2014/09
一介の選挙民たちによる民主主義の勉強会報告ライフビジョン学会






ライフビジョン学会公開学習会 2014第三弾

歴史と民主主義を考える学習会


■日 時  2014年7月13日(土)13:00〜17:00
■会 場  国立オリンピック記念青少年総合センター
渋谷区代々木神園町3-1
Tel:03-3467-7201  http://nyc.niye.go.jp
■主 催  ライフビジョン学会
http://www.soc.lifev.com office@lifev.com
〒151-0063渋谷区富ヶ谷1-53-4本橋ビル3F
tel:03-3485-1397 fax:03-3460-4456

 昨今日本の政治状況に不安を感じている人は少なくない。次々に繰り出される政治的課題について、どれほどの人が理解できているのだろう。
 古い世代は戦前との類似性を指摘するが、日本の近代史、特に戦争が作られていく昭和史は、義務教育では時間切れで教えられなかった、大学受験科目にされていないから勉強しなかったという人が多く、先輩方の懸念が伝わらない。日本人の自画像は明治維新から突然、高度経済成長、経済大国の栄光に飛躍している。
 国民が歴史の不勉強を放置している間に、一部の偏狭な民族主義的主張の暴走が目につくようになった。そろそろ政治的無関心を卒業し、史実に基づいた歴史認識や、国際社会の発展に貢献する民主主義を身に着けたい。
 7月13日、ライフビジョン学会では公開学習会「歴史と民主主義」を行った。参加者が知っていることを少しずつ出し合った、当日の様子を以下に紹介したい。


1 わが国民の意識状況は…

 (1) 歴史を知らない、知ろうとしない
 歴代の保守政権は、自国の近代史を教育の場からネグレクトしている。都合の悪い記憶の世代間申し送りを断絶しようとしているのだろうか。残念なことに国民は、教えられないことには関心を持たない、自分で学習しようとしない。知っている範囲で判断し、それ以上を調べ考えようとしない。
 「憲法はアメリカの押しつけだよね」と息子に言われたお父さん。押しつけだから悪いもの、だから変えなければとのニュアンスであったという。「憲法は古くなったから変えた方ががよい」と、女学生らに言われた二人の老教授もいる。
 「受験対策の歴史は個別エピソードの暗記だった。歴史は今の自分につながるものであることを最近知った」とは丸の内のサラリーマン氏。
 歴史なんか知らなくてもやり過ごせるし、仕事や経済上の実用性も高くない。「教養」の社会的地位はじわじわ後退し、社会はどんどん薄っぺらになっている。未熟なアイデンティティによる差別意識をむき出しにして、近隣国との無意味な緊張を高めてどうしようというのか。
 教えられなければ自分で勉強して、真実を探さなければならない。

 (2) 政治より経済にご執心

 「これまで生きてきた中で、政治的なことをまじめに考えたことは無い」。参加者の正直な発言にさもありなんと思う。職場では集団的自衛権など話題に上らない。政治的な話は避けようというのではなく、ニュースの一つの他所事として流れている。
 お上は敬して遠ざけるのが、庶民の近代以前からの知恵であった。家庭内の心配事は子供の就職のこと。親は子に、生きる必須条件として民主主義を教えることは無い。政治の話は難しくて意識しないと出てこないが、経済的な話には花が咲く。
 お金に相対的にシビアなその一方、現政権のおかげで近隣諸国との関係が悪化して損失を被っているはずの財界が、なぜか苦言を呈さない。最近になって自民党は武器輸出再開、防衛産業で経済成長をと、財界に飴を配り始めた。財界も政治献金を再開するという。とても分かりやすい話である。
 1960-70年代は「政治の時代」であった。国民は政治と生活との不可分な関係を学習し、日米安保条約締結と延長反対、三井三池炭鉱閉山反対、米原子力空母の佐世保入港反対、原水爆禁止運動などに参加した。しかし高度経済成長が進むと、政治的問題意識は経済的豊かさのみに集中し、人々の関心は社会問題より個人生活へ没入した。

 (3) 論理的思考が弱い
 「空気が読めない」が一時、職場で流行した。製造業の現場は理屈で詰めないと現物はでき上がらないが、流通・サービス業が主流の近年ではまあまあなあなあ、深入りしない、角を立てない、雰囲気で意思疎通したつもりになっている。
 選挙は気分やブームで投票する。風が吹いた、山が動いた、ガス抜きが済めばお祭りは終わり、政治参加の潮が引く。候補者が公約した政策も、結果を選挙民からチェックされることはない。選挙民としては選球眼を磨かなくてよいのだろうか。


2 政権与党の現状について

 (1) 憲法を無視する政治手法
 安倍政権は2014年7月、憲法9条が禁止する集団的自衛権の閣議決定をした。一部の人間が民意にはかることなく、国民の手の届かないところで、同盟国の戦争に助っ人参戦することを決めた。
 事実上の軍拡を既成事実化する手法は実は、初めてではない。
 1950年に朝鮮戦争が始まり、日本に駐留していた米軍が朝鮮半島に出兵し、留守を守るためにマッカーサー指令で、5000人の警察予備隊を作った。予備隊は2年後に保安隊に変わる。時の吉田首相は「君たちは新しい軍隊の一期生である」と演説した。
 こうして、9条があるにもかかわらず解釈改憲によって軍隊を持ってしまった。国民の多くは、これぐらいならばと許容してきた。
 いま同じ手口で、自衛隊の海外派兵を既成事実化しようとしている。これはこの30年間で一番大きな動きである。あきらめの早い国民性だが今度はぜひ、関心と監視力を持続して、立憲主義国家のスジを通したい。
 日米安保条約は、米軍が日本の防衛に関与する代わりに日本が基地を提供するという条約である。1951年、サンフランシスコ条約によって日本が連合国による占領から自由になった。調印の同じ日、首相の吉田茂は側近を外して別室で、一人で安保条約に署名した。
 おかげで沖縄は今も不平等条約と治外法権の下、県民は米兵による暴力事件に泣き寝入りさせられ、オスプレイはいまや本土の頭上も我が物顔で飛んでいる。現政権はアメリカによる日本の植民地化を手助けしている。

 (2) 権力になびく298議席
 ところでこれまで自民党内には経済路線派と軍事路線の保守派とがあり、自衛隊を大きくはしなかった。両勢力は時間をかけて議論を積み上げ、国民の納得を作ってきた。この経過を知る自民党議員は少なくないはずだが、なぜ、今回の強引な進め方について沈黙を続けているのだろう。
 議員の気持ちを推測すれば、今の政権にいれば議席は安定、首相がやろうとしていることを支持しているわけではないが、わざわざ倒閣するまでもない、というものか。しかしそれでは死ぬかもしれない海外に派兵させられる若者たちはたまらない。彼らを<英霊>にする前に、議員は職を懸けて自分の政治的主張を表明すべきである。
 一方で、3.11の復旧は全く鈍い。住民の仮設住まいは長期化している。いつまでも草ぼうぼうの駅前、福島の住民を切り捨て、放射能汚染はノーコントロールではないのか。
 2012選挙で自民党もまた、東北地震復興を掲げ、経済回復を約して大勝した。国民は新たな税目である復興税も受容した。その経済改革は、はたして国民生活を向上させているのだろうか。この4-5月の物価は3%上がったが、国民の家計消費はマイナス3-4%と、「小売業の中にはかなり具合の悪いところが出てきている」との話も出た。
 政権は尖閣問題挑発、まっとうな外交の不在、首脳外交途絶などなど、自作自演で「近隣諸国の環境変化」を持ち出して、軍事政策を突出先行させている。2015年度概算要求は防衛費予算5兆円という。そのカネも労力も被災地に投入するのが、選挙時の約束ではなかったのか。


3  メディアの民主主義はどうなるか

 新聞は事実の積み重ねで論理的に主張する。新聞を読む理由は就職試験のためではなく、論理的思考を習慣化するためでもある。その新聞を、取らない家庭が増えている。読む習慣がなくなっている。
 ネットは事実とは別物だが、新聞雑誌に比べてスピードに優れている。誰でも参加できるが風評、反社会、ガセネタでもすぐに流布する。娯楽、刺激が強いほど繰り返し拡散され、ネットユーザーは地味な真実を真剣に考えない。
 一方で報道にもメディアフレームがあり、新聞社の主張に合わせてネタの取捨選択を行う。反中・嫌韓など国民感情を操作して、政府間の関係をこじらせることもある。またアメリカには中国が嫌いでいてほしい日本を意識して、日米より米中の方が蜜月であるとの報道は控える傾向にあるなど、必ずしも中立公平になっていない。
 読売新聞は尖閣問題について、1972年に日中双方が領土主権を主張し、問題を留保したことを、「政府対政府の約束だから遵守すべし」(1979.5.31社説)としていた。それが一転、2013年には、「歴史を無視した言いがかりだ、尖閣は日本固有の領土である」と豹変している。
 雑誌は各種情報の検証、評論、思考整理を特徴としていたが、販売部数が減っている。とりわけ週刊誌は、売り上げ確保のためにキワモノ路線に進んでいる。
 日本の民主主義は衰退に向かっている。


4 様々な意見

 勉強会当日の発言は、参加者の知識量と関心度合いによって様々な見解が出された。
 現憲法については「押しつけだ」との意見の一方、「ポツダム宣言を受諾したのだから、敗戦国日本と世界との公約である」との認識もあった。
 「押しつけ」についても、民主主義を押し付けられたのだから大歓迎だ。
 「解釈改憲」には反対だ。国の安全保障は国民的課題だから一部の政治家で決めるのではなく、広く国民が関与すべきだ。
 「ところで専守防衛って、殴られたら殴り返していいってこと?」
  「違うよ、殴り返したら戦争だ。9条の解釈は、侵略のための武器は持たないが、防衛のための武力はよいという、これが専守防衛なんだ。」
 「個人が人を殺せば犯罪で、国の命令で戦争で殺せば英雄になる。この考えはおかしい。国は最高の道徳を考えておかなければ、個人の悪は裁けない。やはり国家観に哲学がいる。」
 「今の集団的自衛権問題には理屈も事実も全く無視されている。我々はイメージでモノを言うが、考えること、哲学が大事だ。」
 小さな勉強会でもこのように様々な意見があった。
 

5 嘘とだましの政治に気を付けよう

 あったことをなかったことにする情報隠しは日本の場合、改めて特定秘密保護法を作るまでもなく、戦前も戦後もそして今も、政府の常套手段である。ところで戦争は誰がするのか。
 「集団的自衛権の議論は、実際に自分に何が起きるのかまで、考えが及ばない。」
 「解釈が変わるとどうなるのか。」
 「自衛隊が戦って片付くのではない。戦争は全国民の問題だ。関連法改正に職場の関心を高めなければならない。」
 「先の戦争で、一緒に提灯行列をしながら、負けてから騙されたというのは恥ずかしいことだ。私たちは後で騙されたとは言わない覚悟で日々を過ごしているか。」
 「職場では自由にモノを言えず、パワハラ、セクハラ、メンタルヘルスほかの電話相談は100万件。これでは戦前と同じではないのか。」
 「普段考えていなければ、いきなり判断を求められても答えられない。日本国憲法ができた時の精神と今がどれだけ懸隔しているか。それはどこで変節したのか。国民に考えの積み上げがないと違憲、無効との認識ができない、既成事実化し、ずるずる拡大する。」
 日常的な政治活動についてある参加者の労働組合では、いきなり国政ではなく地方議員との関係づくりから始めているという。議員と話しをしたら具体的生活が改善されていく、参加することで変わる「現実」の積み重ねが、組合員と政治との距離を縮められると考えている。
 自分の考えを育てておかないと、批判どころか言われることを鵜呑みするしかできなくなる。学習活動を続けて意見の違いを克服し国民的コンセンサスを作るために、ささやかでも引き続き、学習会を呼びかけたい。
(編集部)


 




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