2015/08
私たちはこの時代をどう生きるかライフビジョン学会






ライフビジョン学会
総会シンポジウム
こんな時代”を考えよう

■2015.05.23(土)13:00−17:00

■テーマの問題意識
 社会はあたかも1枚の巨大な網。
 網は見えざる「連帯」でありコミュニケーション。
 網はたまたましばしば綻びる。綻びたら――原因をよくよく調べて、繕わなければならない。
 巨大な網の歴史を作ってきたのは、日々の暮らしに一所懸命の非力な個人である。
 いま、網の綻びを繕わなければならない。連帯を求める言葉を探さねばならない。

■プログラム
 13:00― 問題提起
“こんな時代”だからこそ原点回帰を
 高井潔司:桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授

  15:00― 参加者全員によるシンポジウム
「私たちはこの時代をどう生きるか」


■オリンピック記念青少年総合センター
 http://nyc.niye.go.jp

■主催/ライフビジョン学会
  http://www.soclifev.com
 office@lifev.com
 ライフビジョン学会は働く人のよりよい人生を設計する情報の提供を続けています。
 これからの社会情勢を先取り、反映したテーマを取り上げた勉強会を主催して、皆様に参加を呼びかけます。
 どうぞご注目ください。








 2015年5月23日に開催したライフビジョン学会総会シンポジウム報告・続編をお届けします。
 前号報告・桜美林大学・高井潔司教授の問題提起『“こんな時代”だからこそ原点回帰を』では、事実に基づいて議論する大切さを提起された。
 それを受けた参加者全員によるシンポジウム「私たちはこの時代をどう生きるか」では、事実を見ようとしない、本当のことを言うと疎まれる職場や地域社会の現状が話し合われた。
 私たちは今、巨大な網の綻びを繕わなければならない。


虚の上に積み上げるモヤモヤ
 ■産業別労働組合役員(以下産別)K氏
 私の仕事である産業別労働組合の「実事求是」事情は、所属組合の事実そのものを直接見ることがない。傘下組合三役経由の情報は時として現実を把握していないものもあり、この面から産別の活動は、事実誤認で動いているのかと思うことがある。
 本社には組合事務所があり、大きな組合には専従者もいるが、職場に組合があるのかについては深刻な事態になっている。ネット経由で局所の事実は誰でも知っているが、それが事実であるかを確認したわけではない。職場からの事実、声が上がってきて、それがまとまって運動を起こすという労組本来の動きが弱くなっている。
 同じ連合傘下でも製造大手の基幹産業(鉄鋼や自動車)は正社員中心だが、私の組織では非正規を仲間にして、一緒に問題解決しようとしている。しかしその現実は、非正規の処遇は社員と違うし均等とはほど遠い状況にあり、彼らからはやっぱり組合は社員のために動いているとしてアテにされていない。
 前回のパートタイマー調査では、組合に期待する、組合が役に立っていると思う人は1割しかいなかった。それでも9割が黙って組合費を払っている。必ず期待に応えて「均等待遇」を実現しなければならない。
 こんな時代にわれわれの組合も、何をしたら良いかわからず、「次の時代には苦労が報われる」という言葉に虚しさを感じている。熱く語ればウザイと敬遠され、将来の夢を語れというとのんきな事をと言われ、批判と疑問の繰り返しをあまりやりたがらない。それが組織の課題になっている。
 なぜそうなっているのか、今の姿が本当によいのか、自己批判からもう一度、やり直さなければならないと思っている。

 ■産別S氏
 私は以前、地方組織で中小企業を回っていた。いずれも規模が小さく合併吸収が繰り返され、支払い能力の現実を抱え、労働法や健全な労使関係にあまり詳しくない人事労務担当者に説明を進めていく。彼らと一緒に課題解決するのが産別の活動だとの実感があった。
 しかし本部に赴任するとそれが全くなく、加盟組合の委員長や自分の上司に話しを聞いて、全体の政策を作ろうという。この方法は政策担当者の自分が直接現場を回って、事実を基に政策を作るのとは違い、本当にこれで合っているのか、常にもやもやしている。職場から声が上がって政策になり、問題解決するのが労働組合の原点だとしたら、それに近づきたいが簡単ではないと思っている。


産業別労働組合は何をしたいのか
 ■産別K氏
 産別労組としては、職場の問題は職場で自己解決し、個別企業労使の問題は個別労使で解決してほしい。その時にアドバイスすることは良いが、産別は業界や産業構造、政治問題などを議論したい。ところが現実は内向き志向で、個別の悩みへの世話役活動がメインになりがちだ。これでは産別に集まっている意義は無いし、組織は弱くなる。
 働く人中心の社会を作れば、解決できることがいろいろある気がする。産別労組としては政治力をもって法改正をどんどんやりたい。

 ■産別H氏
 私は震災直後に仙台の支部に異動になった。被災によって行方不明者が出る、会社も立ち行かない、会社の支払能力がなく賃上げすらできない、雇用調整がどんどん入ってくる。この状況の中で組合専従者もいない30-40人ぐらいの労働組合は、それでも組合員たちの安心安全を軸に置き、どう対応するかで活動した。
 こうした現業仕事の支部から本部に異動になると、今度は“調和を大切に”という。しかし調和を大切にすれば虚業に近づいている気がする。自分が事実だと思って行動すると必ず軋みが出てくる。
 今の自分は、軋みを乗り越えたとき調和が生まれ、現場とかみ合えば、組合員に支えられた単組と本部との協働が起きてきて、産別運動が前進するだろうと考えている。

 ■ライフビジョン奥井禮喜
 事実が事実として認識されていれば軋まないのではないか。例えば東北で言えば、政府の復興費10余兆円が3兆円ぐらいしか使われていない。これを扱うとしたら、県本部以下の現場は事実を集めて産別に送り、産別本部は政府に圧力をかける。これで震災という状況に対して職場の思いと産別の政策が一致する。

 ■産別H氏
 今は県支部が直接やっているが、それを本部がやるとの考えは良いと思う。

 ■ライフビジョン学会会員(以下会員)S氏
 組合のプロフェッショナルが何なのか、労働環境はどうなるのか、リーダーは30年後の絵姿を描き、その上で細かい話を議論していかないと、労働組合の存在価値は無くなると思う。
 いま、新聞記事に労働組合の話が全然出ない、何をしているのか全くわからない。パートを同じ労働者として組合員化して、次をどうするのか。この問題は連合や産別など全体でどうしていくのかを話し合わないと、ばらばらになる。


経営より現場が事実を知っている
 ■単位労働組合役員(以下単組)O氏
 賃金は20年以上、定期昇給しかしてこなかったが、賃上げができる状況になった。とはいえ賃上げの追い風は何もなかったし、今もそんなに良いわけではない。今までなぜ本気の賃上げをしなかったのか、改めて思う。若い役員や組合員は盛り上がり、来年も賃上げできるのかと聞くが、単組のわれわれは連合・産別の方針の模様眺めに留まっている。
 産業別労組連合の来期運動方針の議論では、憲法や安全保障の話が出てこない。心配だとの思いはあっても、根拠を問われたら情勢として書きにくい。ひたひたと起こりつつあることを前提として何を書けるか、どう対応できるか。結局迷走してしまい、この議論は先延ばしになった。

 ■大学教授・高井潔司氏
 私は大学の教職員組合に入っている。大学は学生を一定規模に増やせば経営が安定するとして、経営陣は新しい学部を作るという。現場からみれば学生がどんどん減っているのに、そんなの実現は難しいし、実現しようとすれば学生の質を落とすことにつながるとわかっている。教職員組合もそこをぴちっと指摘するべきだ。
 組合が現場にいること、事実を見ていること、事実に基づいて議論することが大事なのに、経営は、労働者は経営に口を出すなという。
 その論法を破るのは、組合員は経営の只中で仕事をしている、現場が事実を知っているんだということを示すことだ。
 経営こそ実態はわかっていないのに、事実から目を逸らそうとしている。その辺を注意しなければならない。

 ■会員K氏
 私も産業人の一人だが、社内にこんな話がある。「音楽ならば演奏を間違えれば誰でも気づくが、経営とマネジメントは間違っても誰も気づかない」。
 経営はインチキがまかり通ることがある、それが一番危険だから、自らを律しなければいけないという意味だ。ところが最近はそういうことに誰も文句を言わないし、組合も何も言わない。今の社会はそこが一番の問題だと、高井先生の話を聞いて思った。
 確かに、今の世の中は本当のことを言うと嫌われる。私など組合の立場ではないのに本当のことを言うので、社内でいつも干されている。組合は本当のことを言ってもクビになるわけではないし、一番言える立場だと思うので、本当のことをしっかり言ってほしい。


自主・自治・独立の気概を
 ■奥井
 昔なら貧乏な人は賃上げで活性化していた。今はパートにも賃上げのエネルギーがない。組合運動は経済的防御だけすればよいのか。労働者の要求はパンとバターだけなのか。

 ■産別N氏
 私はお金だけではないと思う。いくら賃金が上がっても一人ぼっちでは楽しくない、職場の中でも外でも心の豊かさが大事で、それができるのは経営者ではなく、労働組合だろう。
 われわれの組織だけでも10万人余がいる。ここの人たちにはお金を下さいと言う人も、店長にはなりたくない、カネより定時通りに帰りたい人もいる。それらに応えられる活動領域を目いっぱい広げないと、小さな活動しかできない。
 その多様性に対応するのは民主的労働運動だが、総意作りに苦労している。総意をそこのリーダーがどう背負えるか。
 ところで職場に『組合』はあるのか。職場に行くと、自分も組合の一員なのに組合を客観視していて、何もしてくれないという。産別も同様、自分たちが何かできるのにやらない人がいっぱいいる。会社と組合には共通領域がある。

 ■奥井
 連合創成期リーダーの竪山利文氏に、労働戦線統一して何をしようとしているのか、何度も聞いたが「難しいことを言うなよ」といなされた。いよいよ連合を作って、反共労働運動はできたが国民を巻き込む、統一戦線を作っていくような志は達成できなかった。連合初代会長の山岸章氏は世直しを標榜したが、騒動しただけだった。昔のリーダーも大志のポーズは見せても、それをスケジュールに乗せるところまでやった人はほとんどいなかった。
 昨年の連合結成25周年誌に、組合の応援団だった労働評論家・矢加部勝美氏の言葉が残っていた。「根性を据えて運動をやろうとする組合リーダーがいない。」と、連合結成当時も全体としての運動ができてなかったことを指摘している。
 だから今のリーダーは、自分たちがゼロから始めると思って取り組んでほしい。


真を問わずに形骸化が進む
 ■産別S氏
 ネットの登場で組合活動がしにくくなっている。ネットだと実名を言わなくてよいので、事実や本音をつかむことができなくなっている。2チャンネルのように不平不満を言う場所が、昔は組合の職場集会しかなかった。今の若者が職場集会に参加しないのは実名だと本音が言えない、実名では不平不満を言えなくなっているのかと思う。

 ■社労士I氏
 組合活動の原点は苦情処理ではなかったのか。職場苦情処理は実名でないと対応できない。「別アカ」の投書に対応するには事実調査など、かなりの手間と時間を投入することになる。

 ■企業グループ労働組合連合会(以下企連)N氏
 われわれの職場の問題は「形骸化」である。知っているつもりわかっているつもり。従業員は真を問わないほうが自分にとって、周りにとって良いだろうと考えて、本来どうあるべきかの思索を省いて、状況対応的に駒を進める。市場はどんどん困難になっているのに内部は問題意識を失ったまま、崩壊に向かっている。
 社会全体も問題意識を追って、本質を追求して、真を問うて、何かをしようとしない、させないように進んでいる。社内もそうしないことが自分にとって、それぞれにとっても都合が良いが、全体が悪くなることを受け入れている。
 どうも社会の「網」が見えなくなっている。問題にあたったときに妥協しても、回りまわって自分のところに戻ってくるのにそれを見ない、見えない、見させない職場・社会になっている。
 網を修復しなければならない。時代の問題に重ね合わせて、自らの組織の本質問題を捉え、対応を考え、変えていくことに繋げなければならない。
 産別も単組も、運動論が描けない。常に問題現象をあげつらって、問題指摘して、改善しなければとは言いつつ論評に留まり、具体的に状況を変える運動の姿が描けない。これが今の問題だ。
 労働組合は産業革命以降の、産業資本主義が生み出した社会の問題を具体的に変えるために生まれた、社会改革の運動体である。その成果でいまのわれわれがあるが、改めて困難に立ち向かい、変えてやろうという絵が描けないでいる。
 原点回帰で言えば、それまで個人が所有していた労働の社会化である。組合は社会の問題を具体的にどう解決するか、営々とした取り組みを始めなければならない。
 社会的な「網」でいえば、協力しないと命が守れない共同体がある。それが解き放たれて市場原理主義社会になったのだが、昔に戻るのではなくもう一度、今日的な網を作り直さないと、われわれは自分たちをだめにする。


組合は社会の問題に踏み出そう
 ■会員O氏
 私は組合員になって何十年も経ったが、世の中が落ち着いていて、ぜいたくはできないがほどほど食べられるようになった。落ち着いてきたことが、組合活動の不活性の原因なのではないかと思う。

 ■奥井
 ほどほどに食えれば組合はいらないとしたら、今もう、組合はいらない。
 社会の1割の上層部が辞書を作る、7割の中級層は辞書に従って行動する、下層の2割は辞書を無視する。新聞を読まない、考えない、ネット上のフラストレーション蓄積状況を並べると、この国はもう、解体が始まっているのではないか。
 ある友人は余命いくばくもない病で、貯金名義を妻に書き換える手続きに行ったら、詐欺被害を心配した銀行員がルールだからと警官を呼んだ。暴動が起きてなくても社会的コストが上がりつつある。首相官邸のドローン事件では若者応援おじさんとかが犯人に、25万円の賞金を振り込んだとかで、つまり社会は壊れつつある。
 そうなると労働組合がビジネスユニオニズム、経済と企業内組合活動だけやるのだったら、また、産別労組もそれに基づいた活動をやるだけだったら、社会の問題は解決できない。それを一歩踏み出すかどうかが問われている。
 日本で760年間の封建社会が続いたことの不条理を、日本人は何も思わないのか。一揆はたまに起きたとしても、侍の勝手な社会が続いたのに、一体何をしていたのだろう。たぶん皆、食えないから逃げたり盗んだり苦労しても、ある程度ほどほどに回復すると我慢して、根本的な問題解決をしなかった。
 ストライキも、労働者の当然の権利であることすら浸透していない。1975年に国鉄がスト権奪還ストをやった。学説は諸説あるが、本来あって当然のストライキ権を彼らは持っていないのだから、ストは正当である。しかし圧倒的多数の日本人は労働者を、親に歯向かう不心得者という発想で、理論的に正当な権利として見ていたかは怪しい。
 日本の民主主義のスタートラインはポツダム宣言である。首相がポツダム宣言を読んだことはないかもしれないが、多くの国民も読んでいない。どうするんだ、これを。
 だから長いスパンで物事を考えないと、我々は進歩しないのではないか。


戦後民主主義の装置が絶滅しかけている
 ■余暇研究者 薗田碩哉氏
 最近まで女子短大の講師をしていた。女子短大は底引き漁のようなもので、わけのわからないものがかかる(笑い)。最近は就職先がブラック企業ばかりで、入社しても給料も休みも約束どおりではない、不当労働行為ばかりだ。組合に相談しろというと結構大きな企業でも、組合なんて聞いたこともないというから、およそ不活発のようだ。
 若い人の就職は3ヶ月ぐらいで次々に退職する。その時の悩みの助けはネットの友達。ネットの人間関係がある程度、社会的な救済装置になっていて、それで何とか次を探して落ち着いていく。その時、労働組合は救済装置にはなっていない感じを持っている。
 私は地域活動をしているが、組合も含めて戦後民主主義のさまざまな装置が絶滅しかかっている。子ども会、少年団、婦人会、町内会、自治会などは皆、息も絶え絶え。面白いことに中央の団体だけはある、産別みたいなのはあるんです。(笑い)
 県の地域婦人団体連合会の研修会に講師に呼ばれた。「まだあったんですか」「あるんです」。聞いてみると、下に行くほど見えなくなる。県まではある、市の段階ではないところがある。市の下部は絶滅危惧種、下に行くほど頼りなくてほとんど幽霊みたいな存在で(笑)。労働組合もやはりそうなのか、と。
 やはり下のところ、足元からやらないとダメだ。そもそも何のための組合なのか、団体なのか、ミッションみたいなものが原点なのだ。そこに帰ってほしい。
 私の専門であるレジャー論、余暇研究の立場からもう一言。
 日本の労働者はそこそこの収入を得るようにはなったが、そこそこの余暇を持っているとはとても思えない。先進諸国と比べれば週休二日はちゃんとしていない、残業は野放し、長期休暇なんて本当にあるのか。
 大学の教員には6年勤めると1年間休める「サバチカル」が予算化されていて、順番に休める。サバチカルは普通の勤労者にこそ必要で、10年働いたら一年休んで勉強や好きなことをするべきだ。それは人件費を一割増やせばできることだ。賃金はともかくとして余暇を、休みを、休暇権を獲得するレジャーユニオンになってほしい。


摩擦を起こそう
 ■会員S氏
 余暇を増やそう、サービス残業を減らすために休みを増やそうという運動を組合本部から発すると、組合員は「休んで何をするのか」「一人で休んでも遊ぶ仲間がいない」と返してくる。根本的意識を変えなければ、本部が制度を推進しても、足元が付いてこない。

 ■奥井
 だから、運動を起こすこと。
 有給休暇取得問題も同じで、ミーティングはいつも、「無関心が多いから皆でやろうね」で終わる。これでは問題提起の元に戻るだけで何も始まらない。組合が「摩擦」を起こして、休まなくて良いと言っている組合員に文句を言わせるようにしよう。
 組合は、絶滅危惧種の一般大衆が何とかしようと立ち上がった、そこがスタートラインだから、「ほどほど食べられるようになったから不活性」に戻ったのではダメなのだ。
 たとえば敗戦後に憲法を作る時、共産党も美濃部達吉も、「憲法よりメシ」と言った。では飯が食えるようになって憲法を考えるようになったのか。日本人はいまだに憲法よりメシではないか。
 日本は戦後70年たっても、憲法をまともに理解しない国会議員が総理大臣になってしまう。閣議がむちゃくちゃにもかかわらず、一般大衆がアタマに来ない。
 高井講師の提起した「実事求是」は、デカルト流に言えば「懐疑」である。物事を良く見て、明晰明快にしていこう。本当に本当にそうか、壁にぶつかるまで考える。ケ小平は哲学をやっていたのだと思う。

 ■高井氏
 組合は何もしてくれないという組合員は、自分は組合だと思っていないのだろう。地域住民も役員をやりたがらず、自分はお客様になろうとしているだけだ。あなたも組合員なので活動しなければいけないのに、文句だけ言う、自分がメンバーだと思っていない。
 今日の皆さんの話も、私は組合だと言い、組合員は組合ではないみたい。組合と組合員の間に何か違和感がある。
 地域の役員をしていて気が付くのだが、会社の仕事を通じたノウハウを持っている住民は、地域社会に入ってくるとすばらしい力を発揮する。
 自治会や婦人会などの末端で活躍すべき人たちが会社で消耗し、地元にエネルギーを還元しない。もっと還元すればもっと良い社会になるだろうか、組合も婦人会も主人公意識がまるでない。

 ■会員S氏
 まったく同じ考えだ。
 一番の問題は、何でやりたくないのかの整理ができていない。私は出たのに他の人が欠席したのがけしからん、会議が長い。去年までやってきた上の人が「これが子ども会だ」「婦人部だ」と強制するがそれはやりたくない、などなどと言う。それらをみなで工夫すればよい。
 それでうちの町内・地域は変えることにした。
 今回市議会選挙があった。市議会議員にはどんな人が良いか、地域の人は何も知らないので、私は各議員の発言記録、広報などを調べ、成績表をつけて何人かで地域を回り、とにかく投票に行ってと訴えた。その結果、今回の統一地方選は全体の投票率が2%下がる中で、私たちが頑張った地域は3%上がったから、都合5%上がったことになる。
 一つ言えることは、何人かはヘンな人はいるもので、住民を煽るのではなく、事実を伝え一緒に考えて、悪いところをどう潰せるか、方法論を相談していけばよいのではないかと思っている。

 ■奥井
 S氏はちょと“変わり者”で、軋みや摩擦はものすごく起こしているが、この発言は正しい。組織内でも同じことだ。
 日本の組合は戦後生まれのポツダム組合である。ポツダム民主主義の意義を押さえて、われわれは民主主義の社会にふさわしい活動をしているかどうか、時々考えようではないか。
【文責編集部】







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