2007/08
この15年でサラリーマンはどう変わったのかライフビジョン学会





この記事は本誌7月号と併せてお読みください。








































































































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問題提起する奥井禮喜
ライフビジョン学会15周年 イベント報告続編
サラリーマン・続ルネッサンスの時代
―みんな 電池切れとるンとちゃうか?―

 
 前号に引き続き2007年6月9日(土)、国立オリンピック記念青少年総合センターで行われたライフビジョン学会15周年イベント「サラリーマン・続ルネッサンスの時代 ―みんな 電池切れとるンとちゃうか?―」
 今月号は奥井禮喜の問題提起「この15年でサラリーマンはどう変わったのか」の講演録です。本誌7月号のパネルディスカッションと併せて読みください。



豊かさゆとりが感じられなかった80年代
 日本経済は1980年代入り口までは元気で、当時はジャパンアズナンバーワンとまで言われていた。企業人事の世界では1982年、「気配りのススメ」という本が売れた。「ホウレンソウ」という本もはやった。1960年代には「大きな顔をする部下を育てよ」と、いちいち上のお伺いを立てるようなのは馬鹿だと言われたものだったが、たったの20年後、経済大国といわれる時代に一人前のサラリーマンに向けて報(告)連(絡)相(談)せよなどと、幼児化もいいところであった。
 1982年、西武百貨店はCMで、「おいしい生活」というコピーを出した。あなたの人生にとっておいしい生活とは何ですか――。当時の日本人的状況をえぐった秀逸なコピーだった。1984年には自分を中流と思う中流意識が90%いた。1988年、井上陽水が日産自動車のCMで、「食う・寝る・遊ぶ」というコピーをしゃべった。「おいしい生活」の二番煎じではあったが、食う・寝る・働く、人生それだけでよいのかという問いかけであった。
 1991年、「帰りたいけど帰れない」という胃腸薬のCMコピーでは、帰りたいけど帰れない人たちがつるんで飲みに行くのだから、帰りたいのではなく本当は帰りたくない、その本音をカモフラージュしていた。
 ライフビジョン学会がスタートする1993年ごろは「モノから心への時代」とか、モノと小金はあっても「豊かさゆとりが感じられない」と言われていた。豊かさやゆとりはモノでは測定できない心の問題である。心だから各人個別である。ライフビジョン学会研究会のひとつでは、「心」をテーマに取り上げた。
 シャカリキやってカドが立つより適当にやりましょ、という「ホドホド鳥」「指示待ち族」が登場する一方で、なぜか「過労死」する人たちがいる。
 過労死問題では「会社が殺した」との訴えもあった。しかし考えて見ると、会社は社員を家に帰さないと言っているのではない。A君が過労死寸前の職場とは、彼だけでなく皆、自分のことで精一杯で、A君のことはサポートできないのだろう。それより家に帰れば愛する妻がいるのになぜ気がつかないのか。妻は夫が疲れているのがわかっていながらなぜ休ませなかったのか。
 一番問題なのは本人だ。仕事が好きで命と交換してもよいというスーパーエリートはそんなにたくさんはいないだろう。某社O社長が「過労死は自己管理の問題だ」と発言したが、その意味では当たっている。夫は自分で自分のことがわからないとすれば、周りの他人はもっとわからない。ホドホド鳥と過労死の間には、一般に言われるものとは別の構図があるのではないだろうか。
 明治維新以降、日本が西洋の文化文明を猛烈に取り入れて追いついた地平が「ジャパンアズナンバーワン」。それまでの働く現場は、給料は低い、労働環境は悪い、悪いから不満がたくさんある。働く人たちは不満を元気エネルギーに変えて、そこそこのレベルに到達した。そうなってこれからどうするのか。
 ところで不満がなくなったことは満足なのであろうか。
 不満の解消は満足ではない。満足状態とは「元気」と一緒の意味である。元気な人は「何か」を成したいというエネルギーを持っているから、その「何か」を達成しようとして一生懸命走る。その状態では多分、不満は感じていない。逆に不満が強ければ強いほど、達成したいという元気エネルギーは強いはずだ。しかしそれが達成できるとどうなるか。
 たとえば友たちが外車を持っているのに、自分は日本の中古車なので悔しくて仕方ない。後日ようやく自分も外車が買えた。最初はうれしくて涙が出るかもしれないが翌日はもう、涙は出ない。それだけのことだ。1980―90年代の日本人が到達していたのは、「目標喪失シンドローム」という虚脱感ではなかったのだろうか。
 これまでは不快を克服するためにがんばってきたが、これからは「愉快の創造」でがんばって行くのではないのだろうかと、勉強会で話してきたものであった。


大失業時代から会社至上主義へ
 で、バブルがはじける。リストラ、成果主義、コスト至上主義がはっきり形を見せてきた。「会社がこけたら元も子もない」という会社至上主義もあった。
 そのころテレビ大阪が「大失業時代が来るか」という番組を放映した。そのときの私は番組の中で、世間を脅かしてはいけない、大失業時代は来ないし来させてはいけないという立場だった。厳しい時代をサラリーマンはどう生きたらよいかについてゲストのH教授は、どこの会社に行っても通用する技術を身につけろと発言した。
 しかしそれは難しい。多くのサラリーマンはどこの会社に行っても通用できないから四苦八苦しているのだ。発言を乞われた私は、後ろからド突かれ、前から引っ張られ、肩をたたかれて首の皮一枚になっても今の会社にしがみつけと言って拍手を受けたものだった。これは少数の「役立たず社員」の話ではなく、8割の多数派の、皆さんの話である。どこの会社に行っても通用するエリートなんて2割ぐらいしかいないのである。
 ヒラのサラリーマンがタクシーチケットを持っていたバブル時代が終わり、職場の声なき声の連中は首をすくめ蛸壺に入って、目立たないように振舞っていた。大きな顔をする部下を育てよ、どころの話ではなかった。
 蛸壺に入っている連中の心境は自己中心主義だろう。――わが社は困っている、自分の給料を我慢するだけでは間に合わないから、自分ががんばって何とかしなければならないが、一人だけがんばっていたのでは周囲から浮いてしまうし…――と。
 1980-90年代、中国に赴任した日本企業の皆さんにインタビューした。駐在員の皆さんは「早く日本に帰りたい」と言っていた。ところがこの10年ぐらい前から、今度は口をそろえて「帰りたくない」と様変わりした。
 たとえば四国の優良企業駐在員で現地社長の某氏の場合、年二回帰国したとき本社の会議で自分の考えを発言すると、周りの連中がしらけている。同期から、お前なんでそんなに熱くなっているのかと言われる。
 M電機北京の半導体工場社長も「帰りたくない、こちらのほうが面白い。国内ではやりたいことの意見を出しても乗ってこない。ところが中国は、責任は取らなければならないが、やりたいことが実現できる」と言っていた。勤勉という言葉はいまや中国人のためにある、日本人のどこが勤勉か、とも言っていた。
 確かに日本企業の社内では官僚主義が蔓延して、言うべきことも言わない。自己保身、他人のことは見ない、組織離れ、会社離れが進んでいた。組合離れは労組が潰れれば終わりだが、怖いのは会社離れであろう。
 「成果主義」も問題を残した。がんばって報われる、がんばらなければ報われない、それはそれでよいが、現場前線の社員の悪戦苦闘を人事は知っているのか。職場の人たちは、働き方に不満があるのだったら労組をもっと突き上げても働くだろう。しかしそうではなくて、組合員がタラタラしているから執行部がそれを反映してタラタラしているのかもしれない。そうだとしたら、それを見ている人事部はなぜ気がつかないのか。
 それは働く人への「お金」「出世」のインセンティブが弱いことを示しているのではないのか。成果主義の制度は誰でも作れるが、制度は運営し、定着し、組織を活性化するのが難しい。そのために人事は人を知らなければならないのだが、多分知らないのではと心配している。


不快の時代
 2003年、ライフビジョン学会で「今職場で何が起こっているのか――人事システム崩壊の危機を克服するために――」という連続ミーティングを行った。その結論は、「今の職場にはやる気、コミュニケーション、マネジメントが不在」というものだった。
 モラール(やる気)を分解するとコンフィデンス(信頼)とプライド(誇り)だという。そう考えるとバブル崩壊以降の人事管理は、お前のコンピテンシーは何か、どこの会社に行っても通用する人間になれと言い続けた。つまりそれは、お前はたいしたことない、役に立たない、負け組でいいのかとプライドを傷つけ、お前の横にいる仲間を敵とみなせというような、人事管理のベクトルとしてはずいぶんもったいないことであった。
 雇用不安もあった。「どこの会社でも通用する社員」がそんなに多いとは思わないから、半分の人は、自分は大丈夫だろうかと不安になる。そこに「ぼやぼやしていたら置いていかれるゾ」と言われたら、何か手柄を立ててがんばろうというより、自分より優秀な人がいると自分が相対的にやばいから、あいつの足を引っ張ろう、と思うだろう。
 表面的には会社が苦しくなったから会社至上主義、コスト至上主義、リストラ、成果主義だと言うのはわかる。しかしそれが、皆の長期的元気の引き出しになっていたのか。すでに80-90年代は元気を掻き立てるものがなくなっていた。いまも景気は良くなったと言われるが、職場にはまだ不愉快、不快の時代が続いていて、元気がないように見える。
 動物は飢えと性欲によって生命を存続させる。親の世代は貧乏でも子供を生んでいた。子供は生存欲求によって生まれるものだ。自分の命が危ないほど、種を残そうとするのが本能である。にもかかわらず今の日本では、子供を生めと言って金を出す。飢えと性欲をもう一度分析したほうが良いのではないだろうか。
 現代人の元気エネルギーはなくなった。昔の飢餓賃金時代を経て、動物的状態から解放されていまは多分、退屈しているのであろう。一方で世の中どうなるかわからないと脅されて不安も感じている。「不安な状態」は何もしていない、ニュートラルである。飢餓賃金時代には緊張感があって元気を出していたのに比べると、いまはやはり「電池切れ」症状に見える。


高い志と人間尊重の経営

 2007年、日本経団連は経営労働政策委員会報告2007年版のなかで、「Corporate Social Responsibility」「Compliance」「Work life Balance」などを主張している。
 経営者が「CSR=企業の社会的責任」などを挙げる理由は、それを果たしていないからである。本当に言うべきはメセナ、フィランソロピーで、企業が法人として、儲け仕事以外にもっと社会に貢献していれば素晴らしいが、なかなかそうなっていない。
 「コンプライアンス」、これも、それが欠けているから言うのであり、単なる約束でなく、メセナ、フィランソロピーに道義的に広がっていくものである。
 「ワークライフバランス」。これもバランスがないから言う。だいたい「ワーク」が先なのはおかしい。生きるために働いているのであるから、「ライフ・ワーク・バランス」であるべきである。
 経営者は「人間尊重の経営をする」とも言う。このところ一過性儲け主義でコスト至上主義の人事管理になっているので、日本型に戻せという説もある。しかし日本型人事管理とは何か。
 日本では明治後半になって人事管理が始まるが、当時の人事管理は「御家」大事であった。従業員である番頭丁稚は「御家」の一員ではなかった。これが企業一家主義である。経営者に逆らわなければ温情で応えてやる、というのが明治時代の人事管理である。
 明治後半以降になって産業法、工場法ができてきても、人事・労務管理が何であるか理解されていなかった。警察署長、元小学校校長などが明治時代の人事責任者となった。したがって人事管理理念はなく、温情主義の企業一家主義しかなかった。昭和に入り戦争に突っ込むと、今度は軍隊が工場に入り、もっとひどい人事管理となる。
 敗戦後、初めて人事管理に就いた先輩たちは、戦前の人事管理の再建・発展ではなくて、(戦前の人事管理は無いどころかマイナスだったからマイナスから立ち上げて)新しい人事管理を作ろうとした。しかしツールがない、そこに入ってきたのがアメリカの人事管理ツールである。つまり日本の人事管理の元はアメリカ型なのである。日本型人事管理の規定をはっきりしないまま、戦前の徒弟奉公的な人事管理に戻されるのでは歓迎できない。
 「長期的視野」というのも、言葉だけではわからない。経団連重鎮の企業でも偽装請負をしているのに、「経営者の高い志を持て」とも言う。何かしっくり来ない。
 働いている人たちの中ではサービス労働、偽装請負、不祥事などが一杯起きている。正社員、非正規社員問題もある。ゼンセンはパートの組織化を進めている。昔のパートは家の貧しさを理由に稼ぐのが主流だったが今のパートは違う。すでに半世紀前に、パートが外車に乗って会社に来ていたと話題になった。人事や組合役員(男性が多い)はまじめで、面白がりが少ないが、パート(女性が多い)は面白がりが多いから、パートの組織化に期待している。
 経営者団体の主張は今の状況を受け止めているとは思うが、現実に起きていることは何か違う気がする。


不快から愉快への挑戦
 今もし、日本の経営、人事管理、組合活動など『働く人のシステム』がなんとなくうまく行っていない、働く人が面白くない、電池切れしているとしたら、その責任はどこに行くのか。
 組合も経営も、ふにゃふにゃしているのはそれぞれの担当者が悪い。しかし社内、組合、社会が悪かろうと、結局はわれわれ一人一人が問題なのだ。
 リーダーが悪いから英雄出て来いというのは民主主義の否定である。英雄待望論とは一騎当千の人にすべてを任せてそれに従うという奴隷根性であり、民主主義の思想とは一致しない。会社組織は上意下達で上の人に従うものだと便宜的に決めてはいるが、民主主義は会社の中でも徹底しなければならない。CSRにしても、企業の中の常識が一般社会とずれているから不祥事が起こるとのである。しかし社長ひとりがすべて悪いのでなく、実際にやっているのは末端のわれわれ勤め人である。ナンでヤネン、これがさびしい。
 昭和20年代の先輩が言っている。われわれは資本主義の社会に生きている。資本主義は放置すれば弱肉強食、利益だけを追いかけることになるけれど、制度が一人でやるわけではなく、その制度の中で動いているのは人間だ。だから一人一人がこれでよいとコミットできる組織活動をするのが、人事部の仕事だと。今の人事マンにその気概があるだろうか。
 勤め人自身のあり方がすべての第一歩である。
 日本の組織社会は民間企業も官僚主義的になっている。隣の人のことはわれ関せずなんておかしい。隣の人ともメール交換で用事を済まし、朝から帰るまで一言もしゃべらず、周りの人はしゃべらないことを歓迎しているなどという話も聞く。私が就職した職場は夢のある職場だったから余計に思うのかもしれないが、最近の職場は電池が切れているのではと思う次第である。


奥井禮喜
有)ライフビジョン代表取締役
三菱電機労組中執時代、日本初の人生設計セミナー開発。人と組織の元気を開発する講演、研修、コンサルテーション、執筆活動中。




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