あかでめいあ4 2007/05
帰り道を楽しむがごとくJiro


 


ライフビジョン学会と
ユニオンアカデミー会員による
■年報「あかでめいあ」
特集:定年とは何か:より■

いまは主夫業です。我が家は妻とパラサイト・シングル二匹(30代息子二人)の四人家族ですが、妻も働いており無職は私ひとりです。
定年直後はブラブラしていましたが、誰に言われるでもなく掃除や洗濯などをやるようになり、今では家族全員がそれを当然と見ているようです。友人たちから「今、何やっているの」と聞かれると「主夫業」と答えています。余談ですが、私の最大の悩みはパラサイト二匹の存在です。

私の一日の生活は
 私の一日の生活は、朝五時頃起床してコーヒーを淹れ、新聞をゆっくり読み、七時過ぎに息子たちが出勤し、八時一五分に妻が出勤した後、台所の洗い物や掃除、洗濯を済ませてからはDVDを観たりCDを聴いたり、読書をしたりして過ごしています。
 これも余談ですが最近本を読まなくなりました。なぜだろうと私なりに考えてみたのですがもっとも大きな要因は、本を読むにはそれなりの目的とか欲求、エネルギーが必要なのだと気が付きました。定年後それらが希薄になっていることに我ながら情けなく思っています。
 三時過ぎに妻が帰宅しますので、週に一度は車で食料品、日用雑貨などを買いに行き、それ以外の日は二人でウォーキングに出て、途中その日に食べたい物や不足しているものを買ったりして、五時三〇分頃には帰宅します。六〜七時には夕食を済ませ、九時過ぎには寝てしまいます。時々は料理も作りますが、夕食の準備や後片付けは妻がやり、何時に帰宅するか分からない息子たちとの食事は土日などの休日だけ。それも息子たちが在宅の日のみですが。
 一ヶ月で見れば上記のような生活の合間に、月二〜三回のゴルフ、同じ程度の居酒屋通い、いずれも在職時代の同僚や先輩、後輩。また組合役員時代の仲間や地域の人たちが相手です。さらに組合役員時代に知り合った経営者の方々からも声がかかり、今でもゴルフなどに一緒させてもらっています。不思議なもので組合役員として真剣に遣り合った経営者ほど定年後も良い関係が続いています。


地域の男社会とも交流
 妻と二人で年一回三〜四泊程度の、三回ほどは一〜二泊の国内旅行、また二年に一回は海外旅行に行き、さらに男は男同士、女は女同士と、それぞれ親しい友人たちと旅行などを楽しんでいます。今のところ、妻から濡れ落ち葉や粗大ゴミとは見られていないようですし、四月に入っても離婚の申し出はありません。
 また、地域でソフトボールを楽しんでいます。二〇年以上も前から行っていて、参加者の平均年齢は六五歳を優に超えています。全員がプライド高く、「ゲートボールは年寄りのやるもの」と決め付けています。グラウンドが確保できた日曜日の実体はソフトボールが一時間ぐらい。その後は自治会館で一〇〇〇円程度を各人が出し合って、飲むことが目的で集まる不埒な、それでいて地域の男社会の交流を深めるには欠かせない場です。
 ただし、自治会の活動にはできるだけ関わらないようにしています。永年にわたり縦社会の企業で働き、「タテマエ」ではフラットな組織と言いながらも「ホンネ」は縦社会の部分を強く持っていた労働組合で活動してきて、正にフラットな地域社会での活動に自信が持てないからです。
 そんなこんなで今月も旅行一回、ゴルフ三回、ソフトボール一回など予定はありますが、日々や一ヶ月の生活リズムやアクセントを私自身は特別に意識していません。


登るべき山を登り、満足して下山の途中
 私も定年後の生き方を模索はしました。今までの経験を生かせる仕事を探してどこかに勤めようかなとも思いました。会社を経営する友人から労務関係の仕事で相談役か顧間の肩書で手伝って欲しいと要請も受けましたが、再就職はしませんでした。資格を身に付けるため学校などに行こうかと考えましたが、商業簿記やソロバンの資格が企業では特に役立つこともなかったことを思い出し、残り少ない持ち時間を拘束されたくないとの思いを強くもちました。
 定年は小・中・高の一二年間を卒業したのと同じように、企業人として四〇年余りの生活が終了したのであって、定年を学校とも企業とも違う新たな生活のスタート地点と考えて、今それを体験しています。
 言い方を変えれば、登るべき山に挑戦し、岩壁の前で立ち尽くし、沢に転げ落ち、風雨に見舞われ、雪崩に遭い、地図を見間違えて彷徨するなど、悪戦苦闘しながらも四〇年余りかけて頂上(定年)に立ち、今は充実感、満足感に浸りながら下山の途中で、登るときには気が付かなかった大空の青さ、空気の美味しさ、草花の美しさや、小鳥の鳴き声などを満喫しながら、自らのペースで歩いています。
 食料(経済的裏付け)は足りるのか、体力(健康・老い)は大丈夫かなどの不安材料がない訳ではありませんが、登りながら可能な限りベース・キャンプ(預貯金・保険)を設置してきたつもりですし、なによりもお互いの心を結んだザイルは何があっても切ることがない信頼できる仲間(家族や友人のネットワーク)もいて、自分なりに充実した時間を気楽に過ごしています。


再雇用より定年延長
 私の勤務していた会社も、三年ほど前に六〇歳定年以降の再雇用制度ができました。再雇用された人たちの話を聞きますとほぼ全員が不平、不満を持っています。仕事は変わらないのに給料が減った、権限はないのに責任は重い、など全員が同じような不満を言います。劣悪な再雇用制度を導入したことに最大の要因がありますが、私の感じるところでは、継続して勤めるとはいえ、一旦は定年退職し、再雇用という制度に問題があるのではと考えます。
 現役時代は著名な長距離ランナーで、引退後コーチをしている人と話をする機会がありました。彼から「駅伝などで、次のランナーにタスキを渡して倒れる選手がいるでしょう。しかしもし、タスキを渡す地点が一キロメートル先なら、倒れずに一キロメートル走れますよ。あれはタスキを渡したから倒れてしまうのです。倒れない選手も同じです。タスキを渡してしまったら走れません。タスキを渡したことで気持ちが切れてしまうのです」と聞きました。
 定年も同じことが言えるのではないでしょうか。私の周りの自営業の方々は皆七〇歳前でリタイアしようなどと考えていません。「働ける間は働くよ」と七〇歳を過ぎた今も現役バリバリの人がいます。企業も再雇用というリセットではなく定年年齢を延長すべきで、できれば、米国のように定年は年齢による差別だとして定年制度を廃止して、業務遂行能力が企業の求めるレベルに応えることが困難になったら、自ら退職していくような評価制度を設けたらいいのではと考えています。もちろん、そのような状況に対応した年金や健康保険などの、社会保障制度の確立が基本にあることが条件となりますが。
 私がいま遊んでいる連中の多くは私より年長者です。ゴルフをやっても「運動をやりに来たのだから」とカートに乗らない人が多いですし、ソフトボールも肩と足の衰えは隠せませんが、全員が気力・体力十分で溌剌としていて、私なぞ「オイ!若いの」と呼ばれています。私も「こんな人たちに年金を支給しているから、日本の年金制度がおかしくなる」と、自分のことを棚に上げて悪口を叩いていますが、このような人たちを働かせないのは日本経済の大きな損失と思います。


Jiro
ライフビジョン学会会員




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