2012/12
人生と労働―きっちり仕事をするということ ライフビジョン学会



木下親郎 氏
――◆――r
藍野大学非常勤講師

 1957年三菱電機入社。衛星通信地上局,大型望遠鏡,人工衛星等の大型精密機械の開発に従事。現在,藍野大学非常勤講師として「科学技術論」を講義。本OnLineJournalライフビジョン「読書への誘い」連載中。


 ライフビジョン学会は働いて人生を作っていく人々の学会として1993年に発足し、今年20周年を迎えました。
 20年を記念して2012年9月29日(土10:00‐17:00)、国立オリンピック記念青少年総合センターに於いて以下の公開セミナーを行いました。

メインテーマ

人生と労働
「仕方がない」の壁を打ち破れ

当日のプログラム

10:10−11:50 問題提起1
「神の見えざる手」が働く条件
―全体最適を意識して行動することの重要性―

法政大学経営大学院 藤村博之氏

13:00−14:40 問題提起2
「技術者の仕事とは」
―Professionalなものの見方・考え方について―r
藍野大学非常勤講師 木下親郎氏

14:40−15:00 休憩

15:00−16:45 全員によるTalk & Talk
「人生と労働」混沌の霧を晴らそう
コメンテータ 奥井禮喜

ライフビジョン学会20周年シンポジウム 報告 2
人生と労働
「仕方がない」の壁を打ち破れ
きっちり仕事をするということ
―元技術者から後輩たちへ―
藍野大学非常勤講師 木下親郎氏


技術者と科学者の成功と失敗

 福島原発事故は技術不信を日本に植え付けた。昨年、元東大総長から聞いたが、「我々は技術者不信、技術不信を取り除くためにがんばらなければならない」と訴えていた。
 「想定外」という言葉が頻繁に使われている。アメリカ元国防長官のラムズフェルドの言葉がある;
 Unknown unknown 知らないことを知らない
 Known Unknown  知らないことを知っている
 Unknown known  知っていることを知らない
 Known known    知っていることを知っている
 科学者は自分が知らないものを知ろうと挑戦する存在だから、「想定外」というのは「知らないことを知らない」ということであり、科学者が口にする言葉ではない。余談だが科学者には「専門外」と称して逃げる術があるが、それでは困る。
 先週、東大の若手教授に聞いたところ、原子力に関係しなかった学者たちはその後遺症から立ち直りつつあると言っていた。今まで以上に研究に励むとも言っていた。
 科学者も技術者も失敗するのは普通であるが、科学者の失敗はあまり表に出ない。ガリレオ先生はどうだった、ニュートン先生はこうだったと成功した話ばかりだが、ニュートンなどは長生きしているから、評判になった以外のところではずいぶん失敗していることだろう。(笑い)
 科学者は失敗が多いが、大成功や新方式を見つければそこからまた新しいものが見えてきて、新しい仕事が始まる。つまり科学者の世界は常に、成功という完成のない世界と考えられる。
 一方技術者は、約束通りにできなければ失敗である。つまり成功と失敗がはっきりしている。
 私がかかわったハワイのスバル望遠鏡を作るとき、国立天文台の大先生は何のために作るのかを、国民と政治家が分かり、大蔵省と文部省が納得するような三つの目的を示した。
 しかし天文台の大先生の本音は、スバル望遠鏡を作って予想もしてなかったものが分かる、ということだ。
 科学者というものは予想して何かができるというものでなく、科学の世界にはないものを予想し考えられないことに挑戦する。その点でも技術者は、評価がはっきりしている世界である。


優秀な技術者の使い方

 私は三菱電機出身でモノづくりばかりやってきた。今は医療系の大学で立派な看護師、理学・作業療法士、臨床工学技士になってほしいと「人づくり」をやっている。理学療法というと日本ではリハビリ、マッサージを思う人が多いが、世界の最先端ではバイオや物理工学、生命工学の分野の論文をどんどん出している。世界水準の医療人を育てようと励んでいる。
 教員とモノづくりの世界と違うのは、学生に講義をしても、自分の仕事がどう評価されているのか判断しにくいことである。技術の世界はそれと違い、分かりやすい。
 技術屋の世界でも人事評価や考課にはいろいろ問題があった。私の経験では、優秀だと思っている人を重要なポストに充てると、他の人から「上役に反抗するとか使いにくいとか、仕事以外の面では敬遠される人材だ」と指摘されたことがある。喧嘩をしながら仕事をきちんとしてもらうのがマネジメントの仕事だと思うのに、議論を避ける上司がいる。
 考えてみれば、この人でなければならないような高度の技術が必要とされる難しい仕事はそんなにない。多くの仕事は、誰でもまじめにやればできるものである。
 技術的に非常に優秀な人に実力を発揮してもらうには、よそで真似できない技術レベルの高い仕事を与えねばならない。技術者は簡単に真似られないものを作るべし。他所でもできるようなものを開発するときには、優秀な人材にはかえって不向きなことがある。マネジメントの世界では、技術的な理屈とは違うものが働いている。
 

技術者の仕事

 その一方で、技術者の中には言われたことをやればよいという人や、できることはするができないことはしないと考えている人がいる。間違っていれば管理者が指摘してくれるだろうと考えている人が、高学歴や有名大学卒の中にいることがある。それらをどうやって直せばよいのかが現在の日本の技術者管理の課題だと思う。
 技術屋とは上から、周りから学び取って独り立ちするぐらいの根性がいるのだが、初めからもう、旬を通り過ぎているような人が(笑い)。いわゆる面白みがない人がいる。
 実はそういう高学歴新入社員を部下に持って、なんとかこれを自立させようとやった人がいた。「あなたはできるのですよ」と言って、本人がそう思うようにやっていると努めているそうだ。
 企業の仕事は、@何をするか決める、A作業手順を考える、B何をどのように行ったかの記録を残す、C不具合が発生したら決められた手順にしたがって処置する。
 いま考えてみるといたって普通の仕事である。ISO9000sの規格は、われわれが普通にやってきた作業手順を文書化しただけのものである。数年前には名刺にISO***と書くのが流行ったが、いまさらと不思議に思ったものである。
 技術者が行う作業の特徴は、「目標と成果を公平な尺度で評価できること」である。その一方で、技術的な目標が大事でカネ儲けは二の次にしがちで、どれだけ利益を上げたかは技術的な成果と無関係だと思いがちだ。入社時に私がいた利益の出ない部門は他部門の儲けで開発を進めていたようなものだ。当時の私の部門はミサイル開発であった。


技術者にとって大切な事柄

 設計(システム設計)ですべてが決まる。言いかえれば設計者がすべてを決める。当時、「ものづくりには設計が神様だ」と教育されたものだ。
 上長からは、設計が間違っていたら全てがだめになる。お前たち設計者はそれだけの責任を負わされているのだからその気構えを持てと、新入社員時代に叩き込まれた。
 やがて大きなものを設計するようになると、設計者一人では設計できない。特に複雑なコンピュータ制御が入るものになってくると、全体システム設計がどうなっているかがわからない。
 僕らはコンピュータシステムでも、上の人がわからないものを設計に採用してはならないと議論した。システム、サブシステムの責任者(プロジェクトマネジャー)はそれぞれが担当するシステムとサブシステムの中身をすべて知らなければならない。これは真理である。
 衛星や飛行機の設計では、システムとサブシステムに分ける。システムの設計者はサブシステムとの受け渡しを徹底しなければいけないから、システム仕様書とサブシステム仕様書の作成が必要となる。
 自分が分からないサブシステムのときは、受け渡しの言葉(インターフェース条件)を互いに了解する、少なくとも相手を信用していいかと確認する。
 お互いに「ようわからんけど頼むわ」「ようわからんけどやりましょう」。これが、阿吽である。私から見ると阿吽を認める日本は、システムの協同作業が非常に下手である。インターフェース条件をはっきりと決めないのは、問題の先送りである。
 「阿吽の呼吸」の欠点はいま、システム製品に出てきている。
 たとえばある会社がシステムを発注する。当然のことながらシステム仕様書で発注する。しかし詳細部分が『阿吽』。ここからさらに関連会社に、それこそ仕様書なしで発注される。そういう事例があるようだ。
 日本も早く、設計者がこれは自分の仕事だとしてシステムをまとめて、阿吽を全て書き物にして全体がわかった上で仕様書をばら撒くようにならねばならない。なお、ばら撒く人ももらった人も、全部が玄人でなければならない。その意味では期限付きの社員、有期雇用の技術者は素人が多く、玄人の仕事ができるだろうかと思う。
 米国の強みは玄人をはっきりさせる仕組みにある。この人間はどんな仕事ができるか、何が得意かわかる。背中に「自分は何屋」と言う看板が付くから、会社がつぶれても他所に行くことができる。
 私が人工衛星の仕事をしていた時に、米ヒューズやフォードなど、いろいろな会社が衛星受注の取りあいをして、どこかが受注すると破れた会社の技術屋がポッと、受注を獲得した会社に移るのを見た。日本ではたぶんできないことだと思う。


デザイン・オーソリティ

 デザイン・オーソリティは死語になっているかもしれない。これは、設計をした人が設計を変えても良いと許可を出せるということ。われわれの時には、設計の自主性を持つことが、デザイン・オーソリティと言っていた。
 ライセンスで物を作っているときには、図面があっても全然わからないことや不具合ができて、変えなければならないときにどう変えるのか悩んだ。われわれとしてはいま、デザイン・オーソリティに非常にこだわる時期に入ってきたように思う。特に福島原発事故でそう思った。
 福島原発の事故ではいろいろな報道があったが、設計した人でないと判断はできないはずである。われわれはもう一度、デザイン・オーソリティというものを考え直さなければならない。
 よく「審査をしろ」「ダブルチェックをせよ」と新聞が騒ぐ。はたして他人の設計の間違いを発見できるものだろうか。設計経験があるものならばわかると思うが,設計者以外の者に間違いは発見できない。審査(レビュー)、チェックとは、される側が間違いを自ら見出すためのものであって、する方が間違いを見つけるものではない。第三者が誤りを見つけるようなシステムではだめなのである。
 原発の安全性についてはナントカ委員会がやると言うが、その委員会が設計者と同じ力量の技術者を連れてきて、それがずっと時間をかけてしっかり調べて行かないと、良いか悪いかはわからないものだと思う。
 メーカーがユーザーとともに設計のオーソリティをもって、審査をして「だめ」といわれないように頑張る。審査して通ったからよい、というものではない。
 技術者の原点は、デザイン・オーソリティである。


ICT時代への対応

 いま、ICT時代と言われる。これに、世界中が踊らされないように注意するべきだと思う。
 米国でITC技術を眺めている人から話を聞いた。米国にいるICT(Information and Communication Technology 情報通信技術)をやる連中はみな、技術や企業を伸ばすよりも、自分が大金持ちになるためにがんばる。消費者は最新の技術が享受できると,新製品に殺到するが,少数の企業人が巨万の富を手にする。従業員は起業をめざして励んでいる。
 これらの会社の経営者は四六時中、エレクトロニクスしか、ICTしか考えていない。昔、米国エレクトロニクスの会社幹部は、「日本の社長はゴルフと接待だ。われわれは社長になるとそんな暇はなく、土曜日は幹部社員を集めて会議する。幹部社員は平日の工場が始まる前に幹部を集めて相談する。しかし日本の企業幹部は夜は接待、昼間堂々、会議のために幹部を招集し、土日にはゴルフなのだからこのような会社には絶対に負けない」と言っていた。
 米国と日本の意思決定機構の違いもある。友人は台湾にある会社で20年、顧問をやっていた。そこの役員会議は、互いに意見を出してものすごいチャンバラだ。終わると会議中あまりしゃべらなかった会長がヨッしゃと、1千億の投資のような案件でも即決で決めてしまう。それに対して日本の意思決定機構はどうか。
 ICT時代というのは、よほど日本が得意な技術に特化していかないと。他の国でできることをしていたのでは、負けると思う。


技術者失権

 技術者は物理の法則を曲げてはいけない。マーケティング技術として似非技術論を展開してはいけない。この二つを技術屋は絶対に守らなければならない。
 物理を教えていると、「先生、この頃四原色になったと、CMで言っています」と学生が言ってきた。「原色」とは、目には赤・緑・黄色を感ずる視細胞が三つあるから「三原色」というもので、新しい視細胞が発見されればノーベル賞モノだが、某社はそれをテレビの宣伝で言わせている。これはマーケティング政策から出た似非技術である。この会社の技術者はどうなっているのか。
 

不毛の科学技術論争

 今度の福島原発事故で一番感じたことは、新聞やテレビの報道記者のほとんどが、わからないことを書いて、しゃべっていることである。技術屋の常識では理屈があって結果があるのに、テレビで出てくる学者先生は、理屈抜きで結論だけ決め付ける。
 科学者の「成果」は批判を受けるために論文として発表されるのが普通で、論文が出て初めて議論できるものである。しかしテレビに出る学者の本は書店にも山のように積まれているが、学術の形ではあまり出ていない。権威のある雑誌は審査した論文しか掲載しない。売れれば良いという代物だ。
 マスコミ情報の多くは、私には納得がいかない。マスコミが報じると一次ソース、情報の原点を探すように努めている。原発事故に関することは新聞テレビではなく原典を、翻訳ものはできるだけ元の本を原語で読むようにしている。
 政府の審議会に出席する科学者は,自分の立場をどのように理解しているのか。易者ではあるまいし,自らが時間をかけて同じ作業を行わない限り確信のある見解をだせないと思うのだが。
 「南海トラフ地震政府被害想定」も、科学者,他の分野の研究者がどのように関与したのか。どれだけの審査を受けたものか。日本中が沈没するようなことを言っているが、どのように理解すべきなのか、私は戸惑っている。
 日本では起訴されることはないが、ラクイラ(イタリア)の地震(2009)では7人の地震学者が起訴されて、禁錮6年の有罪判決が出ている。


技術のグローバリゼーションを

 日本はもっと国際基準の策定に取り組まないといけない。自動車用電池は日本が先行しているはずなのに、国際基準ではドイツが圧している。日本は国際的な場にどんどん優秀な認定を出していかないと、これからのICTの時代にはだめになるのではと思う。
 経産省は関西で組み込みシステムの品質検証について検討をしていて、私もそこに出させていただいている。
 日本も儲かる、売り上げのいいところへの注力から、これから将来伸びるところに金を出して、先行開発をおこなう仕組みが必要だ。
 アメリカではDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency's 防衛関係の先行開発を行う)が、いろいろなことをやっている。
 8月8日、アメリカは土星に自動車ぐらいの大きさのロボット、ローバーを置いた。既に2003年には火星にロボットを送り込み、火星の写真を地球に送っている。
 福島原発事故現場に入っていったのは、清掃用ロボット「ルンバ」を造った会社の製品だった。DARPAが開発資金をだしたものだ。イラクやアフガニスタンでは福島で活躍したロボットが、地雷の除去作業など先頭戦闘の場で働いている。
 日本ではそうした先行開発におカネが出せる体力がなくなっている。ひところはNTTが光の通信技術で世界に先駆けておカネを出していた。JR,製鉄や電力会社も、かなり先物の開発をしていた。今の日本は金を出して先の技術開発ができない時代になっている。


新技術への期待

 これからの技術について言えば、いわゆるニュートン力学を超す領域に入っている。たとえばつい最近、0.2ミクロンを機械的に計測する研究を見せてもらった。今はシリコンに代る次世代基盤としてのダイヤモンドの研究もおこなわれている。これらはどちらかというと研究者より科学者の世界で、それを企業が行うのはつらい。
 基礎開発をしないことで有名な日本の某大手メーカーさんは、大学からみると大変な予算を大学にだして見込みのある分野の研究をさせ、自社では実験設備を作って非常に上手に、商品開発をしている。このメーカーさんにはもっともっと大学の基礎研究分野に資金を提供してほしい。
 産官学の連携や研究、事業化の取り組みについて、電総研(電子技術総合研究所)とか機械技術研究所とか、全国の機関を集めて組み替えてできた産総研(独立行政法人産業技術総合研究所)が大学と官の間を埋めろとがんばっている。
 しかし官の予算は長期には出せないから、企業ががんばらなければならないが、それには企業の体力をもう少しつけないとしんどい。本当は防衛があれば良いが、日本では防衛産業は表に出せない。


元技術者から後輩たちへ

 IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers, Inc.  米国電気通信学会)がIEEEマイルストーン賞という、25年以上使われて社会に貢献した技術を表彰している。
 イタリア人ボルタの電池が初の認定である。日本では1960年代にできた新幹線、富士山頂気象レーダー、茨城のKDDの衛星通信アンテナ,黒部発電所が表彰されている。いずれも多くの技術を総合したシステムである。八木アンテナ,シャープの電卓、太陽電池,駅の自動改札機も入っているが、これはどちらかという単体モノだ。
 日本が戦争に負けたのは1945年、それから20年後にこれらの世界が賞賛するシステムを完成させた。新幹線は大変なシステムだし、富士山頂気象レーダーは富士山から東京へマイクロ波でつないでいる。日本は茨城の衛星通信アンテナを自力で作ったが、フランスはアメリカから買った。電気や通信,機械、土木,建築などいろいろな『システム』モノで日本技術が伸びていくべき方向を示している。
 これらがシステムとして世界の場で表彰されていることを紹介して、元技術者としての話を終わらせていただきたい。
(文責編集部)







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