2009/07
グローバル経済の本質を解くライフビジョン学会


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水野和夫 氏

三菱UFJ証券(株)
チーフエコノミスト

 1980年八千代証券株式会社入社、1981年国際証券(現三菱UFJ証券)調査部配属、現在に至るまで経済調査部でマクロ分析。2000年執行役員・チーフエコノミスト、2005年現職に。[著書] 『所得バブル崩壊』ビジネス社『100年デフレ』日本経済新聞社『虚構の景気回復』中央公論新社2007年『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』日本経済新聞出版社
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 2009年06月13日(土)ライフビジョン学会主催による総会学習会「価値観転換の時代をどう生きるか」が行われました。
 第一部水野和夫氏による基調講演「グローバル経済の本質を解く」
 第二部パネルディスカッション「新しい時代の生き方、暮らしを見直す」

 本稿続きは8月15日号に掲載します。どうぞお楽しみに。




















































ロストウ(W.W.Rostow)の経済発展理論
第1段階:伝統的社会/経済活動の大部分が食料確保のための農業生産に向けられている。
第2段階:離陸先行期/1人当たりのGNPが持続的に上昇していく期間である。
第3段階:離陸/離陸期になると貯蓄率と投資率が急速に高まり、1人当りGNPは持続的な上昇を開始する。
第4段階:成熟化/近代的産業技術が全分野に広がり主導産業が重化学工業になる。また産業構造は第2次産業に特化する。
第5段階:高度大量消費/所得水準が更に上昇すると消費需要の構造が変化し耐久消費財やサ−ビスに対する需要が爆発的に増大する。



























































世界一人当たりGDP 拡大図





































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 さまざまな問題が表面化しています。資本主義が持つ不都合な体質のもとに、働く人と会社の存続が揺さぶられています。国は財政出動で危機の火消しに努めていますが、そもそも、おおもとの資本主義はどうなっているのか?
 ライフビジョン学会は「危機の火元」に注目して、「価値観転換の時代をどう生きるか」と題する学習会を行いました。OnLineJournalライフビジョンでは今月と来月の2回にわたって、学習会の様子を紹介します。
 7月15日号は三菱UFJ証券株式会社・チーフエコノミスト 水野和夫氏による基調講演「グローバル経済の本質を解く」。


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過去は生きている

 2007年8月にサブプライムショック、昨年9月にリーマンショック、最近ではGM、その前にシティバンク問題があった。サブプライム問題から2年たって、これがどういう意味を持っているのかを振り返るのにちょうどいい時期に来ていると思う。
 1973年のオイルショックによるコスト高に対して、先進国の中で日本が省エネや高付加価値化で一番うまく対応した。それが功を奏して79年ぐらいから90年代半ばまで、日本は自動車と半導体で世界一の生産量を誇った。それがサブプライム問題が起きて、いま、アメリカでは大手投資銀行が消滅あるいは商業銀行に転化し、ビッグスリーのうち2社が国有化された。日本では半導体メーカーが台湾政府から公的資金を受け入れたり、家電メーカーが政策投資銀行に公的資金を申請したり、自動車会社も多額の赤字決算を強いられている。
 1974年を考え直すと、近代資本主義の矛盾が頂点に達した時期であった。日本は省エネ技術や高付加価値化、資産価格の上昇などで乗り切ってきたが実は、そんな生易しいものではなかったかもしれない。
 いまのグローバル化を考える上でヒントになる文章がある。
 「現在が未来に食い込むにつれて、過去はその姿を新しくし、その意味を変じていく。…過去を見る目が新しくならない限り、現在の新しさは本当につかめないのである。」(E.H.カー『歴史とは』1962)
 グローバル化が進行して未来に食い込んでいくのがいまの状況である。80年時点ではグローバル化もそんなに広がっていなかったから、「74年は省エネと高付加価値化で日本が成功した」という評価でよかった。しかしサブプライム問題が起きてみると、74年の評価をもう一度、よみがえらせなければならない。それは同時に16世紀の大航海時代、あるいは東インド会社の再評価にもつながっていく。
 「世界史は陸の国に対する海の国の戦い、海の国に対する陸の国の戦いの歴史である」(カールシュミット1954)
 16世紀の世界は、陸の国に対する海の国の戦いの歴史であった。いま、400年前に人類史上一度だけ起きたことを覆す、海の国に対する陸の国の戦いが起きている。海の国とはイギリスとアメリカ、陸の国はEU、中国、ロシアである。
 陸の国は常に領土を外へ広げていく。海の国は領土ではなく、海を自由に支配することを重視する。16世紀はオスマントルコが健在でヨーロッパからインドにもアメリカ大陸にも船を使わなければ行けなかった、資本や成果を安全に母国に運ぶには、海の安全を確保しなければならないから、海の国の時代であった。
 グローバル化が始まり陸続きでどこにでも行けるようになると、島国のアメリカは陸続きでユーラシア大陸の中央部には行けない不利な立場になった。EUは参加国を広げて統合編成を行って、東方遠征を進めている。ロシアは南方遠征を謀っている。
 一度歴史の流れが変わってくると、たとえば陸の時代は古代から16世紀まで続いた。紀元前3世紀に、カルタゴという海の国がいくら陸の国・ローマに戦いを挑んでも勝てなかったし、16世紀に海の時代になってからは、陸の国・フランスのナポレオンが軍事力を強化して戦っても、海の国のイギリスには勝てなかった。
 この戦いを海の国に対する陸の国の戦いと考えれば、アメリカはグリーン革命を起こして、陸の国に集中している資源に金が集まるのを何とか阻止しなければならない。グリーン革命がうまくいかないと、陸の時代の到来は決定的になる。
 日本は20世紀に日英同盟で、戦後は日米同盟で海の国に連なって成功し、半導体と自動車で世界一になった。海の国でもっとも成功した日本は、陸の国に変わりつつある潮目には一番早く打撃を受けた。80年代の土地バブル崩壊以降、停滞しているのは日本の特殊性ではない。400年間のトレンドが、いたるところで崩壊し始めているのかもしれない。
 そもそも、出発点の近代資本主義はどういう性格をもったものなのか。
 民主主義を採用し帝政から国民国家になって、私有権を認めて資本主義を採用すれば、たとえばロストウの発展段階説のように皆の生活が豊かになる、中産階級が増えるというのが近代化だった。しかしそれも怪しいことが、サブプライムショックで分かってきた。
 74年以降90年代に至る日本とアメリカで、中産階級が最も打撃を受けている。「近代日本に起こったことは、近代西洋に起こったことと基本的には同じ」(近代日本の転倒性・柄谷行人2002)である。今まではアメリカで起きたことを見ていれば10年後に日本でそうなったが、今は逆さまになった。日本で起きた80年代の土地バブルは、07年にアメリカのサブプライムになった。もはや米国を見て日本の政策を決めるのは、バックミラーをあたかも前方の姿のように見て運転することになるのである。


近代資本主義、終わりの始まり

 1974年は、近代資本主義の終わりの始まりであった。現象面では経済が成熟し、物的にはピークに達した。経済の成熟化を表す信号の一つである、1年間に使う鉄の消費量は全く増えなくなった。
 資本の利潤率も上がらなくなった。金利でいえば2%を割るようになると、資本の蓄積はほとんどできない。たとえば100億円を1億円ずつ100件の投資をして、一つも損失が生じなければ1.5%ぐらいのリターンが得られるが、100件のうち2件が回収できなくなれば2%、2億円の損失である。いくら工場に投資しても資本は増えるどころか、下がり続けている。
 近代資本主義は民主主義と資本主義を皆で支えていこうという合意のもとに、国家から見れば税収が、国民から見れば所得が、資本から見れば利潤率が増えて資本を再生産してきた。それが70年代にはお互いの利害関係が一致しなくなり、90年代になると、資本のリターンを上げるには所得を減らすしかなくなった。利害関係が一致するのは資産価格が上がる時だけであるが、資産を持っていないとキャピタルゲインという所得の恩恵にはあずかれない。ますます利害関係は一致しなくなってくる。
 それがわかったのが1973年と79年の石油危機であった。コストがただでは手に入らない。そこで省エネ技術や販売価格を引き上げたり、高付加価値化で買い替えサイクルを短くしたり。これがこの30年間の企業活動であった。
 東インド会社以来、資本主義というのは常に市場の拡大を求めてきた。工業化が進んでイギリスが優位な立場に立つと自由貿易になり、そのあとは植民地化競争になる。それが1975年のベトナム戦争でいったん終わる。先進国では少子化も問題になり始め、内側からの市場拡大も終わった。
 これらの状況が重なって、資本のリターンを引き上げるには大きな政府より市場に任せよ、という新自由主義が登場した。新自由主義はサッチャー、レーガン、中曽根総理という順番になっているが、日本はすでに1975年、新自由主義的な考えを持つ経済学者たちがレポートを発表し、それが大平内閣に採用されていた。先進国のなかで最初に成熟化、利潤率の低下に直面した日本が最初に、新自由主義の政策を採用した。
 新自由主義は1980年代に日本で起きて、90年代は地域的な広がりを見せ、大型化していった。政策的にも新自由主義を採用し、特に金融資本市場を規制緩和して、お金が自由に動けるような仕組みを作った。もともとバブルを意図して規制緩和したわけではないと思いたいのだが、結果としてはバブルを促進した。74年というのはハイエクがノーベル経済学賞を取った年である。35年間の「バブルの物語」は、2008年に終焉した。
 実際にサブプライムローンが弾けると、近代を象徴するような自動車の販売台数や粗鋼生産量が1974年に戻ってしまった。


グローバル化とはゼロサムゲーム

 世界一人当たりGDP(左図)を見ると、生活水準の成長の増加率が1996年以降、徐々にフラットになっている。これは一時的現象ではない可能性が高い。
 1500年以前もずっと横ばいだった一人当たりの生活水準は、大航海時代に100ドルから7000ドルの水準へ、一挙に70倍に上がった。見田宗介先生は「社会学入門」2006年の中で、――人間の歴史の中で近代という時代を振り返ってみると、地球という有限な空間上での、人間というよく適合した動物種による、このような「大爆発期の局面」であった。――と述べている。グローバル化は一回きりの性格を持っている。
 今回起きたグローバル化には、二つの見方がある。過去に起きている十字軍や大航海、18世紀半ばの鉄の文化の時代のように人類史上何度も起きているので今回もそのうちのひとつだという考え方と、今回のは次元が違うのだという考え方である。どちらを取るかで、将来の予想は全く違ってくる。
 私は後者、つまり今回のグローバル化はいままでのそれとは全く次元が違うのだから、今回のグローバル化がさらに突き進んでいくと、全くいままでとは違うことが起きると思う。経済的にみると、地球という有限な空間にあってグローバル化が進んでいる、という点では連続性があるのだが、1500年時のグローバル化や18世紀半ばの鉄道と運河の時代のグローバル化当時は、地球は事実上無限大であり、地球が有限だという認識をしなくても済んだ。
 世界総人口に占める、豊かな生活をしている国に住んでいる人の割合は常に15%ぐらいである。(高所得の定義は、世界の一人当たり平均実質GDPの2倍以上ある国の人口を合計し、世界総人口で割った数字である。)1500-1600年にイギリス、オランダが大航海に乗り出したときは、インドはムガール帝国、中国は明の時代であった。古代・中世の時代のほうが、皆が同じような生活をしていた。それが近代化すると、豊かな生活をする人は爆発的に、0から15%に向かって上がっていく。すでに130年間にわたって、豊かな国のシェアは15%と定員が決まっている。
 原油価格(米消費者物価で測った実質価格)をみると先進国15%の人は、安く資源を仕入れ(輸入)いち早く工業化してテレビや車を作り、高く売る(輸出)仕組みを作ったのだが、理論上全員が安く仕入れることはできない。たとえば原油価格は1870年から数字があるが、産油国は100年にわたって原油を安く輸出し、自動車やパソコンを高く輸入してきた。これでは資本の蓄積はできない。資本主義というのは先進国の反対側に8割の人が、安く売ってくれる仕組みを作っていたから、先進国の中に一旦入ってしまえば、入れ替え制のない閉鎖クラブだった。安く仕入れるためには安く売ってくれる人がいなければならない。
 グローバル化というのは、みんながwinwinの関係だったが、サブプライムローンが弾けた後は、グローバル化とはゼロサムゲームになることである。実際にもう、ゼロサムゲームになっている。
 爆発期は終わった。今までのグローバル化は先進国15%の人たちの外側に85%の人たちがいたから、地球は閉じているという認識はなくてもよかった。いま10億人の先進国に遅れて、40億人の近代化がスタートした。もう自分たちの世界の外側にはほとんど、広がりがなくなった。ベトナム戦争が終わったあたりから、対外市場の拡大は限界に到達した。あとはもう、宇宙人が来て「貿易をやりましょう」とでもならないと、しかもその宇宙人が地球人よりちょっとレベルが低くないと(笑い)大爆発は起こらない。


近代の終わり

 朝日ジャーナルの「現代社会はどこに向かうのか」2009論文では、近代という爆発期が終わった根拠として、近代社会を特徴づけている二つの価値観が、それは一つには家父長制度の崩壊、もうひとつは脱宗教化、脱魔術化を図ることであったが、もとに戻り始めていると説明している。最近のテレビでも、あの世の世界を信じるような番組の視聴率が高いのは、それを信じる人が増えているということであろう。
 すでに社会学、政治学の世界では、近代社会の限界がいろいろなところで言われていた。今回、経済もまた、特別ではないことが分かってきた。
 1974年までは消費財・サービス市場に働きかければすべてうまくいった。家電製品や自動車は常に、去年よりは今年のほうがたくさん売れる、そこに資本を投下すれば国家も国民も満足だった。しかし74年から鉄の消費量が増えなくなり、自動車が日本では一家に一台、アメリカは一人一台に、普及し始めた。そうなると、財・サービス資本に働きかけても資本が増えないので、市場に任せればうまくいく、という金融資本市場が登場する。
 G20などでフランスのサルコジ大統領が、ドルは良い基軸通貨ではないという。胡錦涛主席も、基軸通貨が国家の単一通貨に連動しているのはおかしいと言っている。資本帝国=ウォール街に対してEUと中国が、力を奪おうとしている。ロシアは何も言わないで実行に移し、ドルを売っている。ウォール街から基軸通貨を、金融資本主義の中心をブリュッセルやフランクフルト、あるいは上海に持ってこよう、というものである。
 国境を自由に超えてマネーが動く金融資本市場でしか資本は増えない状況になって、国単位ではうまくいかなくなり始めている。ある一定の国だけで金融資本に課税したりするとほかの国に資本が移ってしまいかねないから、1カ国だけでは対応できない。国家は資本の力を制御できない。マルクスが言う「団結せよ」は資本が先に連帯してしまった。資本は利害がすぐ一致するのだが、働く人の場合、インドで働く人も日本で働く人も、目標にすべき統一的な価値観が見いだせない。
 「アダム・スミスは、生産増大のプロセスは社会が必要とする資本のすべてを築きあげたときに停止すると予想していた」(ロバート・ハイルブローナー『21世紀の資本主義』1994)社会が必要とする資本は74年の段階でいきわたっていた。あとは買い替え需要だけで十分だった。スミスの言う『見えざる手』が完成し資本増大のプロセスは終わって、豊かな社会が到来していた。
 しかし資本家はそれでは満足できなかった。『見えざる手』をあたかも市場こそが経済をバランスさせる、天の配材の意味で新自由主義者が吹聴したのだから、泉下のスミスも怒り心頭であったことだろう。
 ケインズもまた、「利子生活者の安楽死」として、資本が希少だから金利が高い、金利が下がることは、持てる者と持たざる者の差がなくなることだから、利子生活者に安楽死してもらうのがよいと言った。それも74年に実現していた。金利は下がり続けてついに2%以下になった。利子生活者はほとんど安楽死しそうになったが、そこに新自由主義が登場し、金融・資本市場で資本が増えるような仕組みを作ってしまった。ケインズやアダム・スミスが考えていたような世界が、瞬間に消えてしまうことが起きてしまった。
 今は実物投資だけが安楽死してしまう。実物投資が一番雇用を生むのであるから、今は働く人の安楽死、という状況が起こっている。このままいけば中産階級がなくなるのではないかという状況にある。
 海の時代は400年間続いた。今回はもう一度陸の時代に戻ると同時に、カール・シュミットは「空はだれが支配するのか」という。それはネット空間につながるのだと思う。ネット空間で利益を上げる仕組みをどの企業が作るか。アメリカはgooglの検索ソフトを使って支配を進めている。
 ユーラシア大陸の真ん中あたりをだれが支配するのか、あるいはネット空間や宇宙空間をだれが支配するのかという争いになってくる。少なくもアメリカという新大陸で儲かる時代は、サブプライムローンで終わってしまう。ユーラシア大陸の真ん中にはイスラム教が多いし、原油を中心に資源も集まっている。ほうっておけば富がアメリカから中東に移ってしまうのだから、何としても、グリーン革命を起こさないとアメリカ資本帝国の没落になる。アメリカの働いている人はもう、没落し始めている。
 海の国についていた日本は国民所得統計からみるとすでに、高く仕入れる、不利な側に回ってしまった。交易利得(輸出物価を輸入物価で割ったもの)は輸出物価が上がれば利益は上がるが、2002年あたりから損失に入っている。現在の交易損失は23兆円、その1年前は21兆円だったが2兆円、下がった。


生活水準が40年前に戻っている

 働く人の状況はどうなっているのか。
 日本の一人当たりGDPは、中小企業・非製造業・資本金1億円未満の企業(働いている人の8割、法人・個人企業の8割に相当)の場合、1990年に600万円であった。一人当たりGDPの8割の480万円が所得になるから、一世帯で一人働けば大丈夫だったものが、最近ではGDPが418万円、所得は320万円まで下がってきている。日本全体の平均給与はまだ450万円ぐらいあるから、かなり格差が広がってきている。粗鋼販売量が1974年や69年まで戻っているのは、単に特定の産業だけが戻っているのではなく、働いている人8割の生活水準、すなわち一人当たり実質付加価値が40年前に戻っているのである。世帯主一人が働いていた水準を今では二人で働かないと、生活水準が維持できなくなっている。共稼ぎが不可欠になってきているのに、保育所は足りないなど、政策が対応できていない。
 所得が減ると同時に、貯蓄非保有世帯の割合が20%まで上がってきた。日銀統計を世帯数で加重平均して24-25%ぐらいになり、過去最高を更新していると予測している。年金とか個人年金、投資信託、生命保険、全部入れた計算だが、5世帯に1世帯が貯蓄残高ゼロ円になってしまった。
 1974-75年の貯蓄非保有世帯が3%、33世帯に1世帯でもっとも少なかった。87年ぐらいまでは低位安定だったが、バブル崩壊とともにあっという間に、1963年の水準まで戻ってしまった。所得水準は20年近く下がっているから、貯蓄を取り崩してゼロになってしまう。日本の所得格差はバブルが崩壊して90年代半ばから目にみえるかたちで始まった。
 日本で起きていることは10年後ぐらいに、アメリカで起き始める。日本のバブルはある程度全体に波及するような仕組みがあったが、アメリカはバブルの恩恵が特定の人に集中し、所得の低い人には及ばなかった。総資産から借金を引いたネットの資産は低所得者層では92年から増えていない。生活のためにも借金しないと生活水準が維持できない状況が始まっている。
 こうして資産バブルが崩壊し、もう一度、ケインズやアダム・スミスが指摘した社会が来るかというと、全くそうではない。
 世界の名目GDP60兆ドルを分母にし、世界の金融資産167兆ドルを分子にして算出する「金融実物比率」は、2.8倍もある。財・サービス市場に必要にお金は160兆ドルもいらないのである。たとえばBRICs新興国20兆ドル経済が成長するとき、固定資本形成(設備・公共投資)には、1年間に3割のお金があれば大丈夫だ。日本が近代化のピークのときで3割、近代化のスタートで15%ぐらいだった。
 ピークで考えても6兆ドルあれば大丈夫なので、160兆ドルを6兆ドルで割ると25倍。25年後にようやく、最後の新興国に投資の順番が回ってくる。待っている24年間はほとんど運用先がないまま、実需以上に投機マネーが流れていく。いまのグローバル経済というのは、だんだん暴走し始めてくる。これをどうするかをこれからの大きなテーマになってくる。
 新興国が経済成長するスピードをもう少しゆっくりに、とは言えないのだから、先に豊かになった先進国が考えなくてはならない。(文責 編集部)







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