庭の桜から母屋を臨む
猪肉の余分な脂を取る
ダッチオーブンでローストビーフ
ポーチドエッグはやさしくゆっくり
先生の作品は歴然
盛り付けには絵画の心得もと、自作の油絵
総合芸術のひとつ、川柳千首も
ガツガツと飲む人生の上り坂
ゆったりと飲む人生の下り坂
堂々たるエントランス
恵みの宝庫、里山風景
母屋の縁側での一同 |
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60歳でホテルシェフを定年退職した坂口邦男さん(ライフビジョン学会会員)は昨年、住み慣れた都会を離れて田舎に中古民家を購入しました。
2009年3月連休、ご夫妻のご好意により新居に泊めていただき、ライフビジョン学会主催「リタイア後の生き方・暮らし方研究会――お金をかけない退職後人生の実践法――」を開催させていただきました。
■多彩な食材で食の快楽 この日集まったのは、西は山口から東は東京まで、平均年齢60歳の総勢14名。参加者の狙いは元ホテルシェフである坂口氏による料理教室と、定年後の里山暮らし情報交流。
会場としてご提供いただいた坂口邸は敷地410坪、建物面積75坪。和風の植え込みに面した二階建ての母屋と離れ、二階建ての作業場と屋根の高い物置、それに畑が付いて、定年後のご夫婦には大きすぎる新居である。訪れた時はまだ桜のつぼみは固く、作業場に巣をかけた野鳥が出入りし、時々鶯の声も聞こえる頃であった。
筆者が到着した時には既に山ほどの、山海の珍味が積み上げられていた。これらはみな、地元から参加した皆様からのお土産であった。
まずは猪肉。参加者の知り合いがこの日のために仕留めてくれたもので、銃で仕留めたのではなくわなで捕獲したもの。
野生の鳥獣を楽しむジビエ料理は、日本でも気取ったフランス料理店のメニューになっている。ブリア・サバランによるとジビエには、@小鳥類、Aつぐみより大きい鳥からウサギまで、B猪、子鹿など裂趾動物(これを特にヴネーゾンと言う)があり、その著作「美味礼讃」には貴族たちが狩りをして、その獲物を食べる話がある。我々平民には縁がないと思いきや、ここで貴族趣味の僥倖に浴すことに相なった。
ところで最近では東京近郊でもイノシシが出没してニュースになっているし、北海道のエゾシカも増えすぎて困ると聞く。日本でもきこりが野兎や鹿、猪を仕留めて食べていたのだから、「害獣」を食べてヤッツけるのは環境と食糧、ついでに狩猟レクリエーションにもなって一挙三得ではなかろうか。ついでながら童話で有名な「狸汁」は臭物と言って、カラスやキツネとともにジビエには含まれないのだとか。
地元広島の大ぶりのカキも箱いっぱいで感動ものだった。フランス人はシーズンになると牡蠣をダース単位で、それも前菜に食べるのだという。目の前の牡蠣は皆が1ダースずつぐらい食べられそうな量であった。
そのほかとれたて野菜はセリ、フキノトウ、菜花、わけぎ、葉わさび、大根、丸々太ったシイタケ、フランスはゲランドの塩、塩漬けみそ漬け奈良漬け野菜、こんなに食べられるのかしら。
この食材を前に、坂口先生は次々にメニューを繰り出す。
まずは「煮猪」。猪肉ロースは外側の余分な脂をそぎ落とすのだが、肉捌きはさすがプロの技。ダッチオーブンに赤みそを塗った肉と水、酒、砂糖、つぶした八角を加えて強火で2時間。残った煮汁は煮詰めてソース。切り分けた肉に掛けていただく。
次は「ロースト猪」。紐で縛った肉塊の外側を焼いたのち、ダッチオーブンで蒸し焼き。中まで火が通ったかを確認するのは鉄串を深く差しこんで抜き、その串を唇にあてて焼け具合を見る。焼きあがったら1cm厚さに切り分け、ゲランドの塩と黒の粒胡椒、フキノトウのみじん切りとニンニク醤油を振りかける。フキノトウが新鮮な風味を添える逸品。
もうひとつは「猪ステーキ」。鉄板でも網に挟んで焼いても、ステーキは素敵。
「牡蠣とわけぎ」は酢味噌でヌタに。セリと薄焼き卵、かまぼこを彩りにしてごま油・砂糖・醤油・酢であえものに。フキノトウは塩ゆでにして、みそ漬けに使ってあるみそと砂糖で味付け。
最終日の朝食には「ポーチドエッグ」。白身が黄身を貝のように包みこむ卵料理。お湯に3%の酢と1%の塩を入れてやさしく落とし込むと、卵は60℃で固まり始める。「この禁を破ったらキミが悪い」。料理人は手八丁、口も八丁。
料理は自然の風景を題材に、絵画を描くつもりで盛りつける。そこにオロールソースをかけて出来上がり。オロールソース(オーロラソース)はケチャップとマヨネーズを均一に混ぜたもので、ホテルではもちろんマヨネーズから作る。
坂口邸のあちこちには、自作の油絵が飾られている。盛りつけは絵画、料理は総合芸術、これは言葉だけではないのである。
■定年後の里山暮らし報告 定年後の田舎暮らしについて坂口さんは、自らの体験を次のように紹介した。
――定年後は洗濯と掃除、プラス食べることができればひとりでやっていけます。仕事に就く場合は今までやったことを、あるいはそれに類した仕事がよい。できたら同じ仕事をやり続けることでしょう。私は市内の料理学校教員として、定年前と同じ仕事をしています。
世にいわれる「定年鬱」は、私も感じたことがあります。都会でマンション暮らしをしているとすることが無い、何もしないで時間が過ぎていく。掃除など30分で済んでしまうし、外出すればそれなりのお金がかかる。これでは続きません。
ここは広告で見つけました。下見に来ると、「広告には高いことを書いているが中はボロボロですよ、母屋をつぶして離れで暮らしたらどうですか」とご近所さんが言いに来るぐらいの物件で、庭には釘やタイルなど工事用廃材がいっぱい散らばり、草はボウボウ、植木は伸び放題。2−3年放置されていたようで、しかし内部の改装だけは済ませてありました。
しばらくの間、不動産屋と「買います」「辞めます」のやり取りを繰り返しました。市役所に行って住宅の簿価や土地・家屋取得税などを調べ、そこから逆算して自分なりの胸算用を立て交渉しているうちに、だんだん手の届く値段に下がってきました。そこで「お内儀」に頼んだら、買えるだけの金をポンと出してくれました。私が仕事をしてもらいたくなかったので、妻はずっと専業主婦。昭和39年の入社以来給料は銀行振り込みで、私は給料など見たことなかったほどなので、どうやって金儲けしたかわからない。すごい奥さんです。――r
■銀行振り込み?ずいぶん早いね。僕なんか給料袋が厚くて二つ折りができない、ポケットに入らないので持って帰るのが大変だったネェ。
■私のところはだから、銀行振り込みだったのですョ。(爆)
――それで今の屋敷を購入し、庭の釘やタイルを片づけ、倉庫の中を掃除し、草取りをして畑を作り、気が向いたときに仕事先の料理学校に行くようになりました。
私の場合、授業のある時だけ行くという条件の正規採用で、時間給5000円の特別教員です。9−5時勤務で縛られるとか残業があるとかは、現役仕事でもう十分でした。
私のいた水商売というのは目いっぱい働かされるもので、すごい時には毎月がボーナス状態で、若い料理人が月に60−80万ぐらい稼いでいた。でもにこにこしているのは明細書をもらった日だけで、あとはむちゃくちゃ働いた。そんな激しい働き方をしていたのに、自分が長になったら基準監督署がそれをさせてはいけないという、時代が変わったものです。
それで世の中は変わっても、自分の老後ならぬ「老中」は、それまでと同じことをやり続けることが一番です。そうすれば金のありなしは関係なくなる。――r ではお内儀はどのように?と話を向けると、
――十分幸せにやらせていただいています。ここに来るに当たっては私も、本当はずいぶん反対しました。先々のことを考えるとこんなに広い屋敷はいやじゃ、掃除も植木の手入れも草むしりも、必ずできなくなる。前のところは買い物も病院も便利で、足腰が弱ってもすぐ行けるのにと、不都合な心配ばかりしていました。
でも夫の口がうまいし、私も広い家に住みたいという願望もありました。そうするうちに値段交渉は押したり引いたり、だんだん下がっていく。このチャンスを逃したら次はなかなかないだろうとか、あったにしても小さな家だろうとか。そんなことも考えるうち、半分泣く泣く、半分しょうがないかと。
実際住んでみると、草むしりや野菜づくりはあまり嫌いでもないし、することがいっぱいある。部屋もたくさんあって今日はどこに寝ようか、とか。お隣さんたちが、今日はどこで寝てるンと言ってくるけど、そういうことはあまり明かさないほうがいいので、「渡り歩いています」と笑わせています。
今は楽しい、それが大事だと思っています。今まで長年食べさせてもらって、時々きついことを言われもしたけどけど、のほほんと幸せに過ごさせていただきました。――r ヨッ、と誰かの声が飛ぶ。夫は照れ隠しなのか、「私はたぶん、ヒットラーやナポレオンのように女房を怖がっています。とことん敷かれてます。本当にできるヤツは敷かれているものです」と話を引き取った。
■古参夫婦、阿吽の呼吸 「うちの女房も大反対でした。」Kさんも定年を機に農耕人生活を始めた一人。定年になり退職金を半分ずつしようかと妻に提案したらいらないというので、現役時代から温めていた山小屋計画に退職金の1/3を投資した。家と土地、竹林も付いた山小屋は家から車で15分のところにあるが、妻は山小屋に来ようとしないので、夫は自由に過ごしている。前の住人が残して行った錆びだらけの鎌にグラインダをかけて磨いたり、草を刈ったり。草刈り機は3台ほどつぶした。チェンソーも2代目だが、大きなのは引っ張られて怖いから小ぶりなものを使っている。「とても面白いよ。道具を使うことが、楽しく生きる重要な条件だと思う。」坂口邸の物置にも、ちゃんと研ぎが入れられた道具が並んでいた。
不況で生活レベルは下げられないと心配する人がいるがKさんは、ものの考え方や生活パターン、生活の質は変えられると考えている。たとえば物をどれだけ上手に使えるか。トマトを作る、残った枝を堆肥にする、もしくは乾かして風呂で焚く。物の命を徹底して使うスローライフで行こうと思っている。「タケノコと梅のシーズンはどうぞ来てください。タケノコは猪がすごく来ますよ。」
聞いていたYさんは、「僕だったら、妻が好きにしてくださいと言ってくれたらほとんど家に帰らないだろうな」という。車にダッチオーブンとテントを積んでどんどん行ってしまうのが願望だ。車の中に宿泊施設を揃えれば、遊び呆けても資金はいらない。「今は相思相愛の妻の言うとおりの生活をしているが、愛していても一人のほうがよい。」
ウォーキングに入れ込んでいるWさんは16日ぐらい帰宅しなかったがその間、家に全く電話しなかった。妻からの電話も一本もなかった。仲間たちは「そういう人はいっぱいいるよ。みんなそれぞれに楽しんでいるからね。」古参夫婦とはすごいものである。
山育ちのFさんは、小さい時は農業がいやだったので医療関係に就職したが、今はすごく帰農したい。町に暮らし里山にもう一軒家があって、体が弱ったりしたら時々街に帰る生活が夢だという。一方73歳のAさんは、かつてマルチハビテーション(最近はデュアルライフというらしい)を実践したが、5年ほどで行かなくなり、今では固定資産税を払うだけになっている、とも。
■道草の多いおしゃべり いよいよ夜は深々、そろそろ寝袋に潜り込む人たちが現れる中、話好きが佳境に入る。
食品添加物に興味を持ち始めたFさんは本を読み漁り、食品を買うときはいつも裏のラベルを見るようになった。たとえば醤油。塩と大豆と水があれば作ることができるのに、それ以外の原材料名がいっぱい書いてある。切った生野菜のパックも、野菜丸ごと買ってきて半分腐らせるよりはよいとか、食べたい物をすぐ食べられるというメリットもあるが、その代償として食品以外の薬品で鮮度保持の加工がされていることを知らない。消費者は忙しい残業帰りに便利なそれを買って、お皿に乗せてハイ、という生活を送っている。
昔は「主婦連」が安全な食品や税金、社会の不正に監視体制を組んでいた。日常生活で自分が口にするものが安全か否かは、「消費者庁」などという官製の機関に頼るのでなく、消費者が運動して守るものである。しかし今はラベルの日付で判断し、ブランドを信用する。その裏側に食品添加物がある。
添加物の安全基準はラットたちに単品だけ食べさせて致死量を図り、人間はこれぐらいにしておこうと。こうしていろいろなものを、何種類も複合接取しているが、何年で死ぬかは未確認。人間は今、人体実験中なのだ。本物を選ぶ目を養わなければならないと、とFさんは勉強の成果を紹介する。
「でもビールにポテトチップス、うまいんだ。おいしく食べられるように作っているんだなぁ。」
ある勉強会で、聴衆の目の前でいろいろな小瓶の添加物を混ぜてラーメンの豚骨スープを作ってくれた。確かにいつも食べている味。化学の実験のようにスープができる怖さ。同じ製品でポテトチップスなどのお菓子も作られる。今の子供たちは本当の食べ物の味を知らない。
先進国で食品添加物に一番緩やかなのは日本だという。緩やかというより本気でやっていない、とも。結局自分たちで手掛けたものだけが、安心して食べられることになる。
日本はここ30年ぐらいでずいぶん変わり、生活の中で知らず知らず教えられてきたことも、核家族化などで伝わらなくなっている。「われわれ世代は新しいことがよいものだとし、古いものは切り捨てなければ、と考えていた。それが断絶を作った」とAさんが言えば、「それはものすごくあるね」としみじみ、Kさんが続ける。
戦前、戦中生まれが話を続ける。
「世界史的に見たら日本は明治以来この150年ぐらいで、別の国の人が3−4世代で変わるものを一挙に変えた。明治44年生まれの私の父が読んだ本、音楽は私と断絶しているし、その母親は明治4年生まれで、そことも断絶している。」
「戦争に負けたのに敵国を一夜にして万歳と受け入れた。趣旨の違うものをつないで平気でいられる日本人は、特異な連続性を持っている。戦争に勝った負けたという話は世界中にあるが、それによって国民性が変わったという話は聞かないもの。」「何でおれたちだけが一度負けただけでころっと変わったのか、不思議だ。」「われわれ世代は鬼畜米英からカムカムエブリバディになった。」
この主体性のなさは何だろう。
「誰かがテレビで、これが体に良いといったら次の日、それが店頭から無くなっているという、単純すぎる。」とSさん。もっと主体性をもって自分の考えで行動せよ、自分たちは言いたい放題言って組織からはだいぶはじかれてきものだ、と。
でもねとTさんは「まねすることがいいことだと思っている。」「外れがないからそこに流れていく。」「まねしないと自分の存在が無くなるような気がする」と続ける人がいる。
「私がはじめてチュウハイを頼んだら、今頃そんなものは注文しないと笑われた」Sさん。しかし人がやるころはやらない、流行が去ったころにやってみる、これをもっとたくさんの人がやれば生き方の幅が広がって、変なことも言えるようになる。いまどきはこの界隈でも、元旦や祝祭日に日の丸なんて揚げないよ。
だって祝日の意味がわからないんだもん。意味があっての祝日なのに三連休法案もおかしいよ。政治家にしっかりしてもらわなければ。いや、政治家を選んでいる人たちがしっかりしなければだめだよ。最初は立派なことを言って出て行っても、政治家なんてそこに入ってしまったら……zzz
翌朝。坂口さんのお内儀が爪を汚して野良作業。ネギ、ジャガイモ、ホウレンソウ、キャベツ、……、春菊、いんげん、スナックエンドウ、ミツバ、苦チシャ、ブロッコリー…その日に食べるだけを摘まんでそのままテーブルへ。
庭で丹精した野菜をお土産にいただいた。帰宅して開けてみると、ネギは白い所が切り取られていた。所変われば文化も違う。あちらでは青いところを珍重するのだとは、後で知ったことであった。(ライフビジョン学会事務局 片山洋子)
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