2013/11
民主主義の弱さは戦前・戦後思想の断絶ライフビジョン学会




10月31日代々木公園にて

  
 日本人の歴史観は、戦後民主主義から始まっている。
 学校の授業では、縄文弥生は念入りなのに大正昭和は時間切れ。大学受験にも出てこない。自分で勉強しなければ、歴史の空白を埋められない。
 かつて護憲・平和の声が高かった。憲法をみんなのものにするには、勉強しなければならない。いま、職場や社会に民主主義が十分定着しているだろうか。
 ライフビジョン学会は、2013年9月21日(土)13:00−16:45、公開学習会「どうなってるの? 日本人の民主主義 ―― 民主主義を勉強しよう ――」を開催した。当日の奥井禮喜講演より抜粋して以下に紹介したい。
  

国家主義政党が国民を縛り始めた
 日本人は、わが国を本当に民主主義の国だと思っているのだろうか。
 昨年4月に発表された自民党改憲草案は酷い内容である。たとえば憲法前文「日本国民は国と郷土を、誇りと矜持を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに」とあって、民主主義の基盤中の基盤であるはずの基本的人権が、「国」「郷土」の後塵を拝することになっている。
 現行第36条は「公務員による拷問や残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」とある。戦前の深刻な反省を組み込んだはずだが、自民党の改憲案は、その核心であるはずの「絶対」を削除して、「拷問および残虐な刑罰の禁止」とする。明らかに禁止のトーンを下げている。
 改憲問題は、概して憲法第9条にばかり視点を当てやすいが、自民党はかつての皇国史観に基づいて、天皇を元首にし、主権在民の憲法を「国家主義」の方向に戻したいのである。基本的人権・主権在民を、戦前的「国家主義」思想へ逆戻りさせようとするのが自民党改憲案である。
 われわれは民主主義の中に生きていると思っているが、よく考えると「観客民主主義」であり、「アンケート民主主義」である。自分の意見をどこで表明しているだろうか。どこでも発していないし、伝わっていないのではないか。
 戦後生まれが80%近くになり、いまどき年寄りが余計な心配をすると思われるかもしれないが、改憲論に関しては、十分慎重に考えていただきたい。


理解できなければ支配されてしまう
 「国家主義」は民主主義の基本である「個人主義」と正反対(の概念)である。自民党が国家主義を押し出してくるのは、日本人の個人主義思想が弱いので、そこを突いてくるのである。なぜ個人主義意識が弱いのだろうか。
 個人主義は、《一人ひとりが自分の義務や責任を他者に委ねず、社会に対する理解を高め、主体的に参加していく》思想である。選挙で投票には行くとしても、新聞を見てああそうか、まあこんなところかという次第で、誰かが解説するのを見聞きして、わかったつもりになっているのではあるまいか。
 一例を挙げよう。原発汚染水の漏洩問題について、新聞は、いかなる視点で書いているのだろうか。
 トンネル工事で行われる凍結止水方法を活用する案が出された。短期・局所的技術だから、大規模かつ長期の止水に有効ならば、世界的な新技術開発と言えるだろう。しかし報道から、そのような高揚が伝わらない。要するに記者も十分な理解・納得がないままに報道しているのではないか。
 某原発専門家は、原発廃棄物をロケットに積んで、宇宙に捨てろと主張する。一挙解決みたいだが、十分な検証を得た考え方だろうか。専門家は本当に間違いを起こさないだろうか。後で吠え面かくことにならないか。「人は、理解できないものは支配できない」。原発賛成でも反対でも、慎重・真剣に思索して意思決定しなければならない。問われているのは各人の見識である。


歴史の事実は「なぜ」を突きつめたい
 政治家の歴史認識がしばしば批判される。彼らは確信犯であるが、一般的日本人の歴史観もいただけない。
 日本人の歴史認識は、たぶん1945年の敗戦後から始まっている。
 敗戦によって日本は民主主義憲法に変わった。変わったという気風が問題なのである。そこで、なぜ民主主義憲法に変わったのかと考える。戦争に負けたからである。ポツダム宣言とGHQのおかげである。
 1945年8月15日《玉音放送》があった。なぜそうなったのか? 戦争に負けたからだ。なぜ負けたのか? 1941年12月8日に対米英開戦したからである。無謀な戦争であった。なぜ無謀な戦争を開始したのか?
 1937年に日中戦争を始めて、泥沼にはまり動けなくなった。米国が対日石油輸出を止めた。日本は日・独・伊三国同盟を結んで、この機に南方侵出し、石油を手に入れようとした。南方の石油が陸上ルートで中国に入らないようにすれば、中国攻略にも都合がよい、という目論見であった。
 ではなぜ、日中戦争を始めたのか? 1931年満州事変を起こした。その前に1928年張作霖爆殺事件を起こした。----こうして「なぜ」「なぜ」を考えていくと、素人勉強だけでも明治の前半にまで遡る。
 日本人が民主主義を考えるとき、戦後だけの歴史を見たのでは道を誤る。デカルトが言うように、なぜなぜを繰り返して、そのどん詰まりにまで行かないと、歴史の理解は不徹底でしかない。


人民による革命体験がある中国、無い日本
 では中国人の歴史観はどのようなものか。
 中国人は1840年の阿片戦争で列強の侵略を受けた。それに乗じた日本に1894年日清戦争でやられ、さらに日本によって1931年満州事変、1937年日中戦争と侵略され、1945年第二次世界大戦の日本敗戦でやっと戦争が終わる。
 中国は1912年辛亥革命を成功させた。孫文らが封建・清王朝を倒し、民主化した。ところが袁世凱が反動を起こし、民主化を反故にしてしまう。軍閥割拠の時代になっていた。
 1945年に日本の侵略は終わったが、今度は蒋介石・国民党軍と共産党軍の間に内戦が開始した。苦闘の末1949.10.1中華人民共和国建設、今の中国ができたのだが、1840年の阿片戦争からざっと100年間、中国国内は国土も人民も戦火に荒れて疲弊しきっていた。いよいよ国の再建にとりかかったが、大躍進政策の大失敗、飢餓、旱魃、1966−76年まで文化大革命と、困難が続いた。
 だから中国に日本人的「戦後意識」を見るとすれば1980年ぐらいになる。ここから中国の「戦後」が開始した。日本人は中韓を指して「いつまでも昔のことを言う」と不満だが、中国にしてみれば阿片戦争から歴史はひとつ、近代から現代までひとつながりの戦争なのである。
 2013年のいまは、したがって中国では戦後まだ25年、精神的には日本の高度成長期に匹敵すると見られる。
 朝鮮も同様、1894年日清戦争後、日本が朝鮮に介入本格化し、1910年韓国併合して植民地にした。1945年日本の敗戦でやっと解放されたが、朝鮮は南北に分断されて、戦後体制がいまも続いている。


思想的根なし草の日本
 これに比べると日本の場合、戦前は皇国史観の憲法、戦後は民主主義憲法と、両者はまったく別物であり、思想的に断絶している。この違いを歴史的・論理的に咀嚼していないから、日本人の思想も歴史観も「根なし草」になっている。
 日本人は戦後の憲法で生きてきたから、戦前とは無関係、戦後の歴史観しか持たない、ということは考えにくい。まっさらの人間でも先人の影響を受けて育つのだから、戦前の影響を一切受けない人はありえない。日本国憲法発布によって制度が新生日本になっても、人は戦前の歴史観を引きずっている。
 いま会社でパワハラ、不払い労働がたくさんあるという。「働かせていただく」時代のものの考え方が残っているからだ。男尊女卑もしぶとく生き残っている。制度が変わっても、人の考え方は容易に変わらない。
 加えて教科書問題など、民主主義教育が国家主義政権によって圧迫されている。9/21天声人語は、大阪府教委が府立高校に対して、教師が君が代を本気で斉唱しているか、目視で確認せよ、と指示した問題を取り上げた。
 コラム氏は、条例がある限り守るのは仕方ないと考える人も少なくないだろう。歌うかどうかは個人の思想、良心にかかわる。最高裁判所も教員への行き過ぎた指導に釘をさしている。先生同士が互いに監視しあうのでは教育の場が荒廃しないか、多感な生徒の心に影を落とさないか、と。
 博識を気取る天声人語が書いているのは、庶民の哀歓気分に焦点を合わせて、(結果的に)なだめるトーンが多い。このトーン・結論もいただけない。
 いかにも個人の思想信条を守る立場で書いているが、権力と個人の関係でいえば、個人は全然弱い。一人の先生が自分の思想信条に基づいて口パクしても、一方は権力で圧力をかけてくる。一人では闘えないし、裁判に勝ったとしても、時間も費用も大変である。個人で闘う限界ははっきりしている。
 つまり、コラム氏が民主主義を守ろうとするならば、個人の思想信条に焦点を当てるのではなく、権力の横暴をこそ指摘しなければならない。民主主義の基本的人権や、個人主義の憲法からすれば、大阪府がやろうとしているのは国家主義的圧迫なのだ。新聞はそこを叩かなければならない。朝日新聞は大事なところで必ず逃げる。


政治家は戦争責任をみとめよ
 「終戦の詔書」(実は敗戦なのだが)の理屈展開は、先の戦争は自存自衛のための戦争で、他国の独立を侵略し、国土を盗むつもりはまったく無かった。しかし、形勢吾に利あらず、おまけに無辜の民が残虐な爆弾で殺されて、これ以上続けたら日本民族のみならず、人類の文明が壊れる危険があるから終戦する、という論法である。
 自民党の諸君は、いまだこの路線の中に生きている。だから自民党は、皇国史観に基づいたような政治を進めている。
 満州事変から日本の敗戦までを「15年戦争」と呼ぶが、自民党などはこれを認めない。2チャンネルでは「左翼」のレッテルを貼る。彼らは連合国軍が日本を裁いた東京裁判について、1931年の満州事件も1937年からの日中戦争も、それぞれ独立した紛争であるという。しかしなぜ、なぜ、と追いかけると実はつながっているのは誰にもわかる。
 東京裁判で日本の侵略の歴史が裁かれた。戦勝国が戦敗国を裁いたが、歴史を捏造したのではない。歴史を捏造したのは裁判で反論した日本弁護側である。
 日本の代表弁護人は清瀬一郎、東条英機の主任弁護人でもある。安保改定国会では担がれて議場に入り、与党議員にガードされながら強行採決した衆議院議長である。
 清瀬弁護人の冒頭陳述を読むと唖然とする。捏造の最たるものは、よその国を侵略する気は無かった。戦争でも日本は国際法規を守って、外国の人にも仁愛を持って接するように言ってあるとか、嘘で固めた弁論である。
 政治家が敗戦までの歴史をきちんと認めないということは、いまも彼らが、敗戦までの支配層同様の思想であることに他ならない。麻生蔵相のワイマール発言などは、ワイマール憲法という(当時)世界最大の民主主義憲法があっても、上手にやれば何でもできると言おうとしたのだから、やはり確信犯である。ナチスのファシズムは民主主義から生まれたのだ。民主主義制度だからといって、民主主義制度が民主主義を守るのではない。


日本的民主主義の3つの弱点
 われわれは民主主義思考を深め、民主主義を発展させる意志を強化せねばならない。それなくしては国家主義的傾向を強めている権力に対峙できない。
 日本における民主主義意識の弱さには、3つの原因が考えられる。
 @ 自分の手で民主主義を獲得しなかった。
 江戸の封建主義、明治の国家主義、昭和の全体主義を経て、日本人は自我(政治的には、自由・平等・博愛)を育て得なかった。明治前期、板垣退助らの自由民権論は不十分なままに潰えた。
 世界的な宗教家・鈴木大拙は「明治の精神と自由」の中で、東洋には格言教訓はあるが思想が欠しいという。民主主義は自我に基づく内発的思想であり、自我は外から与えられるものではない。
 敗戦後、合衆国陸軍省報告書(1946.1.3)は民主主義に関する日本人の感度について、――ポツダム宣言で民主主義を取り入れよと言っているのに、日本政府は占領2ヶ月たっても民主主義的改革指向の動きがない。人々は衣食住にのみ関心を持っている。(もちろんそれは仕方がないことではあるが)さりとて、生活物資が十分あるとしても、人民の政治的参与(民主主義意識)が自然に発生するものではない。――と書き残している。
 A 民主主義の核心を十分に分かっていない。学び方が不足している。
 「新しい憲法のはなし」が復元出版され、コンビニにまで置いてあると好感された。にもかかわらず民主主義教育をする日教組に対しての不信感が根強い。日本人は、ブームには飛びつくが、政治的スタンスは未熟で根が浅い。
 B 民主主義を進化させようとする士気・moraleが弱い。弱いからその間隙に国家主義が入り込む。
 日常に国家主義が顔を出すのは、たとえば「戦後民主主義が個人主義の人間を作った、だから最近は電車で年寄りに席を譲らない。現代人はジコチューだ」という調子である。昔のほうが年寄りに席を譲ったのか。人を押しのけて電車に乗り込むような時代より、いまの方が、行儀が良いに決まっている。しかし脈絡の無い話をつなげられると、なんとなく納得してしまう。
 自民党は日教組を狙い撃ちする。なぜか。自民党の本音は、いまの日本国憲法に反対である。だから民主主義の教育をする日教組をたたく。民主主義をきちんと教え、憲法を教えている教師が、自民党には都合が悪い。(しかし教師は文科省のマニュアルに沿って教えているのである。)
 日教組に対しては、妙な民主主義を教えていると批判する保護者も多い。同じ保護者が、ブームとなればコンビニで憲法本を買う。教師は、ブームの憲法本以上のことは教えていない。
 民主主義、平和を否定する国民は少ない。しかし、果たして確固たる精神に基づくものであろうか。改憲問題が、わが国の人々の民主主義意識の発展につながるかどうか。一人ひとりが真剣・真摯に考えたい。


民主主義を学び、育てよう
 わが国においては、戦前と戦後の思想がつながっていないので根元が無い。中国や朝鮮では、民衆が、政治体制転換、人民による民主主義革命をめざして粘り強く闘った歴史がある。日本はそのような体験がない。
 敗戦後、フランス文学者の渡辺一夫(1901〜1975)は、「軍国日本は一夜にして文化国家に生まれ変わった」と書いた。まさに日本的軽薄さが怖い。
 「敗戦後」は日々、日本初の人民による民主主義革命を進めているという視点が必要である。日本国憲法がいかに立派でも、日本人が根元の無い思想では、憲法が生きてこない。われわれは“民主化革命”を推進しなければならない。
 権力対個人の関係において個人は絶対的に弱い。これは否定できない事実である。そこで、個人が権力と対等になるためには「大衆・権力対等論」、つまり労使関係における「労使対等」みたいな理屈が必要である。 民主主義を理解する人々の精神的紐帯を拡大していこうではないか。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 
経営労働評論家、日本労働ペンクラブ会員
OnLineJournalライフビジョン発行人




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