2013/07
超高齢社会なんて怖くないライフビジョン学会





 ライフビジョン学会では2013年5月25日(土)、東京渋谷のオリンピック記念青少年総合センターで第20年度の総会を開催した。恒例総会学習会では「ちゃんとした生き方―Decent Live」をテーマに、以下のシンポジウムを行った。

講演 1
超高齢社会を生き抜く知恵
      お茶の水女子大学名誉教授
      袖井孝子氏
講演2
われわれはどこに行こうとしているのか
      (有)ライフビジョン代表r
      奥井禮喜 氏
全員によるTalk & Talk
     ちゃんとした生き方をするために
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 袖井孝子 氏
お茶の水女子大学名誉教授
一般社団法人シニア社会学会会長


 老年学・家族社会学。特に加齢とジェンダー、高齢者の社会参加、家族介護に関心。
 男女共同参画会議議員、厚生労働省「女性と年金検討会」座長等を務め、専門である家族社会学・女性学・老年学の立場から実際の社会福祉政策に対し多くの提言を行っている。
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 これからやってくる超高齢社会は、高齢者が生き生き元気に活躍しないと乗り切れない。その可能性が高齢者にはあることを話をしたい。
袖井孝子氏講演「超高齢社会を生き抜く知恵」より


超高齢社会の固定イメージ
 超高齢社会は認知症が多いとか、年金・医療・介護など社会保障費が増大する、労働力不足、消費低迷、社会全体の活気がなくなるなど、どうしても暗いイメージがつきまとう。
 2010年の国勢調査結果に基づいて、国立社会保障・人口問題研究所が50年後の人口推計を行った。これによると日本の人口は、今の1億3000万人ぐらいが2/3の、8700万人ぐらいに減る。なかには、「日本が消える」とセンセーショナルな発言をする人もいるが、日本の国土からすると8千万人は適正規模かもしれない。
 しかし問題は人数よりも中身である。1950年代末、日本が経済成長期に入り始めたころは、高齢者が少なく子供が多い、綺麗なピラミッド型の人口構成であった。次の世代が多ければ社会は安定する。
 2005年は団塊世代とそのジュニアが膨らんだ提灯型で、働く人口は多いが団塊ジュニア以降は出生率が急減している。今は子ども人口を高齢者人口が上回る。
 2055年には逆ピラミッドになる。正ピラミッドの時は10人以上の働く人が1人の高齢者を支えたが、いまは働く人3人が1人を支え、50年後には1人で1人という厳しい社会になる。
 しかしこれに絶望するわけにはいかない。


家族のもつ福祉機能
 日本の高齢者像はどう変わってきたか。
 戦前には儒教倫理に基づく家族制度があった。敬老精神、親孝行、長幼の序、男尊女卑などがその基本であり、家長である男性にとって、家庭はきわめて居心地がよかった。しかし女性、とりわけお嫁さんにとっては非常に辛い、上から抑えられる制度であった。
 親の財産は長男が単独相続し、老親は長男に単独扶養された。明治の民法には、子は親と同居して孝養の精神をもって親に仕えるべしと書かれていた。社会保障制度はなかったが『家』を中心とする相互扶助により、高齢者は一部の極貧層を除いて、老後をどこで誰に面倒を見てもらうか、という不安感はほとんどなかった。
 1945年の敗戦から50年代半ばまで、いわゆる経済成長の前までは、戦後復興期であった。日本は第二次大戦で壊滅状態になった。生活難、食糧難、住宅難の中で、家計費に占める食費の割合は収入全体の半分という貧しい時代であった。
 1946年に日本国憲法が成立し、47年に民法が改正されて家制度が廃止された。「押し付け」だとして安倍晋三首相は今の憲法を変えたがっているが、私は大変素晴らしい憲法だと思っている。
 特に素晴らしいと思うのは日本国憲法24条で、婚姻は両性の合意のみに基づき、夫婦は平等、と書かれている。それまでの明治民法は男尊女卑であった。 自民党の憲法改正案はこれにも手を付けたいようで、文頭に家族は社会の基礎である、家族を大切にしよう、などというのを付けようとしているようだが、家族は大事だなどとお国に言ってもらわなくてもよい。いま憲法が危機に瀕しているのがとても気がかりだ。
 親の財産は、長男による単独相続から均分相続に変えられた。性別や出生順位にかかわりなく、誰もが平等に相続できるようになった。ただし法律は変わっても実際には、単独相続・単独扶養が続いていた。
 1950年代半ばから70年半ばあたりの経済成長期に技術革新、エネルギー政策などによって産業構造の転換が起こり、サラリーマンが急増した。経済成長期に入るまでの労働人口は一か所に定着する農業人口が大部分で、その他、小規模な商店主や工場主など自営業者がそれに次いでいた。労働集約型の農業や自営業は家族全員が一緒に暮らした方が効率がよく生産性も高いので、三世代同居が多かった。
 それがサラリーマン社会になると、転勤など職業上の必要に応じた移動が増え、若い層では核家族化が進んだ。そのうえ、かつては親元にいた長男も農業では食えないからと、家を出て新しい仕事に就き、田舎には高齢の核家族が残されるようになった。このころから家族は夫婦が中心であるとの考えが広がった。日本の家族の形態が変わり、高齢者の地位が低下し始めた。


公的福祉の芽生え
 もうひとつ注目したいのは1961年、岸信介首相の時代にできた国民皆年金・皆保険制度である。保険証1枚でどこでも医者に診てもらえる。全ての人が公的年金制度に加入できる。こうした制度のある国は、それ程多くはない。この素晴らしい制度は、財政難のため、危なくなっているが何とか死守したい。
 当時、高齢者は社会的弱者として福祉の対象とみなされていた。年金制度は発足したものの、25年という保険料の最低納付期間を満たしている人はいなかったので、年金を受給する人はまだいなかった。「お小遣い」程度のわずかな老齢福祉年金が出てはいたが、高齢者自身の所得はほとんどなく、実際には家族に扶養されていた。
 経済成長期には国も自治体も税収がたくさんあった。田中角栄内閣は、1973年4月に「福祉元年」を宣言し、「日本は福祉国家を目指す」と表明した。しかし同じ年の秋に第一次石油ショックが訪れ、低成長時代に入ると、にわかに福祉国家批判が出てくるようになった。「日本型福祉社会」と称して日本の伝統を見直しましょう、自助努力、同居扶助、地域における相互扶助を奨励しよう、などと言われるようになった。
 日本人はもともと、お国に言われるまでもなく自助努力の国民である。「地域における相互扶助」は、今のような自由意思に基づくボランティアやNPOの考え方とは大いに違っていた。昔の地域共同体、いわゆるムラ社会の復活のようなことを言いだしたのである。
 家族の形が大きく変わった80年代には、(民法改正によって単独扶養から子ども全員に扶養責任があることにはなったが)高齢者の多くは相変わらず三世代世帯に暮らし、息子の嫁に身の回りの世話をしてもらっていた。外国人に、日本の高齢者は子や孫に囲まれて暮らしていて、うらやましいと言われたものだが、実際に高齢者の半数以上が三世代世帯で暮らしていた。それが今では高齢者の6〜7人に1人ぐらいが三世代同居で、代わりに1人暮らしが増えてきた。


介護は嫁から社会の手に
 私が高齢者問題にかかわりをもつようになったのは東京都老人総合研究所ができた1972年。当時の東京都知事の美濃部亮吉さんは、老人問題に強い関心を抱いており、日本、というよりも東洋で初めての老人問題研究所を創設した。 
 そのころは一人暮らし老人は『問題』であった。家族に面倒を見てもらえない、誰とも一緒に住んでもらえない、見捨てられて可哀想と、厚生白書などにも書かれていた。
 この時代の大きな変化は、女性の社会進出が進んだことである。既婚女性、特に子育てを終えた中年女性たちの社会進出が盛んになった。
 1975年の国際婦人年、その翌年から始まる「国連婦人の10年」によって、男女平等、女性の地位向上など、国連を中心とした男女平等政策を、政府や自治体が音頭を取って推進した。
 女性の自立意識が強くなり既婚女性の職場進出が飛躍的に進んで、家族介護が難しくなった。それまでは専業主婦が介護をしていたが、80年代半ばになると専業主婦と共働き主婦の数が逆転し、今では働く主婦の方が多数を占める。
 私が副理事長、樋口恵子さんが理事長を務める「高齢社会をよくする女性の会」(1983年)の一番大きなテーマは、家族介護はなぜ女の役割なのか、というものである。嫁を介護地獄から救いましょう、介護を社会化しましょうなどとキャンペーンを張って、シンポジウムを開いたり、要望書を厚生省や総理大臣に持って行ったりして、介護保険制度の成立を強力に後押しした。
 出生率はすでに70年代後半から右肩下がりだったが、政府は認めたがらず、90年代に初めてそれを認めた。そのころから「高齢化」よりも「少子化」という言葉が使われることが多くなった。しかし、低成長とはいえ、企業は今ほど追いつめられてはいなかったので、企業福祉はまだ健在だった。それが90年代半ば以降から、次々と撤退するようになった。


高齢者に冷たくなった福祉政策
 90年代後半になると少子化対策という言葉が出始め、高齢者は社会的弱者ではない、応分の負担をと言われるようになった。それまでは、投票率の高いお年寄りの票を狙って、選挙のスローガンに高齢者福祉の向上が掲げられたものたが、そうした傾向は影を潜め、高齢者も社会の支え手になるべきだという論調が強まるようになった。
 2000年から介護保障制度が始まった。それまでの社会福祉政策と大きく違うのは、高齢者も保険料を払い、利用料の1割を自己負担することになった。介護から嫁を解放する契機にはなったが、高齢者にはしわ寄せが行くことになる。高齢者といえどもタダでサービスを享受することは、もはや許されない時代になってしまった。
 特別養護老人ホームや老人病院などでは「ホテルコスト」と称して、入院中の部屋代、食費などを取るようになった。それまでは高齢者が入院すると貯金ができると言われるほどで、実際に年金はほとんど全部、溜まっていった。
 ホテルコストはそれぞれの事業者が決めてよいことになり、どんどん値上がりしている。特別養護老人ホームや老人保健施設などの中には、有料老人ホームと変わらないぐらいに高いものも出てきた。高齢者は国や家族に頼ることが難しくなっていった。
 介護保険の利用者が増加し、財政負担が増した結果、国は介護保険サービスの利用を抑制しようと、サービスをどんどん切り詰め始めた。たとえば在宅のホームヘルプサービスは、2時間だったのもが1時間半になり、ついで45分になった。45分ではご飯も炊けない。
 モデルはいつも「北欧」で、「北欧では15分から20分だから、日本でも短くしてよい」という。私はデンマークでホームヘルパーと一緒にお年寄りの家を回ったことがあるが、あちらではご飯も炊かないし風呂にも入らない。夕食もチーズにハム、ソーセージ、大きなコップにミルク、そしてパンかックラッカーぐらい。これなら15分でできる。日本ではご飯を炊いてお味噌汁を作って手間がかかる。日本人はお風呂が好きだが、あちらではシャワーで10分もかからない。日本も24時間型巡回サービスを取り入れているが、ライフスタイルが全然違うことに注目してほしい。
 最近では、所得税の老年者控除が廃止された。年金課税も強化された。企業福祉も後退し、箱根や伊豆などにあった企業の保養所や寮は今や、老人ホームに転換している。高齢者は国にも会社にも家族にも、頼れない時代になってきた。


高齢者に対するいくつかの誤解
 それにしても高齢者については、いくつかの誤解がある。
 まず、「高齢者は貧しい」といわれる。2007年の年間所得分布の平均は306.3万円だが、人数が一番多いのは200万未満の低所得者である。高齢者の1人当たり年収は現役とほとんど変わらないが、一部の金持ちと多数の低所得者に二極化している。政府は金融資産の6−7割を高齢者が持っているからそれを流動化させようと言うが、ゼロから億まで、両極化している。
 「高齢になると寝たきりや認知症が増える」ともいわれる。「国民生活基礎調査2007(厚生労働省)」の、「65歳以上高齢者の日常生活に影響がある者率」によると、日常生活動作(歩く、入浴する、食事する、排泄など生きていく基本動作)ができないのは1割程度、そのほかの支障のある人も含めて2割程度だから、8割の高齢者は日常生活に何の支障もない。
 学生に、65歳以上の人のどれぐらいが認知症になると思うかを聞いたところ、平均は3割、ひどい人は5割と答える。「あなたのおばあちゃんは認知症?」と聞くと、「いえ80過ぎて元気に一人暮らししてます」という。身の回りにそういう人がいないのに、メディアの宣伝のお陰で皆が認知症になるように思ってしまう。
 実際には認知症の発生率は65歳以上の5%くらいで、60−70歳代にはあまりいない。ただ80から85歳以上になると二桁に達する。これは人間が長生きしすぎるからである。女性の方が長生きのため、80歳以上の女性の認知症発生率は4人に1人にのぼる。
 「高齢者は新しいものに挑戦しない」ともいわれるが、総務省の調査では団塊世代以降ぐらいからICTを利用する高齢者が増えている。「高齢者はカネを使わない」ともいわれるが、自分または自分たち夫婦でで使ってしまいたいという人が増えている。
 高齢者には固定的なイメージがある。老年医学の専門家である米ロバート・バトラー博士が1968年に、若者文化のアメリカに於ける高齢者差別を止めようと提唱している。年齢差別は性差別と並んで、その撤廃が求められている。
 日本は年齢階梯社会で、入学、就職、昇進、結婚も年齢で区切る傾向がある。大学生の年齢は先進諸国の中でもっとも若い。子ども人口が減っているので、大学はいま、冬の時代といわれる。
 欧米では、大学生の平均年齢は20後半から30歳ぐらい。若い人もいるが一旦社会に出てから大学に入る人も少なくない。年齢による区別は取り払った方がよい。
 「エイジレス」という言葉は80年頃、米女流作家・キャロライン・バードの造語だ。その本を書き始めた70年代終わりころから、米国でも高齢者に差別的な傾向が目立つようになってきた。そこで「オールド」に対して、「エイジレス」という言葉を作った。しかし「レス」にはネガティブなイメージがあるので、私が会長を務める一般社団法人シニア社会学会も最近では、エイジフリー・ソサエティに変えた。オールドの語はよぼよぼよれよれ、というネガティブなイメージなので、アメリカでも高齢者のことを「シニアシチズン」とよぶことが多い。


価値の多元化を認める社会を
 オールドは暦年齢である。そうではなく何ができるか、機能年齢で行こう。サミュエル・ウルマンの「青春」というの詩にあるように、もう年だからと思ってしまう人はオールド、年をとってもいつも生き生きと活躍し続ける人はエイジレスということになる。 当時からキャロライン・バードは「高齢社会は怖くない」と言っている。彼女は高齢社会は成熟社会、人々が深く思索して考える社会だから、恐れる必要はないと言う。まさに日本は今、そういう時期に来ている。彼女の本が出て30年以上たった。
 これまでは「年をとったらこんな生き方をすべき」といった画一的な考えが強かったが、いまは多様な生き方が認められる。最近、参議院比例区で繰り上げ当選となった民主党・尾辻かな子さんは同性愛者であることをカミングアウトした。マイノリティの生き方を認める社会になったのは素晴らしいことだと思う。日本社会は随分変わってきている。
 昨年公表された「高齢社会対策大綱」では「人生90年社会」といっている。いま100歳以上人口5万人の85%が女性だから、女性は間もなく「人生100年時代」になるだろう。
 人生100年時代の高齢者の役割は、歴史の証言者になることである。
 今は憲法改定や靖国参拝、国防軍などの言葉が政治家によって多発され、政治家の言動が中国や韓国との緊張を高めるような、きな臭い世の中になってきた。過去のことを忘れないように、戦争を知っている世代が次の世代に伝えなければならない。高齢者が歴史の証言者として、正しく歴史の事実を伝えていかなければならない。 
 生涯学習についても、昔は趣味を身に付け教養を高めて、老後楽しく暮らすというものだったが、近年、学んだことを活かして社会に貢献し、社会をよりよくすることが目標に掲げられるようになってきた。学んだことを活かしてNPOを作ったり、次世代育成や他者の福祉の実現に生かすことが狙いとされるようになった。
 高齢者は社会のお荷物でなく、社会の資源である。それを利用しないのはもったいない。この資源を活用することで、活力ある超高齢社会が実現されるのであれば、「超高齢社会は怖くない」と断言してもいいと思う。
(編集部)







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