2011/06
生き方の自由と社会保障片山洋子


 
あかでめいあ2011 Vol.18

 「あかでめいあakademeia」は人生を考える勉強会組織・ライフビジョン学会と、ユニオンアカデミー会員の、この一年の学習成果を発表する研究誌です。
(B5版90頁 1,050)

目次

■ライフビジョン学会総会学習会
 産業社会の似非を撃て             …4

■チャリティーオークション
 お金を有益に失う法              …14

■読書から学ぶもの
 道化の効用                      …16
 羽仁五郎「明治維新史研究」の読み方について                              …19
 明治という時代における自国の独立とは何か                                …21
 「文明論之概略」を読んで        …25

 ユニオンアカデミー2010年度の活動…27

■M9・0
 想像力を駆使して
              なすべきことをしよう…28
 東日本巨大地震の記録・渋谷にて  …31
 予測不能の未曾有の災害をメディアはどう伝えたか―国民的な復興体制づくりを目指して                                …37

 ライフビジョン学会設立の志      …43

■個人と社会に関するいくつかの視点
 町内会は「まちづくりの基礎」    …44
 日本を病人大国にしないために    …47
 年金物語 年金に見る人生の悲喜劇…52
 生き方の自由を拡大する社会保障への期待                                …55
 日本人の中国意識―背反する認識の共存と枠組みの変化                      …58

■「憲法」について考える
 日本人は封建意識を克服できたか  …62
 このくにのかたちについて―主に憲法・法律の視点から                      …72

―On Line Journalライフビジョンこの一年の目次                              12

ライフビジョン学会2010年の活動      11
ポピュリズムの薦め                  10

生活のアイテム、「お金」の話         7
チェナ温泉にて                       3

生き方の自由を拡大する社会保障への期待
 社会保障とは、生命の存続と再生産を誰がどのように担保するかの問題だと考えている。
 生きていく上の様々なリスクにどう備えるのか。こう書くと保険商品のCMのようだが、現代人はその多くをカネで解決しようとしている。国の社会保障のあり方論も、本旨より先に財源問題になる。消費税を何パーセントにするかより先に、多様な生き方を保証するためにどんな制度が必要か、から入るべきではなかろうか。
 人間の幸せとは何かを考える前に生病老死の不安や恐怖の回避策が先行し、その時々の思いつきに従って建て増しが繰り返されてきたのがいまの社会保障制度のように思う。消えた年金や国会議員の年金未払い、今回の厚生年金被保険者第3号問題も、複雑化した制度の分かりにくさを象徴している。老人医療費や介護保険の赤字、不払い増加による国民皆年金の破綻もある。かつての自民党時代の「年金百年安心」キャンペーンに至っては、内情を知りつつ虚言を弄さなければならなかった、関係者の夢見の悪さに同情するばかりである。
 日本の経済力は世界のトップレベルである。日本は国際社会の中で「成熟」グループにある。デフレだからと途上国の通過点である高度成長の再来に恋焦がれるのではなく、豊かさの量から質への転換期にあることを自覚すべきである。社会保障もそろそろ、経済弱者救済的水準を卒業して、国の成熟に見合うような、「生き方の自由を拡大する社会保障」への期待を膨らませてもよいのではなかろうか。
 そのために例えば(1)勤務先別社会保障制度の見直し、(2)雇用形態別格差の解消。(3)人生の意味を追いかける生き方を支援する社会保障制度への転換、などを社会保障改革の視点に加えていただくのはどうだろうか。


(1)勤務先別社会保障はこのままでよいのか
 社会保障の担い手の変遷を振り返ると、社会が未成熟の時は家族が社会保障機能を担っていた。出産を家族が取り上げ、老人を家族が看取った。「出戻り」や傷病人は実家が面倒を見た。医者を上げるのは重篤な時だけだった。児童労働は当たり前、わが祖母は学校にやってもらえず、近所の子守りをしながら教室の外から朋輩の授業を眺めて読み書きを覚えた。これは日本昔話ではない。今の60歳代が一緒に生きていた祖父母の時代の話である。
 1960年代の高度成長で、農業人口が工業に移動した。大家族が分解されて核家族になり、福祉機能は企業単位に再編された。
 初期の工場労働は技能の蓄積と生産性向上に密接なつながりがあり、終身雇用が推奨された。大会社は人材確保のためでもあるが、社員に生活の糧のみならず夜間高校やお茶お花の習い事など、文化教養の機会までも提供した。バブルの時には豪華社員寮や保養所なども話題になった。フリンジベネフィット(給与外利益)という言葉を知ったのはこのころだった。
 とはいえ零細企業の従業員はその限りではなかった。企業の規模、正社員か否かという社員の身分、性別などによって福祉厚生サービスの厚みが違うので、どこの会社で働くかは大きな違いがあった。
 いま、グローバル経済や金融資本主義から会社を守るとして、希望退職募集が日常になった。労働者の横移動、つまり失業や転職が多くなった。会社は総額人件費の内の法定福利費の負担回避から正社員の雇用に慎重になり、安定雇用網からこぼれる人たちが増えた。そのような状況下で「完全雇用」「生涯一企業」意識は変わらざるを得ない。勤務先別の社会保障は、いつまで機能するのだろうか。
 公的社会保障である国民健康保険は財政赤字で、その救済を求められた企業健保の中には解散するところも現れた。国民年金は不払い者が減らず、皆年金の金看板を揺さぶっている。
 個人は社員として、会社を介して社会保障制度につながっていたが、これからは国民として国とつながるという考え方はどうだろうか。会社は人件副費を含む人件費総額を給与として支払い、従業員は相当の保険料を納めて国の社会保障制度を支える。職種や働き方ごとに別制度になっている健康保険と年金制度は、一本化して何か不都合があるのだろうか。


(2)雇用形態別格差の解消
 ――働く女性の七割が、第一子出産で仕事を辞めている。育児休業制度が法制化されて以来、休業補償など制度の体裁はOECD平均を上回る充実度にも関わらず、その就業継続率はほとんど上昇していない。この理由は非正規雇用の増加にある。
 出産年齢にある25歳女性の雇用は非正規が42%。雇用保険は2004年、非正規にも育児・介護制度の便を進めたが、当該年齢層の雇用保険被保険者は50%にすぎないから、その恩恵には与れない。(大石亜希子・千葉大準教授・2011.3.4日経)
 妊娠出産、育児にかかる期間の労働生産性は低くなるとされている。経営の事情のみからすれば、生命の再生産より経済上の生産性を優先したい。代替労働力の確保や、出産育児手当や休業補償の支払いなど、この期間の女性を雇い続けるにはコストがかかる。会社は容易に代替要員を増やさないから、職場同僚たちの出産オメデトウの声も元気がない。
 その一方で、優秀な女性にはその期間のコストを払っても、社内に残して将来に期待したい。こうして無意識のうちに経済原理性的純化淘汰が進む。
 そこでSF。
 産業界に貢献度の大きい女性は遺伝子を残すことができるが、そうでない男女はその日暮らしで一代限りの生涯を終える。こうして何世代か後、種の多様性が損なわれて某日、未確認ウィルスの到来によって人類は全滅する…。
 稲の品種改良では未開の地に未知の遺伝資源を探して交配し、天候や病害虫によるリスクを防ごうとしていると、農業学者から聞いたことがある。
 正規か非正規か、雇用形態によって生き方の自由度が大きく変わる。年金でいえば国民年金だけの人から、厚生年金、プラス厚生年金基金、余裕があれば個人年金もと、老後資金には大きな差がつく。医療費の窓口負担も、国民健康保険と組合管掌健康保険では差がある。雇用保険は正社員の失業者しか救済できない。
 生涯賃金は正社員2億1500万円、フリーターだと5200万円。熟練が形成されて所得が上がる正社員に対し、非正社員の賃金は20歳代後半で頭打ち(2004.5週刊エコノミスト)という。さらに非正社員は住宅ローンが組めない、クレジットカードも作れない、資産形成は容易ではない。
 同じ職業生涯を送っても経済的に優位の人の安全網はより手厚く、貧しい人のそれは薄めに張られている。雇用形態別社会保障は国民の格差拡大を容認している。政府が掲げる「社会保障の抜本改革」という言葉への期待はここにもある。


3)人生の意味を追いかける生き方
 将来は労働力が足りないので、子育て支援策を充実して家にいる女性も稼ぎに行けるようにするとか、年金支給開始年齢を後倒しして、まだ働ける高齢者にも労働参加を期待をするとかいわれている。
 しかしこれを個人別時間富裕度という視点に立つと、今でさえ生活を楽しむ時間、自分のための自分の時間が労働に吸い取られているのに、すべての時間を仕事に差し出せと、国民皆労働のススメにも聞こえる。
 1960年代の家庭は夫の一人働き、高度成長で妻がパートになって1.5人働き、今では夫婦2人働きでなければ食えないのだという。性別役割分担時代の「家庭の総自由時間」は、稼ぐための労働(夫)+暮らしを豊かにする労働(妻)であったが、今は夫も妻も稼ぐための長時間労働になり、自分時間の豊かさが小さくなっている。人間の自由を拡大することが豊かさ、幸せだとすれば、自分時間の貧しい現代人は不幸ということになる。
 ところで、21世紀日本の法律には未だに、「妻は夫に従いつ」が生きている。
 厚生年金の第3号問題が取りざたされている。第3号とは厚生年金・共済組合に加入している者の配偶者であり、主「婦」である。所得税の計算でも、主「夫」には配偶者控除はない。年金制度が一人働き世帯という、現実離れしたまま放置されている。第3号問題の核心は、専業主婦より働く主婦が損になるという公平性ではなく、独立した人間(妻)を他者(夫)の付属品扱いしていることにある。
 性別にかかわらず、自前の年金権がほしい。社会保障の個人別会計がなければ、離婚・再婚・事実婚が増える現実に対応できない。
 厚生・共済年金は夫婦で生きていれば満額受給、妻が死ねば夫は配偶者加給年金分が減り、夫が死ねば妻は厚生年金部分の四分の三に減額支給。最近未亡人になった友人は、これでは暮らせないと嘆いていた。専業主婦は夫の庇護なくしては、経済的に生きられない。
 どんな生き方を選んでも、不利益をこうむらない社会になってほしい。たまたま女に生れたり、たまたま好況期に大企業に就職できたり、たまたま頑強な健康に恵まれたりという「運」に左右されない、生き方の自由をサポートする社会保障をとは贅沢な望みなのだろうか。
 独立した個人が協働して、生きる上のリスクをカバーしあうのが社会保障だと思う。転職や離婚など、経済環境の変化をサポートする社会保障は、不本意を我慢する生活から自由への脱出を大いに助けるものと思う。
 個人の自由は委縮している。就活の学生は採用担当者の好みに自分を合わせようとする。どんな仕事でどんな給料をもらったか、現役時代の平均報酬月額で厚生年金の金額が変わる。若いころの男女差別は死ぬまで付いてくる。
 故に社会保障は、個別の企業活動とは別建てするべきではないか。就職も結婚も離婚も、生き方の自由を妨げないでほしい。年金が心配で別れられない、評価や成績が心配で社内でモノが言えない、馘首が心配でセクハラ・パワハラに泣き寝入り。
 雇用されない期間の保証があれば、労働力移動は今より軽くなるだろう。企業の人員計画も自由度が増すだろう。社会保障の抜本的見直しの中に、個人別会計を組み込んでほしいと願う者の一人である。


片山洋子
ライフビジョン学会会員
OnLineJournalライフビジョン編集人
有限会社ライフビジョン





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