2010/07
産業社会の似非を撃てライフビジョン学会


 

ライフビジョン学会
  2010フォーラム
     
勤め人生活審議会


 日時 2010年6月5日(土)
        13:00−17:00
 会場 国立オリンピック記念
        青少年総合センター
  主催 ライフビジョン学会



コーディネーター:奥井禮喜

 一般的に見て、最近の職場が20-30年前より愉快だという話は聞かない。職場はかなり荒れてきているのだろう。
 私は、組織の問題は、基本的に個人の問題だと思う。組織がおかしいのでなく、組織を構成している個人個人の問題として考えたほうが、話が深まるのではないか。
 一般的に、労働相談にやって来るのは“やられている”側の話だが、“やっている”ほうも内心、クサッていることと思う。管理する側の技術、理念も問われるが、管理される側も技術、理念が問われる。組織づくりは一方だけでは成立しないということを考えたい。

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勤め人生活審議会 報告1/2
 明治維新以来、日本人は先進国モデルを追い続けた。高度成長は一方で公害問題を振り撒きながらやがて、日本が「経済大国」といわれる時代を迎えた。石油ショック、バブル崩壊、失われた20年…。蜃気楼のように逃げ続ける“成長”を追いかけて、社会も会社もこのところちょっと疲れている。
 平成20年の労働相談件数は1,142,600件、そのうち労働基準法関係が四分の三、残りが解雇などの相談という。一体、働く人の暮らしと仕事はどうなっているのか。
 2010年6月5日、勤め人の皆さまが身近で起きている具体的な現象を持ち寄り、突き合わせて、問題の全体像を洗い出すことにした。題して「勤め人生活審議会」。まずは話の「呼び水」として、8名の「審議員」が身近な話題を提供した。


職場は不愉快度上昇中
 A氏 私は産業別労働組合で電話相談を受けている。40年前の労働相談は、職場苦情処理部門で相談を聞き、会社と話をすれば落着していた。しかし今は「この程度の」と思われるものまで、産別組合の電話口に寄せられるようになっている。
 相談の一つに「パワハラ」に類するものがある。
 売上が上がらない、直接辞めろとは言われないが退職を促すような話を再三再四聞かされて、精神的に参っているという人。時々数量的間違いをして上司から怒鳴られる、同僚の前でおまえは駄目だといわれ気持ちが沈む人。役立たず、やめてしまえ、もう来なくてもいいといわれる人。仕事中に携帯で執拗に話される、一室に閉じ込められて1時間も叱られる人。
 しかし上司も追い込まれている。部下をひどい言葉で罵倒し、後悔して部下の家に謝りの電話を入れる。罵倒された部下は20年選手なのに、新任1年目の店長に怒鳴られてひどいショックだと訴える。そうこうするうち上司も部下も、いずれもメンタルなバランスを崩して受診したり休職したり。ついには退職したが次の職が見つからない、との相談も来る。
 一方、仕事とは別種の相談もある。金を貸してほしいといわれて断ったらその後、意図的にシフト変更されたり、給料袋の開封をされた人。異性が邪な願望を抱いて付きまとう、いわゆるセクハラ被害を訴える人。
 有給休暇取得の相談も多い。翌日の有給休暇を取り消してほしい、あるいは突然有給で休んでほしいと言われたり、有給を請求しても許可されない、忙しいから出勤してといわれたり。有給休暇を申請すると「そんなに休みがほしいのか」「休みたいのはあなただけではない」。連休中の土日に休みを申請したら、「確信犯だ」と言われたり。
 労働時間の相談も多い。勤務時間シフトは子供のいる人が優先されるので、他の人は常に変則勤務を強いられる、変更を希望しても改善されないので退職したいという人。健康診断も勤務終了後にしか受診できないという人。配属先の店で朝8時から夜11時まで働いているが、残業を含めた賃金体系なので不安だという人も。先日、京都地裁が居酒屋「S屋」の社長以下幹部に7800万円の賠償を命じた。1か月の残業80時間を切ったら賃金を減らすというもので、過労で従業員が亡くなっている。
 多くの問題には、組合役員が職場に入ってはいるが改善されていない。勤務時間チェックは会社に任せるのでなく、組合は現場に出向かなければならないし、事後のチェックが欠かせない。
 ほとんどの相談が匿名だから電話を受けても改善の手立てがない、聞いてほしいという内容がほとんどである。


なんとなく無責任
 B氏 制御機器メーカーで開発部門のマネージャー。
 職場の雰囲気は、一言でいえば暗い。仕事ではやたら責任を気にする。みんな少しずつ自分の役割に壁を作って、なんとなく他人任せであったり無責任になっていて、そこから問題が発生したりする。さきほどの、文句は言うが最後は匿名という相談事例の話も、自分の問題として責任を負おうとしていない印象を受けている。
 新しいことに取り組んだり協力し合ったり、問題意識を持てば当然、失敗のリスクを負うことになる。開発仕事は失敗するかもというリスクを抱えながら進めるものだが、部下は安全そうな所だけを狙ってしまう。うまくいけば、その先に達成感があるのに。
 うちの社長はチャレンジしろと言うのに、社員の腰が重い。そこで私は、自分が率先して無茶をやれば皆も付いてくるのではと、上から怒られてもめげずにやっている。大変だがやって見せるしかない。少しずつ変わってくると思う。
 楽しい手前に苦しさがある、「今は本当にたのぐるしいよね」と言いながら、一人ひとりが楽しい苦しさを分かれば、もう少し職場は明るくなるのではと感じている。


公務員改革の未来も暗い
 C氏 公務員は自分の組織のことを他人に決めてもらっているが、三年前の閣議決定で公務員の働き方が少し変わった。
 一つには天下りが禁止され官民交流人材センターができたこと。50歳を過ぎると皆ここに登録し、その中から民間の人が人材を選ぶというものだが、欲しい人は最初から決まっていてカモフラージュだと、私は思っている。(笑い)これは民主党が政権を取ってから、限りなく怪しいとして潰された。登録のために研修させられた身としては、あれはなんだったのだろうと。(笑い)
 天下り禁止の代わりに専門職制度ができた。これは管理職だった人の部下をはずして専門職スタッフとする昇進のないポジションで、制度上確立された窓際族である。やる気のない、昨日までの課長が専門職としてゴロゴロいたのでは、若い人の将来を危うくするだろう。
 そして成果主義の導入。バブル期ならば税収が増えているから、予算の獲得は前年比何倍増とか、成果は比較的楽に挙げられたが、今は成果の上げにくい世の中になった。公務員も、特にキャリアは、昨年の予算を守ったというだけではアピールがしにくい。各部署には機構定員があるが、その定員を去年より減らされなかったというのも評価されることなのに、増えたという時代よりアピールされにくい。
 キャリアが成果としてポイントになるのは、法律を作り国会審議を切り抜けること。あるいは行政指導文書を出しまくること。ただしこれは、下請けをさせられる部下は作業が増えるので、ヒジョーに迷惑。行政指導文書を受け取った国民の方々も、きっと迷惑なことだろう。予想される公務員の未来は暗いと思っている。


怪しい成果主義
 D氏 私は建設の設計部門で7年間、成果主義の評価をやっていた。評価は実は最初から、評価したい人が決まっている。それを裏付けるために目標を立てさせ、達成されると評価者が納得するという、成果主義は変な使われ方をしている気がする。
 何を目標にするのかはとてもあいまいだ。頑張って目標を上げる人と、頑張らなくてほどほどの目標を出す人と。
 それをまた、評価しやすくするために数値化する。営業などはともかく、事務部門や設計などは数値化になじまないからどうしても受け身になる。目標という数字もかなり怪しい。
 ではいったい何を評価の基準にするのか。個人の面接などもやったが結局、とりあえず数字を作って、それをこなせたかを見ることになる。しかし数字は景気の変動で多かったり少なかったりするので、基準とするには難しい。
 職場の雰囲気でいえば、たまたま私の上司の怒り方がすごい。よく聞いているとちょっとエバりたいらしい、言葉は荒いが気持はそんなに悪くはなさそうだ。私の場合、周りの人は怒ったのではついてこない人の方が多いので、私は背中を見せて何かを感じてほしいという流儀でやってきた。


産業社会は似非ばかり
 E氏 一言でいえば今は、人間が病んでいる。もうひとつは、やっていることが「似非」、つまり本物じゃない。人事考課など本質から遠いことを手を変え品を変え、アリバイ作りをしているようだ。我々の営む産業社会は似非の行為を許容してしまって、人間の動機を経済的発展だけに向かわせた。
 カンボジアに井戸を寄贈しているあるNPOは、素掘りの井戸のみを寄贈する。すると井戸を維持するためにコミュニティができ、金を出し合ってポンプを買う。共同のことは共通資本と協働で賄う。
 人間の成長や問題解決能力はこうしたことから生まれるものだと思っているが、企業社会はそうではなく、「似非」の理屈で動いていると感じてならない。
 われわれは政府や税金に頼るのでなく、自分たちの問題を自分たちで解決する生き方をしなければならない。そのために自分をもっと出す、何かをするときは互いの知恵を出す、協働する力を高めることだ。
 人間としての根源的なあり方に対して、この社会は本質から離れた理屈=似非で動いているから、働く人の本当の力が出ない、求める結果が出てこないのだと思う。これからの運動は根本から立て直す発想が必要だ。
 私のいる流通産業は、30年以前はとにかく、自分たちでやらないと実が作れなかった。今は管理監督が行き届き、期待を超えるモチベーションを抱かせるような機会がないから、働く人は言われたこと以外はやらないほうがよい、できるだけ面倒なことをさけたいと思っている。
 仕事は狭い中で楽しめばよいとする、「かかわりなき働きがい」状況にあると、私はみている。


職場に人格者がいない
 F氏 小売流通、外食レストラン系の産別労組役員。
 30年前は職場のボスが、社内でもそれなりの人格者であったことが救いだった。お節介焼きでうるさい、厳しいが、自分のことを思ってくれていると感じられる人がいた。
 現代のパワハラは、上司が求めているのはワンミッション、「わしのレールの上を走れ」というだけで、部下の思いには無関心、あるいは見ないふりをして、部下に圧力をかけているのではないか。
 昔は「先輩教えて」というところから会話が膨らんだが、今ではパソコンに聞けばボタンひとつで解決できると思っている。あるいは本当は人と話したいのだが、半分は面倒くさい、言葉でぶつかるのもちょっと怖い。
 30年前は私も8時から23時まで働いていた。矛盾は感じていたが、会社の成長は右肩上がり、給料も上がり、頑張れば先輩のようになれると思っていた。いまはそれも崩れて、若い人には勤め人の成功モデルが見えない。先輩の背中を見ても大変だなと思えば、頑張ろうという気持は萎えると思う。
 個人と個人を競わせて生き残る人が儲かるという成果主義は、その場で精算する仕組みだ。優秀な成果を出すセールスマンほど、次はそれ以上頑張らないと成果とみなされないが、年々倍々の営業マンなどいない。過労死の原因の一つはそれだろう。
 昔の仕事成果は30年タームで清算したものだが、短期決済型の成果主義ではどこかで使い捨てになる。18歳から65歳まで通じて釣り合うような労働契約を結ぶべきだ。


職場の解決力が弱い
 G氏 サービスを含めたメーカーで労務系の仕事をやってきた。昔は上司からよく怒られたが、アフター5で自分のことに親身になってくれた。上司は怖いけど人格者、という二面性を持っていた。
 一労務担当としては職場観、社員の生活実感をしっかりつかんでいないと、経営層に振り回された制度作りをしてしまう。人事制度だけでなくシステムも、運用を職場に委ねるからには職場の人間やマネジャー層を知らなければならない。労務担当の僕らはお客さんは社員だと言いながら、本当に社員が使いやすいものを作っているのか、常に反省している。
 そんな中で感じるのは、みんな言葉を発しなくなっていることだ。しゃべらなければ何もわからない。
 今は全部パソコンで、マネジャーは声をかけるタイミングに悩む。しゃべる代わりにメールを送るから、出張から帰ると120件のメールを夜中までかけて読むことになる。ひどいのは内示をメールで送る上司もいて、人間味というか、人に寄り添う気持ちがなくなり殺伐としてきている。
 社内のネット駆け込み寺はほとんど匿名で、どこの職場かわからないので対応の仕方がない。駆け込んでくる人たちもどうしたいのかはっきりしない。
 上司は「ハラスメント」を気にするが故に過度に反応して、部下に声をかけにくい、そのうち本人がメンタルになる。最近のパワハラは部下が上司を突き上げる。人間の生きる力が弱くなっているのは、会話がうまくとれないからだと思う。
 私は労働審判員もやっているが、こんなモン職場で解決してこいよ、というのがいっぱいある。職場で解決する力がない、弱まっている。それはたぶん、話をしていないからだ。話をすれば大事に至る前に解決できる。


組織カルチャーとアンマッチ
 H氏 会社は人間の集団だからどの会社にもカルチャーとか、しきたりとか、言葉で表せない黙示のルールのようなものが必ずある。その人間集団への入り方が20年前と今とでは大きく変わってしまった。
 原因の一端は、新人採用の方法が大きく変わったことだ。
 たとえば技術者ならば、かつては先輩エンジニアが母校の研究室に行って先生に後輩の推薦をお願いしたり、後輩に会社の説明をしたり、会社に連れてきたりしながら盛んにコミュニケーションを取って、会社や職場に後輩が適応できるか、会社のカルチャーにあうか、暗黙のうちにすり合わせをやっていた。後輩のほうも会社や職場の雰囲気や、取り組みテーマや研修システムなど盛んに聞いて、自分との相性を確かめていた。そういうプロセスを通して入社前から先輩と後輩の人間関係もでき、場合によっては本来のメンター・メンシー関係に、発展したりもできたのである。
 今は、就職希望の学生は会社のHPの応募欄に登録する一方、無数にある人材会社が運営する学生向けの会社紹介サイト(就職サイト)に登録する。サイトの側は、いろいろな方法で――例えばうちのサイトに登録すると一流会社の合格率が高い――などと優秀な学生を集め、会社説明会を開催する。企業側には、うちのサイトに登録した学生は一流大学ばかりだと宣伝する。企業は優秀な学生が欲しいからその説明会に、高額の参加費用を支払って参加する。
 会社説明会の次はグループディスカッションとグループ面接で、その次は個別面接を行い、筆記試験を行って、内定を出すという方法で、優秀な学生は何社も内定をとる。これが現在の採用の平均的なありかただ。
 昔ならば、先輩と後輩や人事も含め、試行錯誤を繰り返しながら個人が会社のカルチャーにあうか否か、すり合わせした上で入社してきた。今やその手続きが飛んでしまっている。そうすると、能力以前の問題として、本来その集団に不向きな人たちが間違って入ってしまうことが発生する。
 彼らの一部は入社後、自分が組織に合わないことが分かると集団の中でどのように動いてよいか分からず、自立=自律的な動きがとれず、何やっていいかわからなくなる。もともと優秀な人たちだからそのうちに焦りが出て、メンタルになってしまうケースもよく起こるのである。
 インターネットが悪いという非難はできないが、採用の仕方を大きく変えなければならない。やはり、人様に関する判断はネットが代行するわけには行かない。人事の反省が必要である。
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 こうして8人の「審議員」の発言は終わった。この呼び水に呼応して後半は、参加者全員による「勤め人生活の審議」が行われた。
 審議テーマは二つ。
 一つは、職場も世の中も「偽物」が多い。勤め人生活における似非について。
 二つ目は、コミュニケーションが悪いのはなぜか。IT黒幕説は濡れ衣ではなかろうか。
 この続きは来月8月1日号でお届けします。







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