2008/11
モンゴルから現代日本を考えるライフビジョン学会




850本のポプラを植えました

 資源・エネルギー問題は私たちの生命と財布に良く見える形でその異常を訴えています。
 経済活動に従事するサラリーマンとして、あるいはその果実を享受する消費者として、環境とエネルギーをどう考えるか。
 2008年10月25日(土)13:00−17:00、ライフビジョン学会が主催して、資源・エネルギーとポストモダンの公開学習会を行いました。

問題提起1
石油屋から見たエネルギーセキュリティ
石油会社勤務/伊藤敏和


問題提起2
モンゴルから現代日本を考える
植林ボランティア体験者/小浜孝光


勉強会の問題意識
地球の復讐
コーディネーター/奥井禮喜



モンゴル鉄道のコンパートメントはゆったりしている
列車から見た石炭積み込みヤード
ゲルホテル 朝の風景



問題提起2

ドルノゴビ沙漠植林活動で
見たこと、考えたこと

小浜 孝光/植林ボランティア体験者、山武労働組合


 日本から飛行機で約5時間。夕日がさす広大な大地は小高い丘が連なり、黄土色に染まっている。ここは草原?沙漠?空からでは良く見えない。少なくとも木はほとんど無く、『不毛の大地』という言葉がぴったりである。
 その大地に少しずつ、人間の作ったものが見えてくる。柵であったりゲルであったり、それが少しずつ増えていく。そして到着。空港はウランバートルの外れにあるので、なんとなく閑散とした感じがある。
 モンゴル。現在の職場である労組執行部には一週間の休みを、かみさんには突然モンゴルへと言い出して、何があるのかと訝しがられた私の旅はこうして始まった。旅の課題は資源エネルギーとポストモダンについて考えること、ドルノゴビ沙漠で植林すること。


埋蔵資源が枯渇する日
 モンゴルは日本国土の4倍、人口は50分の1。人口の半分が首都ウランバートルに集中している。ウランバートルは大都市だがそれ以外は一面の沙漠。遊牧民はどんどん遊牧をやめ、都市の外郭に土地を勝手に所有してゲルを建て、羊を飼っている人もいる。携帯を持ち電気も引いている。遊牧の人たちにも少しずつ文明が入っているようである。通勤時間帯は意外と交通量が多く、日本車が多い。公務員の給料は2万円と言うのに、平均月収の450倍のランドクルーザーが走っている。
 目的のドルノゴビ沙漠まではモンゴル鉄道で10時間。列車は広軌で、ディーゼルカーに引っ張られるコンパートメント。ちなみに私は鉄道ダイスキ人間である。
 石炭を積んでいる貨物列車とすれ違うたびに数えてみると、30 両とか54両とかの長編成だ。1両あたり70tと記載されているので単純計算すると、それぞれ2100t・3780t となる。これらは主にウランバートルに3つある石炭火力発電所で使われ、電線で送電している。
 地下資源は豊富で、希少金属が多く産出されている。これを採掘、輸出し、外貨を稼いでいる。
 ウランバートルから260kmほど走ったところで、石炭を貨車に積み込む巨大なヤードが現れ、その彼方に石炭の露天掘りと思われる鉱山が見えた。その隣に見えた人工的な山は、石炭の露天掘りによる残土だ。いくら豊富といっても、これだけ大規模に掘削し輸送する様を目の当たりにすると、資源が枯渇する日がそう遠くないように思えてくる。


エコ的生活
 モンゴルの国土に沙漠は5%。表層は砂だが夏になると草が生える土地、放牧できるところをゴビと言う。そのゴビをロシア製の軍用ワゴンで、時速100kmで突っ走る。下は固いので乗り心地は悪い、舌をかむほどである。
 翌日からゴビで植林をする。私はNTT労組群馬地区の「第14次緑の協力隊」隊員として参加している。昨年5月に同隊が植えた2000本は全滅したと、植える前に聞かされた。植林した1-2ヵ月後、真夏の超高温の砂嵐で壊滅したという。
 植林の作業で疲れた体を癒すのは、食事。メインはたいがい肉であるが、パスタや卵料理などのバリエーションもある。魚は神様扱いで、食べることはない。野菜も食べることは少ないが、旅行者用にサラダなど出てきた。しかしサラダ野菜を洗う水に当たったとお腹の異変を訴える人もいた。モンゴルウォッカが非常においしかった。
 植林中に2泊したゲルキャンプは十分な宿泊施設であった。シャワーも水洗トイレもある。電気さえある。まさかゴビの真ん中で、デジタルカメラの充電ができるとは思っていなかった。自然の中で自然に寄り添って暮らしている遊牧民に近い生活だと思っていたので、驚くと共に若干がっかりするような、ホッとするような。
 もう一つ、夜空の美しさ。360度、何もないゴビの世界が満月に照らされて、5m先の人の顔が分かるほど明るい。月の反対側だけが暗くて星が見える。ゲルから100メートルほど歩いた先で、寝転がって20分ほどぼんやりと空を眺めていると、人工衛星が6つほど通り過ぎていった。
 朝も散歩。ゲルからトボトボ歩いて、荒涼とした大地に大の字で寝転がる。空しか見えない。音もない。地球に張り付いているなぁ、という不思議な感覚である。そういえば今日は執行委員会だった。夏の一時金が決まるんだなぁ…って、そんなことがどうでもよくなってしまう。風の音の中に時折鳥の声が聞こえる。こんな土地でも短い草は生えるし、生き物もいるのだ。


資源がなくなるとどうなるのか
 資源は熱エネルギーに変換してしまう以上は、いつかは枯渇する。太陽光エネルギーや水力などの自然還元性エネルギーは無限に存在するが、それだけでは現在の日本で使う電力をまかなうのは不可能である。リサイクル技術も進み始めてはいるが、先進国だけの取組みであり、例えば中国などは石油・石炭による火力発電が多く、太陽光技術などはまだまだ使うには至らない。
 オイルサンドなどまで含めた埋蔵量が90年分とも120年分とも試算されたりしているが、試算の根拠が乏しくて怪しそう。埋蔵量の残りが少なくなってくれば利権も絡んでくるし、国家間の思惑も絡んでこよう。よって、もっと短くなると考えたほうが良さそうである。
 その間に、石油に代わるエネルギーが開発されない限り、今の生活レベルを維持することはできない。仮に電気は何とかなったとしても、生活必需品で石油の世話にならないものはほとんど無い。食べ物だって石油で暖房して育てている。水でさえ電気が無ければ浄化も送水もままならない。清浄な水が自由に手に入らなくなるということのほうが、食料云々よりも深刻かもしれない。私たちの生活は石油を食べて生きているようなものである。
 テレビも新聞もなにもない。車もなく馬やラクダで移動する。仕事は農業か牧畜か漁業か。いずれにしても大量生産できないし、大量輸送もできない。通信インフラ、ロジスティクスが壊滅すれば、漁村と農村と牧畜が近距離でセットになり、細々と暮らす世界が始まる。
 新宿のビル群などは無用の縦長物となり廃墟・スラムと化す。世界が築いてきた文明が衰退し、スラムと化し、遺跡として残るようになるのだろうか。


便利ってなんだろう
 だから今から世界全体で生活水準を落とそう、などということができるのか。誰かが抜け駆けする、けんかになる、闇市場が横行する、国家間同士でいがみ合いが発生し、石油がらみの戦争になることも十分考えられる。もっとも石油が無くなりそうだというのに戦争なんぞで石油を浪費するなど、愚の骨頂だけれども。
 ゴビに寝転がっていて、便利になるということは一体何なんだろうという思いがふつふつと浮かび上がった。日本に戻ってから更に考えるようになった。お金があれば便利だが、金だけでは回らない世界がやってくる。果たして今のままで良いのだろうか。
 日本は、便利にはなったかもしれないが、他人を蹴落としても自分がのし上がるなどという状況では、全てが無に帰ったときに何も残らなくなってしまう。そのときに気がついてももう遅いのである。
 資本主義においては資本を増殖させ続けることが至上命題であり、そのために大量生産・大量消費・大量輸送が条件となる。そのためには多くの資源を消費せざるを得ない。その結果として人間は、地球温暖化やオゾンホールの拡大、公害や有毒物質の流出など、自然を・地球を破壊しようとしている。
 省エネという延命策も代替エネルギー開発も、根本解決にはならない。私の曾孫の世代あたりになれば、石油の枯渇を目前に控え今よりももっと深刻な状況になっているに違いない。
 この先必ず訪れる資源エネルギー枯渇問題に対応するためには、どんな境遇においても、人類が協力し合って、前向きに生きていこうとする気持ちが無ければ成立たないであろう。
 たまたま執行委員の私の立場で考えると、労組も誰が一人がすればよいと言うものでなく、皆がいっせいにするから力になる。資源エネルギーも国家、世界のレベルでいっせいに取り組みしないと、切り抜けられないものだろう。
 その第一歩として、皆さんもモンゴル・ゴビへ行って植林してきてはいかがだろうか。日本にいては見られないもの・感じ取れないものが、モンゴルにはまだたくさんあると思う。モンゴルを見て、植林を通して一人ひとりが感じ、考えることから始まる。たくさんの人の考えが集まることによって、より良い未来が築けるものと考える。







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