員の生活と意識について個別に把握している度 合いはきわめて浅い。昔の執行部はマスとしての組合員ではなく、個別の組合員の 心情と行動について、日常的に知る努力をしていたのである。
 二十年前と比較してみても、組合の社会的地位はずいぶん高まった。しかし、そ の反面、執行部と組合員の精神的結び付きは決して強くはなっておらず、むしろ両 者の距離は大きく隔たったのではないだろうか。
 魅力というものは、関係者が相互に深い関心をもつゆえに緊張関係の一つとして 発展するのである。組合内部の緊張感を高めなければならない。

だから元気な組合活動を創造したい
 だいたい、最近の執行部の選出に当たって選挙がおこなわれることはマレである。
昔は「オレがオレが」のオンパレードで、執行部の選挙戦自体が結構おもしろい組 合のイベントだった。選挙期間となれば朝は会社の門前に襷がけで候補者が顔を並 べて、「おはようございます。今度の選挙にはぜひ私をよろしく」と一生懸命に売 り込んだものだ。
 就業時間中は選挙活動は禁止されているのだが、仕事のファイル抱えて、仕事に かこつけて職場を回って耳打ちするなどは常套手段であった。生命保険のセールス レディよろしく、チューインガムなんかを配って勧誘したり。これなんかは立派な 買収行為のミニ版である。
 組合の選挙管理委員会が選挙公報を制作し、写真入り、経歴入り、立候補の抱負 を組合員に伝える。連記制の選挙などでは、その公報上に〇印や×印をつけて、「こ いつとこいつは落としてくれ」などと怪情報が職場を駆け巡る。もちろん投票は公 職選挙並の厳正なもので、いよいよ開票となれば各候補は立ち会い人を出して開票 業務を注視する。
 開票真っ最中の組合に電話がかかってきて、「おい結果はどうなっとんかいな」 と問い合わせがくる。「もうちょっと待って、もう直ぐ終わるから」と答えつつ、 気がつけば日頃、組合のことなんかにあまり興味をもたない組合員の声である。は て、あいつがなんでこんなに関心示しているのやろと、あとで調べてみたら、なん のことはない。立ち飲み屋でなん人かの組合員がコップ酒傾けながら、選挙公報に 枠順つけ、連勝複式よろしく誰がトップで通るかなんて博打を楽しんでいるという ぐあいなのである。
 よしよし、そんなに興味があるのなら次の選挙から中間発表して、さらに興味を 盛り上げたろか、まあ、たいした楽しみのなかった時代の楽しみと言えばそれまで だが…。
 最近、講演を聞いてくれる執行部に「執行部になりたくてなった人、手を上げて」 と問えど、誰も手を上げない。「では、ただちに止めたい人、手を上げて」と言っ ても、遠慮がちにちらりほらり。そこで、ついつい「なりたくてなった執行部じゃ ないが、なってみたら案外、大きな顔もできて、満更でもない。だから直ちに止め たいとも思わないんじゃないか」と憎まれ口の一つも出る。 組合活動を元気にす るためには、まず「隗より始めよ」。つまり執行部が元気を出さなくてどうするの。 そもそもなりたくてなった執行部じゃないのだから、せめて自分がしたいことをや ってみればいい。それで、もし組合員が文句や不満を言うのであれば、「だからオ レはやりたくないと言ったじゃないか」と居直ればいいのである。

再出発戦略構想のはじまり
 委員長は考えた。
 「うちの組合は、かつていちじるしく偏向したイデオロギーによって牛耳られ、 先輩たちは軌道修正するのにずいぶん苦労したもんだ。あの『民主化闘争』から、 もう二十年近くになる。二十年も過ぎれば、あの当時の感激も忘れられてしまうし、 第一、民主化後に入った組合員が圧倒的だもんな」
 書記長も考える。
 「考えてみれば『民主化闘争』なんてのは、結局、内部で争っていたわけで、そ の間は組合の力を十分に出すことができなかった。しかし、今はそのような闘争を やらなくてもいい。組合員は話せばモノがわかるし、会社との間にも大きな不信感 はない。その割りには、組合らしい達成感のある活動がない」
 これらはだいぶぶんの組合執行部の思いであろう。早くいえば「隔靴掻痒」の観。 いったいなにが問題なのだろうか。
 「問題がないのは結構なことじゃないんですか。わざわざ仕事を作る必要はない んじゃないですか。そんなに悩まなくても…」
 と、これはクールな執行委員の声。
 そう、問題がないから組合員(組合)は平穏なのであろう。いや、本当に問題が ないのだろうか。もしかすると、問題を感じていないだけであって、そうであると すれば、まさにそこに問題があるのではないのだろうか。
 問題がないように見えるのは、組合活動にかんして、組合員が「組合費が高い」 と文句を言わないことであろう。
 かつて組合の年次大会で、隠れた主役は組合費値上げ方針であったといっても過 言ではない。組合費値上げに散々苦労した執行部は組合費の定額部分よりも賃金に たいする比例部分を導入することによって、毎年の値上げ論議自体を消すことに成 功した。それに昔と比較するとずいぶん賃金が上がったから、比例部分はますます 効果を発揮したというわけだ。
 しかしなによりも注目しなければならないのは、組合費のチェックオフ協定の存 在であろう。会社によって賃金から組合費を天引きするという制度が、もしなかっ たら、今日の組合の隆盛はないかもしれない。組合員が自発的に納入するだけの、 あるいは執行部が組合費を集金して回るだけの、組合活動にたいする連帯感や馬力 が果たして存在するだろうか。
 「そんなもん当然や」と割り切らないほうがいい。はたまた「組合費に見合うコ ストパフォーマンスは大丈夫だろうか」と考えてみてもらいたい。ここにも問題が ないのではなくて、問題を意識していないという側面が顔を出しているのではない だろうか。懐疑なくして問題は発生しないのである。

企業内組合としての活動
 今では当然のように関心がはらわれないが、かつて「企業内組合」であることは、 きわめて重大な論点の一つであった。
 敗戦後の組合の出発はなんといっても「会社の再建」「組合員の生活の確保」の 二つが最大課題であった。(もちろん平和国家の建設への渇望という大きな課題が あったが、これは別項で述べる)
 組合員の生活の確保はまず「食えるための賃金をよこせ」という有名なスローガ ンに代表される。そのためにはなんとしても会社を再建しなければならない。事実、 会社に厳しい要求をすればするほど、生産現場で組合員は猛然と社業にいそしむこ とが必要になる。
 敗戦後十年が経過し、なんとか会社が再建されて、労使ともにホッと一息ついた ころには、組合が厳しい要求を出せばだすほど、会社は「会社の発展を阻害する気 か」と居直ってくる。やがては「資本対労働」の対決という構図が浮かび上がる。 こうなれば組合は要求が会社という壁に妨害されるから、それを乗り越えなくちゃ あならんと考えるようになった。
 一九六〇年代前半くらいまでは組合側は、概して「企業内組合ではいかん」とい う議論が主流であった。そして産業別組合として再編成し、「資本対労働」の闘い に挑もうというわけだ。この時代は「企業内組合」という表現は少なくとも組合内 部ではマイナス・イメージの言葉であった。
 ところが一九七三年の石油ショックを克服して、世界が日本経済に賛嘆の視線を 送るようになったころから、さかんに企業内組合礼讃論がぶたれるようになった。 いわく日本経済の三種の神器は「終身雇用」「年功序列」そして「企業内組合」と いう日本的労使関係であり、長期雇用による安定感のなかで、人々が安心して働く ことが日本経済の隆盛をもたらしたというのであった。
 もちろん組合員は会社が相互に凌ぎを削る競争社会において、社員として競争の るつぼの中にある。労働者的連帯と会社員の立場の、いわば「また割き」状態にお かれたのだ。そこで「二重忠誠」という表現がしばしば登場した。組合員として組 合に、会社員として会社に二重に忠誠心をもっているというのである。
 いっぽうでは労使関係はしだいに円滑なものになって「労使協調」が当然とみら れるようにもなった。労使はパイ拡大において協調関係にあるが、配分において対 立関係にあるというのであった。これが定着し、いわゆる「産業別への志向」時代 が去った。昨今、終身雇用と年功序列にたいする批判がかまびすしいが、本当にそ れらを否定し去るのであれば、組合は企業内組合であることを再検討しなければ論 理的に間に合わなくなるかもしれない。