2008/04
ワーク・ライフ・バランスの欺瞞ライフビジョン学会




 2008年3月29日土曜日、ライフビジョン学会はワーク・ライフ・バランス公開研究会を行った。

 最初に今回のチューターである石山浩一氏が、ワーク・ライフ・バランス(以下WLB)の現状を紹介した。

 いま行われているWLBキャンペーンは、@少子化対策、労働人口増強(政府)、A柔軟で自立的な働き方の確保(経団連)、B家庭と仕事の両立、労働時間短縮(連合)と、それぞれの狙いはまちまちである。

 内閣府が発表した「ワーク・ライフ・バランス憲章」では、仕事の充実があってこそ人生の生きがいがある、と倒錯した前提の下、企業間競争、経済低迷、不安定な雇用、夫婦の役割分担などなどがワークとライフをアンバランスにしているので、多様な働き方を模索して、働き方の改革をしよう、としている。

 このWLB、ネーミングはいかにも働く人のためになりそうだが、書かれていることはどこまで行ってもワークしかない、ライフが無い、人生はどないなってんねん!これではただの「働く機械増産計画」、本当の狙いは労働規制緩和ではないのか。

 石山チューターの説明に続けて、ライフに重点を置いたワーク・ライフ・バランス論を打ちたてるべく、参加者による意見交換を行った。コメンテーターは奥井禮喜。



1 時短は個人の意識しだい

 参加者の一番の関心はやはり、労働時間問題であった。流通、外食、サービス業を中心に365日・24時間営業体制、WLBに逆行した労務管理が行われている。
 流通は人手不足の中で長時間営業を続けている。家庭の事情で二時間通勤しているT氏のある日は昼出勤、夜は10時まで会社にいて、家に帰り着くのは1時。それから食事。ひどいときは翌日7時の出勤のために4時起きのこともある。本を読むのは歩いているときか通勤時間しかない。
 携帯電話の普及で、労働時間の区切りもなくなった。「ものを売ったり修理したり、競争力を高めるためならいつでも行きます、という会社の政策がある。携帯電話ではみんな泣かされている」と電機D氏。機械C社は携帯電話を当番制で持たせ、電話を持つと手当てが付く。「当番でも飲んでしまう人もいるし、客からは飲んでいてもいいから来てほしい、飲んでいるのに申し訳ないね、なんて言われたり。(笑い)」
 「帰りたいのに帰れない」と困っている人にとって、問題は上司である。特に単身赴任の男性は家に帰っても話し相手はいないし、職場は快適だから居残りが多くなる。彼らと定時終業で帰る女性が比較されればどうしても、職場に長くいる人の評価が高くなる。これでは全体の働き方が長時間労働に引っ張られる。ライフが充実した人はこんな働き方はしないものだ、と流通A氏。
 職場を任された責任感から居残りせざるを得ないという意見もあるが、個人の意識も大きそうである。残業の多い職場でも、結婚したてや子どもがいる人はうまく時間を調整して早く帰っていると外食G氏。流通A職場では新店長の方針で、それまでの長時間常連者も早く帰るようになった。運輸B社は、社長が変わったら長時間労働を問題視するようになった。
 機械C氏は、「上司が言うから止めるのは隠れて残業するようになる。ちゃんとできているところは部下も分かっている。部下が意識していることが重要だ。逆に上司が悪くても部下がしっかりしていれば変わるところもある」という。
 岐阜県の未来工業・山田社長は、従業員の反対を押し切って時短を進めている。会社は人間がたくさんいる、その人間の時間の数ほどトラブルがある。人間は減らせないが、在社時間は短いほどトラブルは減るから、という。
 長時間労働は今の日本では仕方ないなどとあきらめるのでなく、時短はやればできる、取り組みをしないから直せないという認識が必要なようである。


2 やっぱり賃上げが必要だ

 運輸F氏によると「長時間で働く人は残業込み収入で生活をまかなっている。時短やワークシェアは、自分の手取りが減るなら困るという。会社は時短を進めたいのに、社員の思いは別のところにある。」
 外食G社は「おいしさ365日」として、夕方5時から朝の5時まで営業している。残業は店長平均75時間。店舗を回って残業を減らすように話をすると、こちらも手取りが減るからそんなこと言わないで、と返ってくる。
 基本給が少なくて残業無しでは生活できない人もいる。あるいは家庭の事情で賃金の安い、転勤のない地域限定の働き方を選ぶ人もいる。残業の稼ぎはすでに家計に組み込まれている。
 残業無しでは暮らせないとすればそれは、春闘の賃上げ圧力になるはずである。労働運動が盛んだった時代は、ライフのためのワークの条件が悪すぎたから、職場環境、賃上げや労働条件向上に人気が集まった。WLBとは組合運動の本質である。
 欧米の場合は、組合員クラスの人は原則8時間で仕事を終える。金を稼ぎたい人はそこからムーンライトビジネス、他の会社にサイドビジネスに行く。ところが日本では、同じ会社で残業すれば割り増し手当てが付くから効率が良い。
 残業代が月に4−5万となれば、ある種の麻薬みたいになっている。もし残業代がないと考えたとき、所定内賃金だけだと考えたとき、圧倒的多数の労働者から文句は出ないのだろうか。やっぱり賃金はまだ、足りないのである。


3 「長時間労働は悪くない」論
  
 一方で、仕事が好きでやっているのだからほっといて、という人たちもいる。
 通信系E社では月40−50時間の残業が恒常化している。彼らはやらされ感ではなく、自ら成果を出したいとモチベーションが高い。特に若手が深夜まで働くので、職場には活気がある。会社の評価制度もきちんとしている、時間外もきっちり申請をしている。不払い労働はパソコンのログでチェックを徹底している。
 E氏は、この様な状態で「長時間労働イコール悪いこと」と言えるのか。個々の社員・組合員は働き甲斐のある職務にあり、長時間労働をやりたがっている。それはそれとして、関連免許取得とか、1週間のライフプラン休暇とか、余暇とのバランスも考えている。若い連中は夏休みの取り方もうまい。ギクシャクした労使関係が生じないのであれば、良いのではないか、と問題提起する。
 運輸B社の仕事は個人事業のような仕組みになっている、やればやるほど成果を実感できる。ドライバーは車を会社から預かって、一度外に出たらフリー。自分の工夫次第で生産性を上げ、歩合給を増やし、客のサービス向上のための仕事をしていれば、時間はいくらでも過ぎていく。こうして年間15ヶ月分ぐらい働く。
 そんな作業環境なので新しい社員が集まらない、採用しても少し経ったら辞めてしまう。理由は、仕事がきつすぎるのだという。どこかで仕事を終わらせる仕組みを敷かないと、このままでは長時間労働や過労死問題、新規採用難などで会社は困った立場になる。――r
 この問題は悩ましい。本人が働きたけば「自由」に働かせればよいものだろうか。
 コメンテーターの奥井禮喜は次のように言う。
 ――実存哲学のサルトルは、自由はのろいであると言う。パスカルもパンセで、人間は退屈したら窒息すると言った。人間は猫と一緒で、動くものを見るとちょっかいを出したがると言った哲学者もいる。遊びでも仕事でも、何か気分がまぎれるものがあればよい。
 自由というのは自分で意思決定して選択しなければならないからしんどい。単身赴任のお父さんが行くところがないというのもあるが、哲学者は、人間は自分が何をしたいのか分からない存在だ、という。したいことのある人は良いが、大概の人は持っていない。
 人間はエネルギーを使って生きる。生きるということはエネルギーの消耗である。それは生存と反対方向に行くことだから、基本的には消耗しないように行動する。
 人間は一方で反対の行動もする。遊んでいるときとか自分が好きなことをしているときである。漁師でも仕事を終えたらもう釣りに行かないのに、一般の人は夜中に起きて釣り(=エネルギーの消耗)に行く。
 このように考えると、いまのサラリーマンの働き方はエネルギーの消耗を大きくする方向にある。すると会社に長い時間いるのは、仕事で役に立っているのか否かは別にして、本人はそこにいることが気持ちよいのかもしれない。
 人間は絶対死ぬ、死が怖い、死を意識しつつ生きたくない、死を意識せずに夢中になってPPK(ピンピンコロリ)で逝きたい。激しい仕事は見えないうちに体をどんどん壊しているはずだが、そこで猛烈に働いて、夢中になって生きる、燃焼することは、死ぬ時間を早める。この辺からエロスとタナトスの話になり、文化論である。
 問題は、あなたの仕事は死に値する仕事ですか、ということだ。
 良質の緊張は長くは続かない。長く働くことは質の悪い労働力を提供することであり、生産性向上を題目とする企業の、最も望まないところである。自分の仕事質をもっと上げようとすれば、働く時間の限度もおのずから決まってくるものであろう。


4 人事部門の弱体化
 
 残業問題は当事者意識以外に、人事管理にも要因がある。
 団塊の世代が卒業していく、特殊技術のある、核となる人が抜けていく。採用のひずみがあってそれを埋める人がいない。
 管理部門の縮小や集中化で、場所によっては人事労務機能が間に合わない。労働時間は安全衛生の問題だから人事は絶対の力を持っていたが、最近では営業部門の長時間労働体質を止められないまま、営業部門の橋渡し役になっている。「人事は経理の下請け」といわれて久しいが、最近はもう一段、深刻になっているようだ。
 流通F氏は、売り場の状況を紹介した。
 職場をマネージすべき管理職は、仕事の効率を上げるため自ら部下の作業に出て行く。当然他の部下の仕事を見られない、本人との意見交換ができない、人事評価の仕様がない。個別事情に配慮した人の配置も能力の見極めも、職場の指揮、マネージメントができていない。
 流通では短期アルバイトもかなりいるから、誰が入っても仕事ができるように教育をしなければならない。しかし地域によっては人が集まらないから、核になる人が長時間労働をせざるを得ない。いまの派遣を正社員にして待遇を上げ教育しないと、正社員の長時間労働はなくならない。顧客サービスを多少下げてでも、本来手をつけるべきことに手をつけるべきである、と考えている。


5 財界はなぜ熱心なのか
 
 WLBへの、働く当事者の関心は低い。話題はもっぱら人事・労働関係者の間だけ。しかし財界はずいぶん熱心である。なぜか。
 S氏は、WLBの狙いはきっとホワイトカラーエグゼンプション制度の導入であろうと言う。
 ――これはいま流行の「名ばかり管理職」に皆がなることだ。派遣労働法の改正でワークプア、低所得者が誕生した。最近では教科書に「愛国心」が入ってきて、心を法律で縛ってしまった。WLBもメタボ対策も、人の生き方を法律で決めてしまう危うさを感じている。
 自分の生き方は自分で決めなければいけない。口当たりのいい言葉の中に爆弾が仕掛けられているから、そういう法律は疑って、個々人は防波堤を持っていなければいけない。――r
 確かに、労働時間をめぐる日本の政・財界の動きは、グローバルを標榜するにしては後ろ向きの歴史が続く、とコメンテーターが解説する。
 ―�919年、第一回のILO総会で婦人年少者の深夜業禁止と8時間労働制を決めた。日本は政府と財界が反対し、インドと日本は10年間の猶予を求めた。繊維業は女性の労働を16時間やらせていたから、反対の急先鋒は繊維の経営者であった。鐘紡の武藤山治は、小人閑居して不全をなす、日本の労働者は仕事を取ってしまうと時間が余って悪いことをするから、仕事をさせておいたほうが人間育成に良いのだ、と演説した。
 1935年、第二次大戦の前に世界は週40時間に流れる。しかし戦時体制に入ることから、条約にできなかった。1962年ILO勧告で「労働時間短縮に関する勧告」が出て、40時間労働が国際的な条約となった。このときも日本政府は棄権、財界は反対。日本の政財界は一貫して、労働時間を長くする方向に圧力をかけている。――r
 にもかかわらず働く側は、政治への働きかけはおろか、政治無関心をかこっている。
 政策のプライオリティを変えろと言うのはK氏。
 「WLBはみんなそれぞれの立場によって視点、主張が異なる。共通しているのは36協定ぐらいだから、みんなでこれに取り組めばよい。長時間労働防止に労働基準監督署の人手が足りない、監督できないというのならば、メタボ対策で予算と人手を講ずるよりも、こちらにプライオリティを上げればよい。駐車違反対策で違反チェッカーをたくさん作ったが、基準監督署にも第三者委託のチェッカーを増やせばよい。長時間労働問題には法的側面からのフォローができるのではないか。」
 「外食、流通などの店舗で本当に長時間を無くそうと思えば、国が営業時間などの縛りを設けてほしい。経営者はどうしても、開ける時間を長くして少しでも売上を上げようとする。働く側はサービス残業で人件費は変わらず、経営者には売上だけが残る。この構造を変えるために大店舗法改定をもう一度、やったほうが良いのではないか」とG氏。


6 どこから改善していくのか
 
 ここに掲載しきれない話題をまだまだ盛り込んだ、3時間半の話し合いはまとめに入った。
 「今日の話は一つ一つは良く分かったが、経済的問題なのか、文化、価値観の話なのか、個人的な生き方問題か家族か、社会的問題なのか、全部混在している。その辺を深く分析し、見つめなおさないと、働き手側からの戦略的なものができないと思う。その辺の戦略性は、今の連合以下組合は、まったく持っていない。」と通信T氏。
 I氏「流行り廃りの言葉に踊らないで欲しい。WLB数値目標など、経済的自立にしても、時間を確保しましょうというのも、過去の先輩たちが長年かかってやってきたのにそうなっていない。紙に書いたぐらいで実現できるならば、とうに実現している。もっと裏に隠れている本質的なもの、思想、文化を含めてそれがなんなのかというのを突き止めて欲しい。」
 押さえておきたいのは、政財界が打ち上げたWLBのアドバルーンにライフ=生活の当事者が反応しなければ、一人一人が、こんな働き方でも大して文句を言わないとなれば、またこの調子で次の手が出てくることである。
 日本の労働運動の歴史を見ても、労働時間に対する取り組みは非常に弱い。春闘で賃金と時間をセットで出しても組合員は、時間はどうでもいいが賃金だけ上げろと言ってくる。時間と金は同じなのだが、その感覚がない。
 今の労働時間は長すぎる。8時間労働の意味は重い。36協定が軽すぎる。WLB論が出てこようが来まいが、時短は取り組みをしなければならない。これは組合役員の仕事である。取り組みをしても組合員がなかなか乗ってこないことには同情する。組合員が乗ってこないからと本気に取り組まないのならば同情できない。職場に摩擦を起こさないと運動は起こらない。――コメンテーターのまとめは組合リーダーへのメッセージとなった。
 出されたたくさんの課題は次回6月21日、ライフビジョン学会と余暇学会合同によるシンポジウム「ワーク・ライフ・バランスを検証する」に続く。
(文責編集部)







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