2006/10
労働の生産性――働く側からの検証ライフビジョン学会


 働く個人にとって、気持ちよく働いて職業人生を全うするのと、食わねばならぬと思って働くのでは雲泥の差がある。いま、働く現場には忙しさによるコミュニケーション不在、主体性の無力感、労働のロボット化が進んでいる。
 2006年9月19日「働き方の研究集会Vol.2 労働の生産性――働く側からの検証」は労働科学研究所主管研究員の越河六郎氏にご一緒していただいた。
(以下文責編集部)



講師 越河六郎(こすごうろくろう)
松蔭大学経営文化学部教授(教育学博士)
労働科学研究所主管研究員
「桐原葆見(しげみ)の労働科学」研究会・会員

著書/
○労働と生活の心理学(フィ−ルド研究の方法)○保育と労働(保母の仕事の性格をさぐる)○労働と健康の調和CFSI(蓄積的疲労徴候インデックス)マニュアル
共著/
○労働の生産性〜桐原葆見の労働科学


コーディネーター 奥井禮喜
ライフビジョン代表r
本誌発行人



































































































































































(財)労働科学研究所出版部
A5版 334頁 3300円
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■ 労働の生産性 その真意■ 
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 越河六郎氏は講演の冒頭で、労働には三つの立場があると語る。 
 @「働かせる」 できるだけ生産性を高める。A「働かされる」 何が人間として最も大切かをつい忘れてしまう、忘れさせられてしまう。生きながらにして死んでいる。そのことの自覚すらない。B「働く」 働く人間の自立、成長:真の生産性。
 労働科学研究所は「働かされる」という立場で労働を研究しているが、働いて生きる人としては「働く」立場を大事にしたい。昨今の労働現場では、何が人間として大事かを忘れさせられている。技術革新だなどといいつつ、基本が何かが分かっていない嘆かわしい状況である。
 奥井さんは同僚として組合活動家の皆さんと接しているだろう。われわれ研究者は、第三者の覚めた目で客観データを取り、自然科学的な法則を見つける。人間は生き物だ、動物だ、生きている、死ぬんだ。その現実を見つめて人間の労働の、真に合理的な労働の条件を求めてやまない、というのが考え方だ。
 われわれの基本姿勢は、能率屋とは一線を画す。能率屋は生産性を高める方向だが、「働く人にとっての生産性」を考えるべきである。命まで落として働く・生活するのでなく、人間が大事だという考え方である。
 労働科学研究所の元所長・桐原葆見氏は、日本の産業心理学の草分け時代の第一人者である。今回「働き方の研究集会」のテキスト「労働の生産性〜桐原葆見の労働科学」は、桐原氏の第一の弟子である太田垣瑞一郎氏と越河氏の共著による出版である。
 桐原先生は著書の中で「科学的」ということについて、――産業における人間の諸関係は単なる機械観で行くものでなく、有機体の比喩で解けるものでもない。そこに労働する人間はそれぞれの意思を持った人格であるから、機械観や有機観に陥らないよう、応用に当たっては立場と意図が大切だ――と説いている。(労働の生産性30頁)
 労働科学は人間の労働を研究する実践科学である。それは当然、人間中心主義(人道主義)に立たなければならない。労働科学は真実に合理的な労働と生活の条件を求めるというのが、基本姿勢である。働く人にとっても、その労働が価値を生むものでなくてはならない。働く人にとっての価値の実現を含むものが「労働の生産性」なのである。

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■ 労働の原点から考える ■ 
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 コーディネーターの奥井禮喜は次のように続けた。
 ――産業疲労は欧州では早くから研究されていたが、日本では労働科学研究所だけであった。しかも「働く人の主体性」などというのは、最近でも放置されている。「コミュニケーション」なる言葉は戦後、日本に入った言葉である。米国式労務管理の導入も「論」でなくハウツウから入っていく。
 昭和20年代の人事部は、なぜこんなに労使関係が揉めるのかを思想、哲学面から勉強した。その点、現代日本の労務管理は底が浅い。最近の格差問題でいえば、今のルールの中で格差ができるのは仕方ない。問題は社会規範が妥当かどうかであるが、頑張った人頑張らない人という次元の話になってしまう。正しくはこの社会規範でよいか否かを議論しなければならない。
 欧州の書物によるとギリシャから中世まで、人間の運命は神が与えたどうしようもないものであり、その逃げられない運命においてどう生きていくかを考えるのが宗教改革、ルネッサンスの素地になったという。日本では大きな思想的変革の波がない。
 越河先生は主体・自発的といわれた。それがヒューマニズムである。われわれはヒューマニズムを人道主義と解するがそうではない、人間としていかに生きるかである。過酷な運命の中で考えたときに自発性が起こるという。桐原学校は小さな世界かもしれないが、日本のルネッサンスであったと思う。――r

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■ 問題は労働のロボット化 ■ 
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 ここで参加者の皆様に、最近の職場について語っていただいた。
(1)コミュニケーションについて
 ○ひとり一人の人を見て仕事を進めることがなくなっている。管理する側とされる側が、腹に落とせば腑に落ちるという状況で仕事を進めたいが、納得もなく結果もなく、管理される側とする側の関係がだんだん希薄になっている。
 ○なぜやらなければならないかという確認作業がない。
 ○トップは方針を出すが腹落ち感がない。うわべの話で、そのままでは素直に聞けない。縦のコミュニケーションが図れていない。
 ○変化が激しいから一方的に、上から言われることばかりになっている。以前はダイレクトに感じていたものが、今は現場と会社の間に距離感を感じている。
 ○メールで便利にはなったが送信して終わり、電話の回数も減っている。思い、魂が言葉に入っていかない。
 ○相手がどう考えているかを聞かないで自分の好きな話をしているだけ、楽しいだけ。それがコミュニケーションだろうか。
 ○主体性、自律性がないと、本当の意味のコミュニケーションにならない。

(2)主体的に働くことの真贋
 ○パートタイマーは労働条件改善も求めるが、本質的には、職場で感じたことを仕事に実現したいと思っている。言ってはみるが結果につながらない、ぶつけ先がない。やってよいのか良くないのか疑心暗鬼で仕事をするという、エネルギーを削ぐ働き方の中にある。経済成長時代はいわれた事をすれば結果につながったが、いまは考えないと結果は出ない。しかし管理する側が旧態依然なので、働く側のエネルギーを削いでしまう。
 ○仕事が高度化しているにもかかわらず、主体的に働くことに乗り遅れている印象がある。
 ○主体的という意味では、管理職も含む社員全員に問題がある。
 ○50歳以上のモチベーションが下がる。先が見えているからもうイイやと、挑戦意欲や主体的仕事の取組姿勢が崩れている。
 ○労働のセクト化、効率化、プロフェッショナル化がある。20年前の仕事には隣部門との「糊代」があり、それが円滑な運営になったがいまは、狭いプロフェッショナルが増えている。コミュニケーションの必要性を感じない人たちが自分の仕事を主体的にするという、いびつな形になっている。
 ○労働から感情がなくされ、仕事の完璧さが先行している。周りとの整合性、社会の中での自分の位置づけ、役割感が薄れている。主体的ではあるが全体から見ると、正しい自主性なのか、疑問がある。
 ○全体がわかって自分の主体性があり、こうしたいという意志ができてコミュニケーションの必要性が生まれる。しかし仕事を細分化すると、マアイイカと全体性を欠く、生産性が上がらない、だからどんどん法律で厳しく問われる、という負の連鎖が起こる。

(3)会社の将来への不安
 ○数年前から労使でエンプロイ・モチベーション調査をしている。「自分の仕事にやりがいがある・楽しい」はyesだが、モチベーションは低い。自分の将来、会社の将来に夢を感じられない傾向にある。
 ○会社に対する将来期待、会社を大事に思う気持が低い。
 ○経営数字は良い状態が続いているが、将来どうなるのかという不安が多く出ていて元気がない。
 ○仕事は進んでも停滞感がある。職場のモチベーション盛り上げに四苦八苦している。

(4)仕事以外の何かがほしい
 ○会社は経営の方向を、株主にはIRで発信しても社員にはキチンと発信ができていない。株主は株主総会などで経営陣に、会社をどうもって行くのかを問うことができる。同様に社員も、もっと強く言っても良い。
 ○経営戦略は社員自ら考える機会に恵まれるべきだと思う。経営は効率上、そんなことはしないが、組合は自分たちの仕事の意味などを考えるために、必要だ。手間のかかることだという認識が必要だ。
 ○組合員にはもっと経営に突っ込めという論調がある。賃金、処遇面がなかなか上がらない閉塞、疲弊感があるのだったら別のところで、この会社で働く自分なりの意義を見つけたいというものだ。ボーナスを下げても良いから、2ヶ月返上しても良いから、経営に考えさせろという意見も出る。明日のオマンマもあるがそれだけではない。経営戦略やビジョンは、そこで働く社員が夢を持って前に進むために重要なことだ。
 ○働く人の自尊心は疲弊している。管理する側に対して対抗的に、主体的に働くことはなんだろうと言っている。しかし見ている世界が狭いので、広い全体の中の自分は何をするのかを考える機会をもらいたい。組織の目標は、従業員が納得して楽しく働くことだ。納得とは、全体が分かっているか、楽しくとは自発性、自律心。自分が考えて結果を出す、そこに楽しさがある。それを訴えなければならないのは、そうなっていないということだ。

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■ 研究する態度について ■ 
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 研究する態度について越河氏は以下のヒントを紹介した。
(1)書物は「考え方を学ぶ」ものである
 桐原先生と奥井禮喜さんの共通点は、テキストの「労働の生産性」を読めば伝わると思う。本は読めといわれて読むのではなく、自分から読む気にならなければ駄目だ。この本は労働問題を考えるとき、書物の読み方が分かる本である。考えを進めるには、「考え方を学ぶ」ことである。学校の講義などでは、テキストから新しい物を引き出そうとするが、本来は「考える力」を引き出すものである。何を考えるか、どのように考えるかというときに、先人の考えをなぞって自分の考え方を鍛える。それが書物である。書物は面白いから読むのである。「労働の生産性」は労働問題を考える皆さんにふさわしいテキストである。

(2)楽しく働く
 働くから楽しいのでなく、楽しいから働く、というのが本当だと思う。
 感情の心理学に、「悲しいと涙が出る」のか「泣くから悲しい」のかという論がある。私は悲しい状況が入る→生理的な変化→悲しいという感情が動くのではないかと考えるが、両方の決着はまだ付いていない。
 同様に働くときには、働いて生きがいを考えるのでなく、楽しいから働く→生きがいを感じる→そこにもっと生きたいと考える。それが基盤である。

(3)良い師につくこと
 師である桐原先生は新米の越河を同僚と扱った。あるときモラールサーベイに関して質問されて、私が答えた。そうかそうかと聞いてくれる。しばらくして先生が書いた論文をもってきた。見れば私の何十倍も考え切っていた。人にものを聞くときは考えが足りないなどと反論、激論はしない。しかし書いたものを見せられてギャフンとする。教育者は、勉強しろというものではない。教育とは教わるとか教えることであるが、学ぶ人の主体性を確立するために、学ぶ姿勢が大事だ。
 私も数年前から中国の古典を読み始めた。われわれの心理学的な問題は、心理学などよりも古典の中にほとんど出ている。ブントが心理学を始めたのは120年前だが、紀元前数世紀の書物にすでに、人間の心の動きはいっぱい出ている。それを読み取るのが楽しい。
 
 ライフビジョンとユニオンアカデミーの「働き方の研究集会」はこれからも続く。(文責編集部)







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