2012/02
勤勉な働き蟻の奨め--労働時間を考えるライフビジョン出版



建設現場で働く重機クン。
仕事のプロはユーモアも備える



この原稿は奥井禮喜著・労働組合文庫2 労働時間とは何か――「働きすぎ」は本当か?より抜粋して紹介します。
 相変わらず労働時間に関する情けない話が聞こえてくる。月に一回の日曜日しか休んでいない男性社員、自分の子供の運動会の休みも取れないので正職員からパートになろうとしている女性保育士、労働時間管理が全くなされていない販売職、労基署の査察に備えて嘘の書類を書かせる管理職。
 彼らはなぜか戦わない。「仕事口が少ないのに文句なんか言ったら働けなくなっちゃう」から。仕事がないから安い給料で働く、安いから長時間働く。そのうち労働時間管理はずるずるになり、職場には長く働くことが忠誠心の証みたいな雰囲気ができる。
 勤勉な働き蟻は自らの仕事の主人公である。勤勉とは内発的に目標を掲げてその実現に一所懸命になることである。生きるためだけの働き蟻はみじめである。
 自分が主人公になる人生のために、長時間労働をやめよう。仕事量をシェアして新たな雇用を増やそう。一人一人の働き方を変えて、個人の人生と社会に良い循環をもたらそう。

労働時間とは何か――「働きすぎ」は本当か?
奥井禮喜

長時間労働≠勤勉
 歴史の本によればローマ人はほとんど個人財産にこだわらず、個人の住居などにはあまり関心なく、ちゃちな家に住んでひたすら戦闘に励んだそうだ。そして壮大な公共施設が造成されたのである。地価が高くて悩むなんてことはなかったのであろう。その結果が大ローマ帝国である。もちろん今日戦闘行為に励めなどと言うのではない。ローマ市民にはそれが生業であった。
 日本人はかつて「うさぎ小屋に住む働き中毒」と言われたことがある。豪壮な邸宅は確かに快適であろうが、わが国土は狭い。大家族は少ない。大きな家はムダも多い。とすれば「立って半畳、寝て一畳」、うさぎ小屋であれ雨露凌げれば上等とする心がけはなかなか見上げたものではあるまいか。さらに仕事は社会的価値を創造するのであるから、お勤め人が生業に精励なさることを働き中毒と揶揄するのはまったく失礼である。仕事に価値があるのだから中毒するほど精励なさるのは見上げた根性である。「勤労第一」「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉もある。
 ところで、最近はいささか雰囲気が違うのじゃなかろうか。確かに「長時間働く」ことが話題になるけれど、それにしては「皆がよく働く」というような発言を聞いたことがない。中国でがんばっている日本人駐在員に話を聞くと「今や勤勉という言葉は中国人のためにある」とおっしゃる。ほんの20年くらい前までは「中国人は働かない」とぼやく人が多かった。彼らは残業や休日出勤はやりたがらない。仕事が終わればすっ飛んで帰る。某駐在員氏がそれとなく聞いてみると、急いで専門学校へ通っておられる。「大学卒業しているのになんで専門学校へ行くのか?」と尋ねたら、「新しいスキルを身につける」と言われたそうだ。なるほど長時間働くことと勤勉とは必ずしも一致しない。


勤勉な先人・二宮金次郎
 わが日本人の勤勉の見本は二宮金次郎(尊徳)である。足柄上郡栢山村(小田原市)1787年生まれ。翌年から天明の大飢饉(1788〜1795)で多数の餓死者が出たそうだ。農業技術は未熟である。全国的に地震水害が多く、生活苦から一揆、逃散などが多く発生していた。農民生活は辛い。働かない武士階級が勤労を説いても誰も本気になるわけがない。博打が大流行する。貧困が道徳的退廃をもたらしていたのでもある。
 金次郎は親が亡くなり16歳で伯父のもとに身を寄せた。向学心が強く夜は儒教「大学」を読む。ところが伯父に「俺の貴重な灯油を使うな」と叱られる。それではと空き地に菜種を育て油を作って、自前の灯油で読書しているとまた伯父が「居候なのだからお前の時間は俺のものだ」と言う。そこで読書時間を夜なべ仕事に充てて、薪を集めにいく山道の往復で読書したという。かつて小学校の校庭にあった金次郎像はその挿話を象徴している。いかに無理難題が降りかかろうと「キレない」。
 やがて独立、刻苦勉励、骨折り働き、周辺の人々の農業を助けもするうちに篤志家として有名になる。高名聞きつけて小田原藩主はじめ彼方こなたの藩から農村再建の依頼がきて、ざっと10人の大名(藩)を助けた。金次郎のコンサルタント業はまず村を検分し、農民と数ヶ月過ごし暮らしぶりをみっちり観察して、農民の信頼を獲得してからやおら指導に入る。貧困は自力で解決させるという方針を一貫して堅持した。下野村(栃木県)再建には10年を要した。率先垂範労働する。生活は質素そのもの、倹約に努め、睡眠は二時間であったそうな。
 まあ、こんなところが日本人のあらまほしき姿、「勤労第一」、国家のために善戦敢闘せよというわけで、戦前は国家主義の象徴にされてしまった。だから戦前世代の方々には金次郎の印象は勤労第一の押し売りに見えてしまう。しかし、金次郎その人はどこまでも立派である。
 たとえば天保の大飢饉(1836)で、金次郎は江戸詰めの小田原藩主から藩救済を全面的に依頼される。ところが家老以下ノラクラ役人の動きは芳しくない。そのとき全藩士に対しておこなった講話が有名である。いわく「国が飢饉を迎えて食べ物がない。この責任は自然のせいではなく治者の責任である。自然のせいにするのであれば餓死するのみである。もし対策ができないのであれば治者はその罪を背負って食を断ち自ら死すべきである。まず役人が死ねば、農民は自分たちが死ぬのも当然だと思うであろう。そうすれば死を恐れず自然と闘おうとするのだ。」藩の蔵を開けて糧食を農民たちに渡すのを渋っていた家老以下一言もなく従ったという。これ、中国孟子の説である。孟子は仁術が伝わらないのは指導者のゆえであると説き続けた人である。孟子と違って金次郎さんは実践していたのだから迫力が違う。


天職のための勤労第一
 金次郎はなんといっても農民のスーパースターである。「晴耕雨読」という言葉がある。晴れた日は畑を耕し、雨の日は書斎で書物に親しむ。田園に閑居し悠々自適の暮らしをすることで今も引退後の憧れのスタイルとしてよく語られる。
 中国のクブチ砂漠で植林活動に高齢期を捧げられた故遠山正瑛先生は若きころ京都大学農学部で学ばれたが、恩師から「百姓というものは雨が降ろうと嵐がこようと一年365日休みはないのだ。その決意があれば農学部に入れ」と発破をかけられたそうだ。
 なるほどいかなる仕事であろうとも、それを天職だと心得て道を究めようとすれば、そのような心構えが必要なのであろう。遠山先生はどこへ行くにも作業服姿で通された。常在農場なのであった。講演をうかがったときすでに90歳を超えておられた。音吐朗々、論旨明快、笑わせ、泣かせ、ど迫力の講演であった。
 この道一筋、戦争中・戦後は鳥取県の砂漠地帯で農産物を育てる研究に没頭された。研究費用もろくすっぽなく、着衣は襤褸(らんる=ボロ)に近く、飢えている皆を救いたい一心でがんばっておられるのに、周囲の連中は「砂地に作物ができるわけはない。気がふれているのと違うか」と陰口を叩いていた。しかし先生はそんなことはどうでもよかった。
 話が遡るが、江戸時代には宮崎安貞(1623〜1697)という人がいた。広島に生まれ、福岡黒田藩で200石の禄を食んでいたが、諸国巡遊して古老を尋ね歩き農業の方法を調査し、40年を費やして「農業全書」(1697)を著した。これは江戸時代中期から後期に渡って日本中で読まれたもので、農業技術改革におおいに貢献したのである。「農民は農業技術に詳しくないから、力を尽くして農業に勤しんでもなかなか利益が得られないどころか困窮から脱しえない。農家の万に一つの助けにでもなればと思い農法を研究して著した。」と凡例に書いている。彼が踏破したのは山陽道から近畿、伊勢、紀州の諸国に渡る。さらに自分で農業に携わりその研究をまとめ上げたのである。それまで農業本はわが国には存在せず、ために中国の書籍の研究も重ねたそうだ。著作が世に出た年、宮崎安貞さんは彼方へ旅立つ。まさしくライフワーク。「農業全書」を書くための人生だった。
 特筆すべきはここに紹介した三人の卓抜した先達は自分の地位や名誉、まして儲け主義のために敢闘されたのではなかった。ひたすら人々の困窮を救い、その生活の自力更生を願って活動されたのである。天職、ライフワークという名にふさわしい生き方である。「勤労第一」とは世のため人のため、そして何よりも自分の天職だという強烈な意識が必要なのではあるまいか。
 これらの先達に限らず、今日のわれわれは過去の遺産の上に生きている。突出して名前が残っていなくても、たとえば敗戦後の日本を再建してこられた先輩たちはまことによく働かれたに違いない。そのエネルギーがまだ燃え続けている60年代に社会人になった私は、いわば軟弱戦後世代の一期生ではなかっただろうか。顧みればいささかならず恥ずかしい。もちろん、それは貧しさゆえ闘わなければならなかったのであって、次第に経済・社会が再建されてきて、経済大国と言われるようになり結構な暮らしができるようになったのだから、働き蟻みたいな人生を送らなくてすめばそれにこしたことはない。


長時間労働は気の抜けたビール?
 しばらく前から、不払い労働が蔓延している。自営業者ならいざ知らず、お勤め人であるから不払い労働をするのは合理的行動ではない。働けばそれに見合って報酬をうけとるのが当然である。
 不払い労働が蔓延するようになったのはどうやらバブル崩壊後、1990年代後半からであろう。その以前、不払い労働がゼロではなかったが、不払い労働しても「やってるよ」と公言するようなことはなかった。実力不足を偽装しているとか、上役に対するゴマすりだと見られるのが嫌であったから、ひっそりと遠慮がちにやったものだ。ところが今日ではやっていないほうが珍しいというくらいである。
 「何のために働くのですか」と問えば大概は「生活の糧のためである」と回答する。生活の糧のために働くというのは極めて当然、合理的であり、仕事の目的は利己的であって、会社や他人のために汗水流すのではない。実際、1970年代くらいまではいわゆる「生活残業」が多かった。なにしろお勤め人が収入を得る道は会社で働くしかないのだから、ある程度残業したいという気持ちは理解できる。組合が残業規制しようとすると、組合員が「残業やらせろ」と文句を言うような場面も少なくなかった。ところが今日では残業はしているが報酬をもらわないのである。
 つまり生活残業ではない。後工程の人のためか、顧客のためか、理由はともかく不払い労働とは利他的行動である。自分以外の誰かのために奮闘しておられるのである。しかも有給休暇は取らない。表面的に見れば昔の「勤労第一」的価値観が彷彿するし、利他的行動であるからいかにも「世のため、他人のため」なのである。つまり「生活の糧のために働く」と言いつつ、実は「生活の糧のためではない」という不思議な景色なのである。
 ところが前述のように中国で働いている駐在員諸氏の目に映る日本国内の働き方は、とても勤勉には見えないと言われる。そればかりか彼らは「できることなら日本に帰りたくない」とまで言うのである。理由は、年に数回の本社の会議に出席すると、会議が非常にだらけていて、「俺がやる」「よし、やろうぜ」という雰囲気がないと苦りきっておられる。中国で働いている調子でがんがんしゃべると同僚から後で「お前、なんであんなに張り切っちゃっているの」などと非難がましく言われる。彼らの目には要するに国内は「やる気がない」と映る。リスクはあるが自分が意のままに腕を奮える中国の仕事のほうにやりがいを感ずるのは当然だとおっしゃる。ごもっともである。


マネジメントの視点から
 労働基準法第32条(労働時間)によれば「使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について40時間を超えて、労働させてはならない。A使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について8時間を超えて、労働させてはならない。」と書いてある。
 これが同法第36条(時間外及び休日の労働)によって、「労働者(組合)と書面による協定をすれば労働時間延長、休日労働させることができる。」ことになった。1947年に労働基準法が成立したときには画期的な労働法だとされたが、1949年にいわゆる三六協定によって自由に残業させるようにしたのである。
 8時間と言えば一日の三分の一、睡眠時間を8時間とすれば残りは8時間、常識的には残業は生活時間に食い込み、果ては睡眠時間に食い込むことになるのだから、この8時間労働の意味は決して軽くはないのである。だから組合活動においてはもっとも基本的な労働条件として8時間労働を大切に扱わなくてはならない。しかし当時は戦後の飢餓賃金時代でもあり、会社再建も不可欠であり、協力すべきところは協力せねばならない。だから三六協定については、すったもんだを常に繰り返してきたのである。
 ここでは法律解釈は横へ置いて、「働き過ぎ」の周辺を考えてみよう。
 概して働き過ぎという場合、労働時間の長さ、つまり時間量に注目することが多い。しかし、忘れてならないのは労働時間の質、労働密度の問題である。人間はそれぞれ個性的である。短距離競争が得意な人もいれば長距離競争でパワーを発揮する人もいるのは当然である。労働密度をきちんと測定して決めない限り、単純に労働時間量だけを眺めても問題解決にはならない。
 嗜好性からすれば一気呵成に集中して仕事をやっつけるタイプがあるし、じわじわと時間をかけるタイプもいる。機械を使って働く現業労働などは仕事に必要な時間を測定しやすいから、かつては作業研究などを通して標準作業時間を決定し、それと時間量で仕事の成果を測定したのであるが、最近はいわゆるホワイトカラー的職種が多いから容易に測定できない。
 というよりもほとんどそのような科学的な発想・施策が見られない。おまけにマネジメント不在と悪口を言われるくらい職場の管理ができていない。裁量労働制度とか、ホワイトカラー・エグゼンプション(white color exemption)などは本人の主体性を尊重するという以前に、管理の放棄と言いたくもなる実態である。
 部下の時間管理のできない管理者というのは果たして管理者と言えるのかどうか、組合ならずとも経営側において真面目にお考えになることが大事であろう。働く方々の時間管理ができずして、いったいどうして経営計画を立案なさるのか。すでに経営の体裁をなしていないと言うべきではあるまいか。
 同じ仕事をしているAさん・Bさんがいると仮定する。Aさんは仕事を8時間で片付ける。Bさんは10時間必要とする。労働力提供の時間はBさんが二時間長い。二時間分残業手当がつく。同じ仕事をしているのに収入(会社からすれば支払い)はBさんのほうが多い。「労働量=労働力の質×労働時間」の公式に当てはめればAさん・Bさんは同じ報酬でなければならない。
 二人の賃率が1,000円とする。Aさんは8時間で8,000円。Bさんは10時間で10,500円(8,000円+1,000円×1.25×2時間)となり、その段階で、賃率がAさんは1,000円だが、Bさんは1,050円になる。労働量が等しいのに賃金総額も賃率も違ってくる。同一労働・同一賃金に明らかに反している。
 問題はそれだけに止まらない。仕事を終えたAさんがさっさと帰宅して自分の余暇時間を自由に楽しめるという雰囲気は概して会社社会にはない。「あいつは協調性がない」などと言われることも少なくない。そうするとAさんも10時間働くことになる。当然ながらAさんの8時間分の仕事密度と10時間分のそれとは異なる。長くなれば集中力が低下するのは避けられない。
 かくして水は低きに流れる。残業が恒常化している会社においては、労働密度が下がる傾向にあるのは必然的なのである。成果主義といっても、労働の質について規定できないままに結果だけを求めるような事態であればほとんど意味がない。そんな状態で、集中的に本気で仕事をするようになるであろうか。
 その意図は要するに、残業手当を出したくないのであろう。残業手当を出し渋り、成果主義でケツを叩いてなんとかしたいという本音が見え見えである。そんなことをすると結局、だらだら時間消化型の労働になるだけであって、会社の活性化とは逆である。
 このように考えれば労働時間が長いことが必ずしも働き過ぎとは言えないという結論になるのではなかろうか。


粋人は仕事を遊ぶ
 Aさん・Bさんの事例は優秀な人とそうでない人とをあえて比較対照したのであるが、現代版の金次郎さんがおられるのもまた否定できない。私のかつての職場には「鬼」と畏怖されつつも尊敬される方々がおられた。「こんなこと到底できないよ」と皆が音を上げる問題を沈思黙考して解決する凄腕の職人が少なからずおられた。彼らは人間的にも魅力的であった。だから人気があった。
 職場で魅力的な方々は「これは自分の仕事だ」という意志を確保しておられた。会社のために働いているのではないし、妻子のために働いているのでもない。言葉では言わないが仕事は彼らにとって使命(mission)なのである。だからうまくいかない、面白くないなどとして手を抜いたり適当に按配するなんてことがない。働かなければ食えないのは事実であるが、彼らの脳裏に「働かざるをえない」という意識はない。「働かされている」のでもない。唯一つ「自分」が「働いている」のである。
 彼らは確かに達成感の魅力にとり憑かれているようでもあった。達成感を求めて働くとなれば誰がやっても容易にできる仕事ではなく、「俺がやった」と誇れるものがいいに決まっている。「粋」なのである。意気地があるのである。
 洒落て言えば、彼らは仕事を遊んでいる。私のボスは人工衛星を制作された。「凄いことをおやりになるのですね。いったいどういう頭脳なんですか?」。ボスは言われた。「人工衛星もプラモデルも同じやで。」うむむむ。なるほどプラモデル遊びの好きな人であれば、玩具じゃなくて本物の人工衛星のほうが「創りがい」があるに決まっている。本当のプロは仕事を遊んでおられるらしい。瞠目。趣味と実益を兼ねると言う言葉があるが、仕事を遊ぶ力があれば、まさしく「実益と趣味を兼ねる」ってことになりますねえ。私にとってこの言葉は不滅の輝きを持っている。
 もっとも遊んでいるのにも上手物と下手物がいる。ひょっとすると圧倒的多数はエセかもしれない。いわく、仕事を遊ぶのではなくて、会社で遊ぶという手合いである。遊んでいるのだから短い人生の時間をすり減らして働いていても報酬が気にならない。エセが増えると会社も困るが、他の社員もおおいに迷惑をこうむる。なんせ職場滞留時間が長い。仕事の質を無視すれば、つまり他の人と同じ質の仕事をしていると考えれば、長く滞留している奴の覚えがめでたくなるのは当然だからである。


長時間労働は違法である
 働き方は就業規則に基づくのであるが、就業規則の内容と運用は労働基準法、労働協約に違反してはならない。つまり組合員は働き方においては法律と団体的労使関係によって守られているはずである。サービス労働などが問題になるが、法律・協約違反のみならず、就業規則違反でもある。まさか就業規則でサービス労働を規定している会社はないはずだ。仕事が終わっていつまでも会社に滞留することは禁じられている。持ち帰り残業も、会社の書類を外部に持ち出すのは目的の如何を問わず本来禁止事項である。
 「お金も別にいらない、私はこの研究がしたいのだ。仕事が好きなんだから放っておいてほしい。」――時間外労働規制外で自由に働きたいという研究従事者がいた。なるほど心がけとしては見上げたものだと言いたいのであるが、それが表へ出れば上司は監督不行き届きで間違いなく処分される。あいつは特別だとして就業規則違反を公認すれば、やがて他の従業員が就業規則違反を平然とおこなうようになっても文句が言えない。
 組合としても団体的労使関係を内部から崩す組合員を黙視できないし、組合規約上も大問題である。本人は誰にもご迷惑かけていないと単純に考えるのであるが、組織で働く態度ではない。生産妨害ではなく、会社のためにもなっているのだという自尊心がちらちらするのであるが、余人を以って替え難い仕事をしているような人であれば、非組合員協定の締結が相当である。しかし経営側としてはそれほど彼の仕事に執心していないものだから、非組合員協定を提案してまで彼に仕事させたいとは考えない。
 時間外協定は昔から苦心惨憺したのである。とくに受注開発事業などでは、開発の苦心、無理な納期も重なって長時間残業が多くなる。「とにかくやるしかない!」――のではあるが、考えてみればすべての仕事がとにかくやるしかないのであって、原則的には仕事のやり方、労働時間については特例扱いがないという立場を取らなければ際限がなくなる。
 残業というのは、8時間労働以上に労働可能な時間があるという思い込みによるのである。今日の仕事は今日終るしかない。もし24時間労働だとすれば、残業時間は(今日は)ないのであって、残業とは要するに明日の労働時間の先食いなのである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 
経営労働評論家、日本労働ペンクラブ会員
OnLineJournalライフビジョン発行人




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