-財テクから時テクへ 知恵・ひと・時間のライフデザイン立ち読み

著者・奥井礼喜
情報センター出版局
本体1,214円
B6版/本文254頁
<目次>
はじめに 第一章 90年代のタイム・プランニング
第二章 時代と「私」を知るために
第三章 高齢化社会のイメージ
第四章 時間の「私」的演出法
第五章 時テクと財テク
第六章 時テクこそ「国際化」
第七章 「私」のための時テク

はじめに
このささやかな本で考えようとしたのは、たくさんの私の「元気」である。
せっかくの人生を誰でも「元気」に過ごしたいと願っているはずなのだが、なか なかそのようにはなっていない。最も興味深いのは、健康であれば「元気」なはず なのに、必ずしもそうとばかりはいえないことだ。また、経済的に優位であれば「元 気」かと言うと、これも必ずしもそうとばかりはいえない。
もし、健康であれば「元気」、お金があれば「元気」という公式が成立するため には、どの程度の健康であればどの程度の「元気」であり、どの程度のお金を持っ ていればどの程度の「元気」であるという公式を作成することが可能なはずである。
しかし、そんなものは作成できないのである。健康であってもブツブツ言って生 活に意欲のない人は少なくないし、かなりの大金を持っていても病気を患って、早 く死にたいと叫んでいる人もいる。
明確なことは、「元気のエネルギーにはさまざまな種類」がありそうで、「元気な 人は元気のエネルギーの持続時間が長い」ことだけだろう。つまり蟹のようにいつ もブツブツ言っている人のエネルギーはブツブツであり、トランペットのようにい つも高らかにワッハッハと笑っている人のエネルギーはワッハッハである。
そこで問題の第一は私が自分の「元気エネルギー」の何たるかを理解しているか ――これがライフスタイルではないのか――にありそうだ。
そして私が私にとっての「元気エネルギー」を十分に理解しているならば、私は 「元気エネルギーの持続時間」を長く維持するように工夫するに違いないとも考え るのである。これは現在を充実して生きる行為である。
たとえば、忙しいという場合に、忙しくてまいったと考えているか、忙しいから こそ充実していると考えるかの差異は「現在が充実している」と確信しているか否 かによるはずである。
未来の何かを確信していれば忙しくてもガマンがロマンに通じるが、未来を確信 できない場合にはガマンはガマンにすぎない結果、ガマンにエネルギーを吸収され てしまい、どんどん「元気」喪失状態に没入してしまうのである。
これらを人生というスパンで考えれば、人間は生まれたならばひたすら死への道 程を歩み続ける存在でしかないのであるが、その人生――加齢――が一歩一歩成熟 に向って進んでいると確信できるならば「元気」を維持・培養できる。一方、人生 などは無期懲役と何も変わらないと思えば「元気」を喪失する。
つまり、人生を意識的な楽観主義の世界に…私はなろうとするものになるのだ… …というような発想をとれないものかどうか、について、この本では模索してみた つもりである。
そのターゲットを「時テク(ときテク)」という言葉に置いた。
私が節約しようが無駄にしようが、とにかく時間は徹底して過ぎ去っていく。し かも時間は万人共通の存在である。私と時間について、私が元気で生きるために「時 テク」というテーマを介しつつ考えてみた。
たくさんの私の「元気」のために刺激になればと願いながら。
一九八九年二月 奥井禮喜