「あかでめいあ」はライフビジョン学会とユニオンアカデミー会員による研究誌です。毎年5月、印刷物として発行しています。
皆様のこの一年の「思考の軌跡」を編集したVol.14ができました。
単価1,050円送料・振込料別で頒布中。どうぞご注文ください。
あかでめいあ 目次 ■特集 定年とは何か■
ライフビジョン学会定年後研究の足跡 6
会員のひとことコメント 8
『勤労教』を奪われて
気楽な稼業なのだからもっとガンガン
絶対なのは老いていくこと
老荘思想を友として
山を登りきり帰り道を楽しむがごとく
ピンコロ人生まっしぐら
定年賛歌
老骨を慈しみながら―学び続ける人生 17
理想の定年とは何か〜『遁家』のすすめ20
自分プロジェクトの立上げ 24
人生の未来像 28
チョイ悪オヤジの定年風景 32
人はいくつまで学べるか 35
みんな一緒に生きていこうや 38
青年→定年→老年 41
■読書から学ぶもの■
朝鮮近代史と明治時代 50
明治の「若さ」について 56
維新後の宗教 60
古典を学ぶ 64
『大山倍達正伝』を読む 68
■勤め人かく考えり■
ストライキに学ぶ 72
馬車馬度指数化の試行 76
格差社会の検証 79
選挙に行かないことの意味と効果 82
■平和の畑を耕すために■
いま言い残しておきたい幾つかの記憶86
■自由課題■
SEVEN DAYS IN NEPAL 92
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On Line Journalライフビジョン、
今月は通常の連載に加えて、年報
「あかでめいあVol.14」の特集号です。
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ライフビジョン学会定年研究の軌跡
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■「幸福」がわからない 世の中は相変わらず、定年後は健康・経済・生きがいというステレオタイプの話題でにぎやかである。しかし本当にそうであろうか。たとえば定年準備として開催されている「ライフプランセミナー」は人間観察を深め、精神的な豊かさをもたらす提案をしているのだろうか。高齢社会に備えて作られた介護保険制度や定年延長なども、それで人々は幸せになったのだろうか。
ライフビジョン学会(サラリーマン個人加盟の勉強会組織・1993年設立)では理事会を中心に、定年後の何が問題なのかについて二年間の討論を続けてきた。
まず話題にされたのが『お金』。昨今は、定年後の生活費は夫婦で月に30万円必要だといわれているが、それだけあれば不安はなくなるのか。不安が無ければ元気=幸せに暮らせるのか。どんな幸せのためにいくら必要なのか、への関心はあまり高いようには見えないのはなぜか。
現代OBはお金もあるし時間もあるのだから何もしなくて良い身分。にもかかわらず「じっと」していられない。皆様は行き場所や出かける口実を、つまり自分を遊んでくれる外発的な何かを求めているように見える。定年後は趣味を持たなければいけないのか。お金があって、元気で、何もしないという選択は世間体が悪いと思っているのだろうか。
元気とはしたいことをしている状態である。それは表面的な楽しさでなく、やってみて、飽きず、それでもなお追いかけられる内発的なものだとしたら、問題は内発の欠如、どんな生き方がしたいのかがわからない、ということではないのだろうか。
委員の一人が言う。「個人生活にアイデンティティを持てるかと考えると、家庭生活も未熟である。あれもこれも、現実感無しのまま生きている。」アイデンティティを自覚することなく食べて働いて子孫を残す。
「そんな人生なんて」と思うか、「人生なんてそんなもの」と思うのか。アイデンティティ・クライシスは人生設計が誕生して30年、いまもセミナーの核心ではなかろうか。
■「自由」の自覚 2006年6月、ライフビジョン学会総会パネルディスカッション『定年とは何か』を行った。(On Line Journalライフビジョン2006年7月号掲載中)会員によるパルリストたちのユーモアに満ちた発言には、「シンポジウムでこんなに笑っていいのか」との感想も聞こえたほどであった。
論議の焦点は次のようなものであった。
@ 仕事と自分
バイトよりひどい再雇用。それでも行くのはなぜか、他。
A 人間的成熟への関心
今の生活でいいの?という悪魔のささやきに答えられるか、他。
B 「無」への不安
なぜじっとしていられないのか、なぜ外に出たいのか、他。
何をしても良い時間があるのに何をしたら良いのかわからない。在職中は生活の糧を稼ぐための労働時間のおかげで、余計なことを考えなくても済んでいたのに…「自由」というキーワードが登場した。
「自由とは何か」について考えよう。自由の概念規定ができれば、生き方は決められる。理事会では「自由」について次のように定義した。「自由とは、他者との関係においてではなく、自己の中にある自己の基準に基づいて、自己のアイデンティティ・存在をコントロールできている状態。」
■定年後問題は現役の問題だ ところで定年は当然ながらサラリーマン世界のものである。サラリーマンは雇われて働く。仕事のテーマも目標も誰かから回ってくる「ゆるい生き方」。一方定年後は、テーマも目標も自分で立てなければならない。自己決定を迫られる時間と空間の中で弛緩する「緩慢なる死」。定年後問題の本質は、在職中から「自前の生きるテーマ」を持っていたか否かである。
そこで在職中の働き方に着目して、次の仮説を立てた。
○ 定年後の戸惑いは習慣の結果である。
○ 会社組織はヒエラルキーである。民主主義は企業内で実現するのは難しい。自己の基準を大事にしようとすれば周りと闘わなければならなくなる。だからサラリーマンは(自由を)考えないように自分を追い込んでいる。
○ サラリーマンはそこからこぼれないことに精一杯で、「非」自由も感じない。人間疎外が進んでいる。
○ 仕事は『お勤め』ばかりではない。自分で考えていることがあれば、仕事はずいぶん面白い。現役時代の生き方、働き方は自我や主体性、内発を発揮しているか。
○ 仕事で自己実現できていれば、定年の前も後も変化は無い。現役時代は自己実現していたのに定年後はそれがない、というのは自己実現ではない。
○ 定年後問題は、現役サラリーマンの生き方、働き方の問題である。定年後問題解決には「自由論」を在職中に展開することだ。
2007年1月、「定年と自由の関係研究会」(On Line Journalライフビジョン2007年1月号掲載中)では、定年後の24時間ゲームを体感した。平凡な一日は意識の無さ=無防備な自分自身であるから、そこに「私」が現れる。この日は定年後の処方箋を求めるのではなく、自分が意識して生きているかを問う研究会となった。
そうこうするうちに景気回復人手不足。安い給料でもっと働け、定年延長再雇用という雰囲気が。
せっかく人生の黄金期に、人間の内発について考える機会をまたまた逸してしまいそうである。
◇
定年後は「日めくり」では考えられる。しかし「長期めくり」で考えるとめくれない問題がある。日めくりの「生活」から長期めくりの「生き方」へ。それを考えるきっかけを、ライフビジョン(人生設計)学会は提供し続けたい。
6月9日土曜日、ライフビジョン学会は15周年記念イベント「サラリーマン続・ルネッサンスの時代」を行う。詳細はLife Vision Socieyのページをどうぞ。(ライフビジョン学会事務局)
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