2007/07
なぜ時短が進まないのかライフビジョン学会


なぜ時短が進まないのか
プロとは何かを考えないと、電池切れする


 2007年6月9日(土)、国立オリンピック記念青少年総合センターで開かれたライフビジョン学会15周年イベント「サラリーマン・続ルネッサンスの時代 ―みんな 電池切れとるンとちゃうか?―」報告第二弾パネルディスカッションの部。本誌「みんな、電池切れとるンとちゃうか?に続けてお読みください。


■プロは短い時間でたくさん稼ぐ
 パネルディスカッションを受けて、会場参加者を交えた意見交換が行われた。話題はなぜオーバーワークが改善されないのか。
 まず言えることは、労使が本気で取らせる努力をしていない。時間問題の取り組みにくさは、働く当事者が時短を強く求めていないからだ。時短推進者も「健康ならば働いてもかまわないかナ」と、対応に手心がありそうな様子。
 有給が取れないことと残業が多すぎることに対する労使の「問題意識」は一致している。しかし働く人の意識は、「目の前の自分の仕事を片付ける」ことに向き、組合リーダーが組合員に時短を働きかけても、「ならば仕事はしなくて良いのか」「なんで組合は仕事をさせない圧力をかけるのか、もっと働かせろ」という声も出る。
 仕事が面白くてめりこむという意見もある。しかしそんなに本気に働いているのか、一部のエリートを除いて、のめりこむほど創造的仕事をしている人がそんなに多いのか疑問がある。
 「ラスキン(19世紀の建築評論家)は言う。――野蛮な時代に戻るほど、その技術は幼稚であったかもしれないが全身全霊をかけて仕事をした。最近はモノに魂が入っていない。アーキテクチャー=建築物とビルディング=建物は違う。アーキテクチャーは芸術的要素も入るのだ――。仕事が面白くて休まないという人にはこれぐらいの気分があってほしい。」と、コーディネーターの奥井禮喜。
 これについてS労組K氏は、休まないタイプには三種類あると言う。本当に仕事が好きで休みたくない人と、仕事が面白いフリをしている人=皆からはぐれたくない人と、仕事が好きじゃないのに休まない人。パネリストの金井弘之氏(メーカー人事担当)も、「本当に楽しく働いているのか、あきらめているのか、上に良く思われたいのか、その辺を切り替えないとダメだ。」
 休みの話は自分の現場の人以外に話しても仕方ないと思っている。仕事はどんどん細分化し、繁閑、難易度の個別性が強くなっている。助け合おうにも自分の仕事で手一杯という現場もある。「一番に組合がすべきは現場の社員同士で、まず、なぜ休めないか話すことだ。」とK氏。
 一方で、有給休暇を取ったら昇給が悪くなった、という事例も出された。成果主義制度も、安心して職場を「留守」にしにくいプレッシャーに働くのかも?
 職場上司の考え方も労働時間を左右する。一日8時間だと思っている上司と12時間と思っている上司とがあり、12時間職場は総じて仕事が遅いという。
 時間外割増金というペナルティを上げれば、経営者は残業させなくなるというのが連合の立場である。しかし経営者は残業する人を見ていない、実態を知らないのだから、時間外を減らすことにならないだろう。マネージャーですら、なぜそんなに長くなるのか、部下の仕事内容も把握していない。なにより残業は本人の意思でやっているとすれば、手当が多くても残業はしないという思想を持たなければ減らすことはできない。逆に、ペナルティが高ければ残業で「儲ける」人が出る心配もある。
 8時間で完結する仕事があるとする。Aは8時間、Bは残業して10時間でこなす。残業時間分を合計すると相対的に優秀なAのほうが、Bよりも賃率が安くなる。仕事ができない人の方が賃率が高くなる、これは経営側の得にはならない。
 本来、総収入と総労働時間の関係で考えれば、働く時間が伸びるほど自分の賃率は下がる。本当のプロだったら短い時間で多く稼ぐ。賃率の高い仕事を求めるのがサラリーマンのプロフェッショナルだ。
 面白ければ過労死するまで無尽蔵に働くべき、というものではない。仕事が好きでも嫌いでも、一日が24時間であるように労働時間は8時間、有給休暇は消化するもの。これは決まり、仕事のルール、法律なのである。 


■組織の文化を創ること

 「職場の年休を取りにくい雰囲気は労使協働すれば何とかなるが、一番難しいのが、取った後のことを考えると取らないほうがよい、という気持ちの問題だ。」とはS電機労組I氏。営業など個人で完結しなければならない職種では、休暇の翌日はたまった仕事のフォローに追われる。それを考えると、そこまでして休むより休まないで仕事をしていたほうが精神的に楽なのだ。その一方で、飲みに行くときは5時に終業できるのに、という笑い話もある。自分の中に絶対譲れないものを持っていればきっと、忙しかろうが辛かろうが、休むことができるだろう。
 S電機労組は労使で年休取得の取り組みを始めた。取得率は上がってはいないものの、ゴルフを口実に平気で休めるようになってきた。以前ならば自分が病気になるか、親をナンとかしないと休みにくい雰囲気があったのだという。
 S電機労組のもうひとつの秘策は、その月に年休を取らせないと組合は36協定協議に応じないとした作戦。最初は、年休が取れないほど忙しいと言うのに36協定協議拒否などと、何をむちゃくちゃなことを言うかとか、無理やり休んだら精神的に苦しくて休めないという職場の意見もあったが、半年ぐらいで目に見える成果が出てきた。
 余暇の目的が見つかったわけではないが、年休を取らないと36協定協議のたびにトラブるので最近では年末など、冬休みの2−3日前に休暇を自主的に設定し、大型連休がもう少し大型化する現象が起こってくる。雰囲気が変われば8割の人は付いてくる。I氏は「組織の文化を創ることと、休みに対して譲れない何かを持たせることしかないのではと思っている。」と言う。


■余暇はOff Duty
 パネリストの越河六郎先生(労働科学研究所)は、「余暇には休暇をとってする余暇と、日々の中の余暇がある。生きがいとは集中してやることを持っていることである」とし、一日の中で3時間ぐらいないと余暇が構成されない。新聞も見られないほど余暇の幅が少ない人がいるが、睡眠時間のとり方、食事の時間、出かける時間、これらが崩れている状況では体が持たないと言う。
 「余暇はOff Duty。余った時間でなく、眠ること、生活すること、趣味など積極的な過ごし方を持つべきだと考える。創造的余暇は自分のやっていることを高めていくこと。これは『余』暇でなく、生活のコアになる時間である」。すかさずパネリストの薗田氏が、「では余暇でなく『本暇』にしよう」と引き取って、会場は笑いに包まれた。
 余暇には余った暇時間、遊ばなければという固定観念があるという発言者に対して、余暇学会会長でもある薗田氏は、「人間は余裕・余韻・余剰のために生きている。資本主義は余剰のために奉仕する。余暇の言葉ではなく余暇の実態を動かしたい。」と余暇学会の考えを説明した。「レジャー」の語には、余暇より積極性がある。
 T社I氏は過日、週の真ん中4日間の休暇を取り、86歳の父親と上海に行って、父親が60年前に住んでいた場所をたずね歩いた。翌週の仕事の山は大変だったが、今このときにしたいこと、二度と手にできないかもしれない時間もある。パネリストの岡村正信氏(マスコミに働くサラリーマン)も、時間には旬があると言う。彼は昨年、ホトトギスの声を聞くために休みを取った。
 それにしても「4日ぐらいの連休では短すぎる」とコーディネーター・奥井禮喜。有給休暇の狙いは通常のサイクルではマンネリし、刺激がなくなり元気がなくなるから、痕跡の残るノッチを作る、穴を空けるものである。「一仕事終わったら2−3日休んで解放感に浸りたい」というものではない。たとえば1ヶ月連続して休むとなれば留守中の仕事は代わりの人が担うから、机に資料がたまる心配は無用となる。
 人事管理や経営は欧米の輸入なのに、有給休暇はまったく、徒弟制度時代そのままである。グローバルと言うなら年休もグローバルにせよ。「遅れてるデェ、この国は」(笑い)


■創造的余暇vs創造的仕事

 みんなしたいことはしているという前提でいえば、長い時間会社にいる、年休をとらないワークスタイルも彼らの選択である。個人も組織もこれでいいのか、変えるべきならどこをつつくか。
 「電池切れは個人の選択ということになるのだが、好奇心がないのだろうか。好奇心は行動力の源泉だ。自分の感性、好奇心を取り戻す、満たすようにしたらどうだろう。」とパネリストの金井氏。
 ところで創造的余暇という話だが、「創造的仕事」をしているのか。
 越河氏は言う。――「最初に株式会社を作った人たち」(氏家麻夫・著)によると、明治時代、富岡製糸はフランスの技師を使い、仕事の質を維持、高めるために8時間労働時間制というフランスの考え方を採った。労働と生活のバランスを大きく考えるとき、制度で世の中をリードしないと、運動の効果は出ないのではないか。創造とは人の真似でなく、自分で進んですることである。仕事も、毎日同じようなことをしていながらも、創造的なものがあったのに、マニュアルなどで壊してきた。――r
 薗田氏も、「請負にするといくらでも働く、生きがいを搾取される。日本のサラリーマンはみなそうだ。そんなに会社に忠誠を尽くさないで、自分のテーマを作る。会社は終わっても、もう一股を作る。二股人生がよいと思う。」
 労働時間短縮についてコーディネーター・奥井禮喜は次のようにまとめた。
 休暇も取らない、仕事やり放題、さらに自分の仕事に知的創造がなくても、気分よく本気でやっているならよろしいとする。しかしそれならば職場がもう少し元気ではないのか。景気は回復しても働く人の元気は回復していない。基本的には、自分で考えなければならないことに手を抜いてきたからだ。
 日本は大衆社会である。ホリエモンが一人金持ちになっても日本経済は動かせない。たとえば末端のパートさんがこの国のシステムを動かしていることを忘れるべきではない。
 どの仕事もどこかで齟齬をきたす。現代は巨大なシステムである。つまり巨大なシステムを維持しなければならない。建築図面がおかしいとわかっていたのに、誰かが凄い設計者なのだといえば受け入れる。姉歯は確信犯だが、周りが変だと気がついているのにそれ以上突っ込まない。巨大なシステムは小さな穴から壊れる。これが今、この国の怖さである、と。


■自由の価値に無知であること

 休んでもすることがないと言うのも、休まない理由に必ず挙げられる。仕事以外に居場所がない人、何かしていないと疎外感を感じる人も在社時間が長期化する傾向がある。かくて定年後にすることがない人が少なくないのは、若い時からつながっていると想定できる。ここまで来ると労使に期待することではなく、一人一人の問題となる。
 ところで、価値尺度は金銭だけであろうか。中小企業を経営するO氏は、「昨年は仕事が減って、売上も減ったが有給休暇もどんどん取れた。社員の中には、休むには金がいると言う人もいたが、心地よいと言うのも十分贅沢である」「楽しい、辛いのと同様に心地よいという感覚も価値尺度に加えたい」。確かに働く目的は快適な暮らし、心地よさであった。
 薗田氏は「その人の個性、らしさは余暇の中から作るから、余暇を放棄するのは自分を放棄することでもある。」と言う。
 主体性や個の確立のためには自由時間が必要だけど、本当は丸裸の自分を直視するのが怖い。
 この問題、やはり最後に残るのは、自由の価値に無知であること、ではなかろうか。(文責・編集部)  







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